人質交渉のためになかなかガザに突っ込まないイスラエルですが、
いずれは突っ込むと思います。
突っ込んだ後の世界情勢ですが、
この件に関してイスラム世界が一時的に団結する可能性はあり、
西側に流入した移民を含めた大規模なデモなどが頻発する可能性はありますが、
イランを含む中東イスラム諸国による武力介入はなく、
デモも一過性で終わるだろう、と考えてます。
ヒズボラによる攻撃も可能性としてはありますし、
現時点でも散発的に行われてはいるようですが、
いち早くアメリカが東地中海に空母打撃群を派遣したこともあり、
ヒズボラとしても全面的な攻勢は不可能だと思われます。
それよりも、
「アメリカは、ネタニヤフ首相に代表されるイスラエル右派に対して
より強い影響力を行使すべきだ!」
との声が西側やアメリカ内部からも上がるのではなかろうか、と考えてます。
イスラエル右派による「火遊び」が中東にいらぬ緊張をもたらしてます。
ま、このような右派の台頭には、
ハマスによるこれまでのテロ行為が大きく関与しているのですけどね!
典型的な vicious cycle、悪循環の賜物(たまもの)です。
さて、メッカの多神教を打ち砕いたマホメットですが、
メディナを拠点として「イスラム政府」とでもいうべきものを作り上げます。
メッカからイスラム教に改宗する人々も多く出現し、
さらにうわさを聞いて新たに改宗した人々が
アラブ全土からメディナに集まってきます。
マホメットは、
メディナのユダヤ教徒から奪った資産の多くを自分のものとしてしまいますが、
本人としては、たぶん、
「イスラム政府」の資金として使用することを考えていたと思いますし、
また、宗教指導者としてイスラム教について語るのみならず、
日常的な悩み事その他「よろずに相談受け付けますよ!」というカンジで、
メディナの人々の相談役としても精力的に活動したようです。
このようにして人々の心をつかんだマホメットは
宗教家にして軍人であり、かつ政治家、というわけですが、
同じ宗教家ではあってもゴータマさんやイエス氏とは相当に異なる・・・。
思想家にして軍人であり、かつ政治家、と言えば
レーニンや毛沢東などが思い浮かばれますが、
なるほど、内容的には全く異なるイスラム教と共産主義ではありますが、
両者ともに「平等主義」は旗印の一つですし、
指導者としての人格には共通するものがあったのかな?
などとフッと考えたりしますが・・・さて・・・。
赤の広場を歩くレーニン一派 ウイキより
Smirnov_N. - Lehtikuva, Сергей Александрович Морозов. Творческая фотография. М.:Изд-во «Планета», 3-е изд., 1989, ISBN 5-85250-029-1,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20749468による
メディナの町を闊歩するマホメットの姿を彷彿とさせる写真かも・・・。
神の概念を設定するのが宗教で、設定しないのが思想、
というセンセの定義ではありますが、
社会の統治システムとしては、
イスラムと共産主義とは本質的なところで通ずるものもある、
のかも知れませんね。
もちろん異なる所は多々あるわけですが・・・。
例の病院爆撃の件ですが、状況証拠がぞろぞろ出てきました。
なるほどね!というカンジです。
また、例のにやついたハマスの幹部ですが、
カタールの五つ星ホテルで優雅にイスラエル~アメリカ批判。
なんでも個人資産が数千億円あるとのことですが、
産業らしい産業のないガザでどうやって資産を形成したのでしょうかね?
大体想像できますが・・・。
それにしても、
怪しさいかがわしさがプンプンする連中に踊らされる人々の多いことよ!
