今月のウクライナ-187

さて、「今月のウクライナ-170」の後半で
過去ログの間違いに関してゴチャゴチャ述べてますが、
ここを読む前に、是非ご一読ください。
読んだら、「今月のウクライナ-170」で引用している過