パレスチナ問題で相対的に影が薄くなっているウクライナですが、
ここでも進展があります。
例のアメリカが供与した ATACMS ですが、
ロシア占領下のルガンスクとベルジャンスク郊外にある飛行場を攻撃し、
9 機の戦闘ヘリの破壊に成功したとのことです。
今回使われた ATACMS は本来のものよりも射程距離の短いものらしいですが、
弾頭に小型弾を詰めた、いわゆるクラスター型のものを相当数打ったようです。
そのうち、より射程の長いものも供与されるはずです。
また、東部ドネツク方面の戦線では、戦況図を見る限り、
ロシアがウクライナの町、アウディーイウカを包囲する構えを見せ、
実際に北と南から軍を押し込んでいるようですが、
反対にウクライナ軍のドローンを用いた巧妙な反撃により
多くのロシア兵が挽肉(ひきにく)にされているとの情報もあります。
両者ともに膠着状態にあるように見えますが、
ロシア側の損耗がより多いとの報道が多く、特に砲撃戦においては、
これまで圧倒していたロシアよりもウクライナ側が勝る状況となりつつある、
その理由は砲弾不足もさることながら、
大砲そのものを狙い撃ちにするというこれまでのウクライナの戦略が功を奏し、
ロシア砲兵隊が大砲不足に陥っているのが原因では?と考えられています。
先日、北京詣でをしたプーチンですが、
キンペー氏へのおべんちゃらたらたらで、
聞いてるこちらが恥ずかしくなるほどでした。
お付きの者が黒いカバンを持って従っている画像を
これ見よがしに流してましたが、
「ほらほらコレコレ!いつでもボクはポチっと押せるんだよ!」
とか言いたいのでしょうけど、たぶん、中には、
自分のパジャマとプーさんのぬいぐるみが入っているのだと思います。
「だってプーさん居ないと眠れないんだモン!」とか・・・。
さて、その後も何度かメッカ軍と対戦するマホメットですが、
最後はメッカと休戦条約を結んだだけでなく、これを反故とし、
今や大軍となったメディナのイスラム軍を率いて
メッカへの無血入場を果たします。
で、カーバ神殿内の数百にものぼる偶像をことごとく打ち壊し、
ここにメッカは文字通り、アラブの一神教、イスラム教のメッカとなりました。
西暦 630 年のことです。
ロシアの攻撃型ヘリコプター、Ka-52 型 ウイキより
Alex Beltyukov - http://www.airliners.net/photo/Russia---
Air/Kamov-Ka-52/2106081/L/
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21669036による
愛称はロシア語で「ワニ」「アリゲーター」のこと。
NATOコードネームはホーカムB とのことです。 ウイキより引用
前回のブログから 1 週間近く経ちましたが、
未だイスラエルはガザへ侵攻してません。
それどころかやれ病院爆破だ!検問所爆撃だ!とかで揺れてます。
で、互いに「お前がやった!」と非難合戦してますが、
未だ確証されてません。
病院爆破に関しては、フェイク~誇張の可能性も指摘されてます。
いずれ事実が明らかになるのでしょうが、
当事者は別として、
野次馬連は事実が明らかとなったその時に騒げばよいだけで、
未確証事案に踊らされて騒ぐ輩が世界中で大発生してます。
なるほど、
専制的国家が情報を都合よく統制するのも無理からぬことではあるなあ~
と思ったりします。
中東紛争関連、特にイスラエル vs パレスチナ問題に関しては
ウクライナ戦争とは大いに異なり
どちらが正しくどちらが悪いなどと単純な色分けは困難ですし、
日本は歴史的にも地政学的にも全く無関係ですので、
人道的な支援は別として、
政治的にはどちら側にも与することなく、ひたすら傍観するのがよろしい、
とセンセは思います。
ましてや連帯などと言うものを表明してどこぞの空港で機関銃を乱射して
多くの民間人を虐殺することが正義だ!
などとはくれぐれもお考えなさらぬよう、心からお願いいたします。
さて、いつのまにやら
イスラム教 vs ユダヤ教の対立の構図となってしまったパレスチナ問題ですが、
その昔、
メディナのマホメットは当初、ユダヤ教徒に対して自分をアピールします。
当時のメディナは 1/3 がユダヤ教徒、残りがアラブ人で構成されてましたが、
マホメットはユダヤ教徒のところに行って自分の考えを述べます。すなわち、
「君たちはアブラハムの子孫だろ?ボクらアラブ人も実はそうなんだよ!
彼の息子の一人がアラブの土地に来て、そんでカーバ神殿を作ったんだ。
で、この前ボクは大天使ガブリエルにガブリ寄られ、
啓示を受けて預言者になったんだぜ!すごくね?
で、君らのユダヤ教ってのは古くてもせいぜいモーゼのころ、
たぶん、もっと新しい時代にできた宗教だろ?
キリスト教なんてのはさらに新しい宗教さ!
で、モーゼよりもよっぽど古い時代に生きていたアブラハムが
神を敬虔に信仰していたのは間違いない。
ということはさ、アブラハムは少なくともユダヤ教徒ではないってことさ!
アブラハムが信じていた神を君らはヤハウェと呼ぶけど
ボクらはアラーと呼んでいるだけさ!
で、先日ボクは大天使から啓示を受けた、つまり預言者だ!
モーゼもイエスもボクの先輩にあたる預言者ということだから、
俺たちは宗教的には同じ仲間なんだよ!
仲よくしようぜ、兄弟!」
と言ったところがユダヤ教徒からボコボコにされたという・・・。
で、この件で腹に据えかねたのかどうかは分かりませぬが、
マホメットの力が大きくなるにつれてユダヤ教徒と対立するようになり、
彼らをメディナから追放したり彼らの農地を没収したり、
さらにはメッカ軍との戦争の際には
ユダヤ教徒のグループの一つが相手方と内通していた件を咎(とが)め、
このグループに属する成人男子を皆殺し!
財産没収まで行います。
マホメットは必ずしも
ユダヤ教そのものに対して敵対的であったわけではないようですが、
彼の教団が成立の当初から戦闘的であったのは
間違いのないところだと思います。
何しろ戦わなければ潰されてしまう状況ではありましたので・・・。
また、ここで登場するユダヤ教徒の全てがユダヤ人であったかどうか、
たぶん違うと思います。
ディアスポラ後にメディナに移住してきた
ユダヤ人による共同体があったのは間違いないと思いますが、
ユダヤ教を信仰するアラブ人も当時は数多く居たはずです。
イスラエル国防軍の軍旗とハマスの旗 ウイキより
Meronim - https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15909930による
Guilherme Paula, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2741983
による
イスラエル軍は早くもガザを全面的に包囲し、
北部ガザ地区の一般住民に対して南部への退避を勧告しました。
ことによると、このブログが公開される頃には、
イスラエルの地上軍が北から怒涛の進撃を行っているかも知れません。
さて、そんなパレスチナの地ですが、過去ログのどこかで書いたように、
パレスチナ問題は本来的には領土問題であって、宗教は関係ありません。
従いまして、基本、同じアラブ人であることから
アラブ諸国がパレスチナ人に対して連帯感を共有するのは理解できますが、
どういうわけか、
いつのまにやらイランが全面的にしゃしゃり出てくるようになり、
ユダヤ教徒 vs イスラム教徒の図式が表面に出てくるようになり、
現在ではイスラエル vs イランの構図が中東最大の不安定要因となってます。
何度も述べてきたように、
イランは印欧語系のペルシャ人で、アラブとは全く関係ありませんよ!
現在の人々からするとイラン=イスラムは当たり前に見えるのでしょうが、
イランが現在のようなあからさまなイスラム国家となったのは
わずか半世紀ほど前の 1979 年のイスラム革命の時です。
当時のイランはパフラヴィー朝(パーレビ朝)と呼ばれる王政の時代で、
センセらの世代では、
イランと言えば「出光石油とパーレビ国王」というカンジでした。
パーレビ国王は西欧化~脱イスラム化~資本主義化を推し進めたのですが、
ナカナカ上手くいかず、逆に社会が不安定化し、とうとう内乱が勃発!
ムジャヒディン・ハルクなどの共産主義勢力も登場し、
スカーフを被った女性兵士などが実際にドンパチしておりました。
そういう中で、かの有名なホメイニ氏がイスラムの指導者として登場し、
ここに他派を押さえてイスラム革命派が勝利!
現在見られるような、
シーア派イスラム教の教えに基づく政治体制を確立することに成功しました。
当時の日本の我々から見れば、
まるで時代が逆戻りしているかのような感覚を覚えたものです。
当時の東京には、
不安定な母国から逃れて出稼ぎにきたイランの若者がたくさん居り、
上野の西郷さんに通じる階段には、
袋のようなジーンズをはいて繋がった眉毛をした多くのイラン人が
ひな壇の上をハトと一緒にたむろっておりました。
センセの M 大時代、隣の講座にイランから来た女子学生がおりまして、
常にスカーフを被って熱心に研究を行っておりましたが、
イスラムの教えにも熱心で、一日に 5 回の礼拝を欠かさず、
おかげさまで担当教授としょっちゅう揉め事を起こしておりました。
で、ある日のこと、
彼女が自分のアパートまで一緒に付き添って欲しい、家まで送って欲しい、
とセンセに頼んできました。
センセ、良からぬ期待を抱いて直ぐに OK したのはもちろんのことですが、
アパートに着いたら
「どうもありがとうございました」と日本語で言って、
そのままさっさと家の中に入って行ってしまいました・・・。
「お茶でもいかがですか?」
との言葉(あるいは more ?)を期待していたのですが WWW、
「アッラ~~~!!!」というカンジでした WWWWWW。
早い話が、女性が外出する際のイスラムの教えに従っていただけのお話です。
センセは信頼されていたのですね!
よく考えると、少し複雑な気持ちもしますが・・・。
で、革命後はやる気満々のサダムフセインとの間にイラン・イラク戦争が生じ、
同じイスラム同士でケンカするわけですが、
ほぼ同時期にはベトナムと中国が国境紛争を起こし、
少し前にはベトナムがポルポトのカンボジアに進攻するなど、
同じ宗教や共産主義を頂く国々の間での戦争が続いたことから、
当時の日本の多くのジャーナリストや思想家(大多数が左寄りの方々)が
戸惑うこと戸惑うこと!
そんな時代でした。
結局のところ、生物学や物理学その他の科学的基礎の理解無く、
単純に形而上学的な世界観の中でいくら議論を深めたところで
人間の行動を本当に理解することなど不可能ですよ!
というお話です。
で、大きく脱線してしまいましたが、
イスラエルやパレスチナとは無関係なイランが
なんでイスラエルにケンカを売りがちなのか?
一つには、そもそものイスラム革命の本質が
「アメリカ資本主義をイランから追い出したい!」
という側面が強かったことから、
アメリカ資本=ユダヤ資本という、
今でもよく耳にする陰謀論的な考えに基づき、
「憎っくきアメリカ人とユダヤ人は同じ穴のムジナじゃ!」と結論して、
イスラエルを敵と考えているフシがあります。
また一つには、
シーア派のイランの宗教指導者たちが「我こそはイスラムの盟主なり!」
と考えているからでしょうね。
要するに、スンニ派の牙城であるサウジアラビアとの宗教的な覇権争い、
ということです。
初期の中東戦争のころは、
ナセル大統領率いるエジプトがアラブ~イスラムの盟主というカンジでしたが、
イスラエルに負けてばっかりで懲りたのか、
エジプトは早々にイスラエルを国家として認めるなど、
最近のアラブ連盟は「イスラエルとは事を荒立てたくない・・・」、
という想いが見え隠れします。
で、これに代わってイランがしゃしゃり出つつある、
というのが現状なのでしょうけど、
イランもどこで間違えたのか、
お友達としてロシア、中国、北朝鮮とつるむようになってしまい、
「こんなはずじゃなかったのだが・・・」
というのが本音であるような気もします。
これら三国の共通点は共産主義~元共産主義国家ということですが、
イスラムと共産主義って、相性はどうなんでしょうかね?
何しろ共産主義は無宗教主義思想ですし、
無宗教のはずが指導者崇拝という一神教ですし、
偶像否定のイスラムですが、
レーニン~スターリン~毛沢東~キムくんに至る
ビッグサイズの銅像を拝まぬ人民は速攻で強制収容所行き!
という国々でイスラム教は成り立つのでしょうかね?
ま、サダムフセインも自分の銅像を拝ませていたわけですが WWW。
中国ではイスラム教徒のウイグル族が抑圧されてますが、
イランの宗教指導者は彼らに対する連帯感は皆無のご様子。
ナカナカ都合のよろしい方々のようです。
パーレビ国王の時代にアメリカから購入した F-14 トムキャット ウイキより
Shahram Sharifi - http://www.airliners.net/photo/Iran---Air/Grumman-F-14A-Tomcat/2397261/L/, GFDL 1.2, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=41501421による
懐かしい可変翼の海軍機です。
イラン・イラク戦争は、略してイライラ戦争などとも呼ばれてました。
傍から見ている限り、こんなカバカバしい戦争も無いもんだ、
と皆が思ってました。
お笑いの先生ですが、先手を取って、
除名される前に自ら離党してしまいました WWW。
♪ どっちでもいいですよ~。
ハマス、イスラエル軍に瞬殺されるのは見え見えですが、
今回の動機が良く分かりませぬ・・・。
イランが背後にいるともいないとも、
サウジとイスラエルの国交正常化を阻止するためとも、
北朝鮮方式の「ボクたちのことを忘れないで~!」型とも言われてますが、
レバノンのヒズボラはシーア派ですが、ハマスはスンニ派です。
ともかくも同じイスラムですし、敵の敵は味方という見方も出来ますし、
利用できるものは何でも利用する、ということなのかも知れませんが、
イランが背後にいるいないのいずれにしても、
ハマスがイスラエル国軍に太刀打ちできないのは
最初から分かり切ったことであるにも関わらず、
なんでこんなことするのでしょうかね?
今回は多数の人質を確保したから大丈夫だ、などと考えていたのでしょうか?
また、もう一点。
多数のロケット弾に加えてパラグライダー部隊まで投入した今回の攻撃ですが、
世界に冠たるイスラエル諜報部、モサドは気づかなかったのでしょうかね?
攻撃されたのですから気づかなかった、ということですが、
ロイターの報道によれば、
一部のハマスのトップにすら知らせていなかったほどに
用意周到な準備がなされていたようである、とのことでした。
それにしても、現在のイスラエルは、一枚岩、というわけではありません。
イスラエル国民の皆が皆、両耳の横にくるくるくるりんとした髪を垂らして
嘆きの壁の前でぶつぶつぶつぶつと嘆き悲しんでいるわけではありません。
穏健派~現実主義者も数多く居りますし、また、
今回虐殺の対象となった野外の音楽祭に参加していた若者たちの多くは、
たぶんですけど、くるくるくるりんとは対照的な、
ラブアンドピース的な人々であったと思われます。
そういう連中を十把一絡げに敵とみなして殺戮するのみならず、
人質として連行し、今後の交渉事において、
彼らを見せしめとして殺戮する可能性すら否定できないわけですが、
こうなりますと、ハマスは、世界中の良識ある人々から見放されたも同然です。
シリアの ISIS と同類の残忍な過激派、と見なされても致し方ないでしょう。
センセの世代では、
パレスチナ問題と言えば PLO のアラファト議長が思い起こされますが、
彼と、相手方のイスラエルのラビン首相との間で和平合意が形成され、
ノーベル平和賞まで受賞した時代もあったのです。
ラビン首相もまた極右のイスラエルの若者により暗殺され、
アラファト率いるパレスチナ自治政府も、
ガザ地区においては強硬派のハマスが牛耳ることとなって、
現在に至っております。
今回の出来事がイラン・イスラエルの直接対決に至るとは思えませんが、
どうにも不安定要因に事欠かない 21 世紀の世界です。
離党の先生、今度はハマスの応援でもしますかね WWWWWW?
その昔、テルアビブの空港で、
民間人を無差別に銃撃~殺戮した日本人もおりましたよね?
やれやれ・・・。
※今、センセの手元に「イスラエルの鷹」という題名の
モシェ・ダヤン将軍の本が一冊あります。
1978 年発行の古い本です。
ダヤン将軍といえば、センセの世代では有名な、
黒い眼帯をした片目のイスラエル将軍です。
彼のルーツはウクライナ・キエフ出身のユダヤ教徒で、
いわゆるアシュケナージです。
この本には、
ロシア革命前後からイスラエル建国を経て中東戦争に至るまでの過程が
つぶさに描かれています。
そのうちいつかご紹介できれば、と考えてます。
さて、メディナの人々に招かれたマホメットは、
メッカでの迫害に嫌気がさしたためか、
自分に付き従う数十人の教徒と共に、
メディナへの本格的な移住を決意します。
で、首尾よくメディナのアラブ人同士の争いを鎮めたため、
現地の人々の信頼を勝ち得ることに成功します。
ここまでは良いです。
で、メディナに拠点を構えたマホメットは、
自分が唱える宗教=すなわちイスラム教のさらなる布教のため、
メッカに対して戦さを仕掛けます。
ここがセンセには分からない所です。
世界三大宗教の中では仏教が最も平和的な宗教であると言われる通り、
仏教の布教過程において大々的に武力が用いられたという歴史的形跡は、
少なくともセンセは知りませぬ・・・。
古代インドのマウリア朝なども、
仏教を広めるためにアショカ王が武力によってインドを平定した、
というわけではありません。
逆に、インド平定に伴う自らの残虐行為を深く悔い改め、
心の平安を説くブッダの教えに帰依した、というのが本来だと思います。
こういう過程を経ての信仰心の発生というのは、
日本人にとっては分かりやすいですね!
キリスト教は布教に熱心なことで有名ですが、
ローマ帝国にキリスト教が広まっていく過程を見る限り、
これも、武力によって信仰を強制した結果としてキリスト教が広まった、
ということではありません。
ま、少し時代が下がると
フランク王が武力を用いて北方の未開蛮族の強制的な改宗を行いますが、
後に述べる予定のイスラム普及の過程は必ずしも「強制的」とは言えないので、
これとも少し異なる気がします。
さらに後の大航海の時代には
スペインやポルトガルが宗教的情熱を伴う植民地形成を行いますが、
これも宗教的動機が主、というよりもむしろ、
金儲け~領土拡張のために宗教を利用した、
というニュアンスが強い気がします。
いずれにしましても、
マホメットは自らの教団を守るため、あるいは拡大するため、
あるいは穿った見方をすれば、迫害を受けてきた復讐心からか、
メッカに向かう隊商を襲撃します。
初戦は勝利しますが、メッカの連中も反撃に転じ、
「今月のウクライナ-146」で紹介した写真の場所、ウフド山で両者は対決!
両軍共に女性兵士も混じり、馬とラクダと徒歩の混成部隊。
ラクダは戦場までの交通手段として用い、
戦場においては、より機動性に勝る馬を用いて戦ったようです。
兵士とはいっても普段は商売したり畑を耕したりの普通の人々で、
軍事訓練などとは無縁の連中。
戦いぶりも、剣、槍、弓に加えて石礫(いしつぶて)の応酬で、
マホメットもこの戦いで顔面に石礫を食らって血を流し
さらには落とし穴に落ちてしまうなど、大けがをしてしまいます。
戦況はメッカ軍に有利に働きますが、
決定的な一打をマホメット率いるメディナ軍に対して加えることは叶わず、
結局彼らはメッカに引き返すこととなります。
この時にメッカ軍の騎馬隊を率いて突撃し、
メディナ軍の敗走を招いたオトコはその後にイスラム教徒となり、
マホメット軍の優秀な将軍の一人となるのですが、
この時もこの後も、
当時のイスラム軍は「軍」と呼ぶのも憚られる素人集団であり、
彼らが何ゆえにペルシャやローマの軍団を破りえたのか、謎です。
宗教的情熱の違いはあったのでしょうが、
それだけでは説明できませぬ・・・。
結局のところ、この当時のアラブ人社会は争いが日常茶飯事であり、
それらの日常的な小競り合いに勝利することが正義の証、
という感覚があったのでしょうか?
武力を含む何らかの方法によって争いをまとめ上げる、
そのような力(ちから)無くしては何を唱えても無意味、
という実力主義的な哲学がイスラムの布教に伴っていたのかな?
そして、当初は宗教的にアラブ社会をまとめ上げることが主目的であり、
ペルシャやローマと戦うことなどは夢想だにしていなかったが、
行きかけの駄賃でそうなった、
で、勝ってしまった、
ということなのかな?
とも思いますが、もちろん、本当のところは分かりませぬ・・・。
ラクダの隊商 ウイキより
いわゆるキャラバンです。
マホメットはメッカ行きの隊商を襲ってました。
イスラムって、やっぱりよく分かりませぬ・・・。
大坂のお笑い芸人かと思っていたら実は議員の先生だったというお方が、
先日、勝手にロシアに行き、かの地で「ロシア推し」して帰って来ましたが、
連休明けには所属の党から除名される可能性が WWW。
今後は寄る辺なき先生、令和お笑い組にでも拾ってもらえればラッキーですが、
ホント、お笑いですね WWW!!!
そんなことよりも何よりも、また先日、アメリカ下院議長が、
自身が所属する共和党の保守強硬派議員の造反により解任された。
ウクライナ支援に反対する共和党保守強硬派は少数ではあるが、
ほぼほぼ 50:50 に拮抗しているアメリカ議会においては
いわゆるキャスティングボードとして、
わずかな数の造反も強い影響力を持つ。
これに加えて来年は大統領選挙の年だ。
センセはアメリカの法律なんぞには詳しくないが、
進行中の裁判で有罪判決が出た場合、トランプは立候補できるのだろうか?
仮に彼が大統領に返り咲いたとしたら、
ウクライナから手を引くのは見え見えだわ。
アメリカが欧州から手を引いたら、世界の地政学的風景は大幅に変わるだろう。
彼は中国に対しては対抗心を燃やしているが、
「 Deal だ!」とか言ってキンペーと裏取引を行う可能性もゼロではない。
プーチン、最低でも来年のアメリカ大統領選までは
一歩も引かずに頑張ることであろうよ!
と、書いた筆の先が乾く間もなく、
今度はイスラエルとハマスが相当激しい戦闘状態に陥った・・・。
やれやれ・・・。
長年にわたって紛争を繰り返してきたナゴルノカラバフ地方ですが、
アルメニア人のほぼほぼ全てが一夜にして脱出してしまい、
「あっ!」と言う間もなく文字通り消滅してしまいました!
四方を海に囲まれ、2000 年にわたって万世一系の皇統を頂く日本人からすれば、
大陸の連中、特にコーカサスやバルカンの人々の安全保障に関する感覚は
全く持って想像できないものであるかと思います。
アルメニアは古い国で、アルメニア人は印欧系の人々です。
「今月のウクライナ」シリーズでも、これまで、
折に触れてポツリポツリ登場してます。
現在ではコーカサスの一部に限局されてしまいましたが、
紀元前後にはカスピ海から地中海を結ぶ地域を一時的に支配したこともあり、
また、西暦 301 年には世界で初めてキリスト教を国教とするなど、
ナカナカ存在感のある国です。
TV の画像でナゴルノカラバフから逃げてきたアルメニアの人々が
十字を切って祈っていたのが印象的でした。
第一次世界大戦時のトルコとの紛争で多くの死者を出したことから、
「虐殺だ!」「いや、虐殺ではない!」との争いが現在も続くなど、
トルコとは歴史的にも仲が悪いです。
対するアゼルバイジャン人はトルコ系の連中で、イスラム教徒です。
特にトルコ共和国のトルコ人と同じくオグズ系の連中で、
オグズに関しては「今月のウクライナ-105」あたりで簡単にお話しました。
イスラムのお話が終わったら、
オグズ、トルクメン、セルジューク、オスマンなどなど、
より詳しく「トルコとはなんだ!」を解説する予定です。
同じトルコ系ということで、
アルメニアとの紛争ではいつもトルコが後ろ盾となります。
で、ナゴルノカラバフは消滅したものの、
アゼルバイジャンの分断はそのまま残っているので、
これがまた新たな紛争の種となりはしないか、心配なところがあります。
コーカサスの民族と言語 ウイキより
地図上のナゴルノカラバフ地域は、現在、もはや緑色ではありませぬ・・・。
LyijykyyneleetCaucasus-ethnic_en.svg
User:Pmx - Caucasus-ethnic_en.svg, CC 表示 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5609026による
さて、一神教、多神教、どちらでも結構ですが、
「アラーのみを敬え!」とのマホメットの教えを真っ先に支持したのが
姉さん女房のハディージャさん。
その他、最初のころは、
まずは身内の人々やお友達、町の若者たちが彼を支持した一方で、
メッカの普通のオトナたちは彼を単に風変わりなオトコとして無視。
あるいは若者をたぶらかすいかがわしき人物として悪評が広がって行きます。
で、これに耐えきれなくなった一群の信奉者は、
「今月のウクライナ-129」でお話したメッカ対岸のキリスト教の国、
アクスム王国に移り住んでいきます。
イスラム教徒がキリスト教徒の保護を求めた、ということです。
後世の歴史を知っている我々からすれば奇妙な選択に思えますが、
彼らとしては、
キリスト教は一神教、生まれたばかりのイスラム教も一神教、
加えてマホメットの考えによれば両者は兄弟の宗教とのことですから、
特に違和感は感じなかったのでしょうね。
そしてその後にイスラムが強大となり、周辺諸国を続々と併呑していったとき、
イスラムはアクスム王国を滅ぼすことなく、
逆に友好的な関係を維持したということから、
彼らはこの時の恩義を忘れていなかったのでしょう。
ま、アクスムのコプト教はビザンツから見れば異端であったので、
そのせいもあるかもしれませんが・・・。
で、マホメット氏、いかがわしいどころかやはりナカナカの人物だったようで、
段々と信者も増えていきますが、
メッカの北方に位置するメディナの町からメッカを巡礼に訪れた一行が
現在売り出し中のマホメットというのはどんな奴じゃろ、
話を聞いておくのも悪くはなかろう、
とばかりに彼の説法に耳を傾けたところが一発で魅了され、
メディナの町で大評判となり、数年後には、マホメットらは
メディナの有力者らによって町に招聘(しょうへい)されるまでになります。
メディナという名前ですが、ご多分に漏れず、
最近ではマディーナと呼ぶ方式が広まりつつあります。
また、
本来はメディナ(マディーナ)は単に「町」を意味する言葉だったらしく、
現在では「旧市街」などを表す単語としても使われることも多いとのことですが
(ウイキより)、
これまでも何度か申し上げてきたように、
ここではメディナはメディナとして使っていきます。
当時のメディナはユダヤ教徒とアラブ人が住んでおりましたが、
アラブ人同士での争いが絶えなかったようで、
マホメットが招聘された裏には、
そのような混乱した状況のメディナのアラブ人社会の仲裁者としての役割も
どうやら期待されていたようです。
メディナだけでなく、当時のアラビア半島のアラブ人社会は
多くの部族に分かれて争いが絶えなかったようですから、
そういう意味からも、「アラーのみを信仰しろ」との一神教のイスラムの教えは
自分たちをまとめ上げてくれる有難い教え、
という意識がアラブ人の間で働いたのかもしれません。
現在では過激派の印象ばかりが強いイスラム教ですが、
実際にその後の歴史的展開を見るにつけ、
やはり、本質的に人々をまとめ上げる何かがあるようです。
ま、それプラス、
「剣か、税金か?」の選択肢も抜け目なく用意してあったわけですが・・・。
メディナの北方にあるウフド山。
ここでマホメット率いるイスラム教徒の軍隊と、
メッカから進軍してきた部隊とが衝突し、激戦となりました。
VOYAGE 世界見聞録さまより
https://media.eurasia.co.jp/middle-east/medina
特に規制の指示が見当たりませんでしたので、
サイトをご紹介して写真をお借りしました。感謝!
マホメットが 40 歳のとき、
岩山の洞窟で何者かに押しつぶされそうになる感覚を得た。
それが大天使ガブリエルによる神の啓示であった、ということですが、
間違いなく、大天使は、
得意技のガブリエル寄りで土俵際までマホメットを追い込んだ、
ということなんでしょうね!
さすが大天使!体も横綱級だったに違いありません。
マホメット氏、打っちゃり技も効果なく、そのまま土俵を割ってしまい、
その後は一神教の神「アラー」をひたすら信じる人生を歩むこととなります。
ではアラー、最近ではアッラーと記載されるのも多いですが、
アラーの神とはどのような神様なのか?
メッカのカーバ神殿ですが、
誰しもが名前くらいは知っているイスラム教の有名な建造物です。
黒い布?かなんかで覆われているあの四角い物体です。
毎年たくさんのイスラム教徒がここを詣で、
しばしば多数のヒトが踏み倒されるなどしてニュースとなります。
カーバと言う名称はアラビア語で「立方体」という意味だそうですが、
マホメットがイスラム教を説く以前には、
このカーバ神殿の内部には
数百に上る数の多神教の神々の偶像が祀られていたそうです。
で、これらの神々の頭上に君臨するのがアラーの神、
あるいはカーバ神殿そのものがアラー神、
というようなカンジの理解で OK かと思います。
興味深いことには、このカーバ神殿内部には、この当時であっても、
アラー自身の像は無かった、と考えられていることです。
で、さらに興味深いことには、マホメットの考えとしては、
「今月のウクライナ-117」に登場した旧約聖書のアブラハムですが、
彼と彼の息子の一人がカナンの地から砂漠を横断してメッカまで来て
そしてこの地にカーバ神殿を作ったのだ、と考えている点です。
つまりマホメットにとっては、
ユダヤ教とイスラム教、さらにはキリスト教も同根の宗教であり、
兄弟の教えである、と本気になって考えていたと思われます。
彼が聖書を読んでいたのかどうかは分かりませんが、
少なくとも 6 ~ 7 世紀のアラブ地域では、
ユダヤ教とキリスト教の一神教の教えが、
信者の数としてはともかく、
知識としては幅広く行き渡っていた、
と考えられます。
たぶん、ペルシャのゾロアスター教の教えなどにも
一定の影響を受けている可能性があります。
で、それはそれとして良いのですが、センセが思うに、
一体全体なぜ彼は一神教を、文字通りに「体を張って」唱えたのか、
なぜ従来の多神教ではダメなのか、
一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教のそれぞれに、
果たして本質的に多神教を否定するような合理性があるのか、
各々の教義、それ自体の中に、他の条件ナシでそれ自体の理屈に基づいて、
要するにアプリオリに、
「だから多神教は駄目なのだ!」
と言うような、合理的な理由~説明は見いだせるのか、
ということなんですけど、
難しかったですかね?
カーバ神殿 ウイキより
Muhammad Mahdi Karim Facebookhttps://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=75866248による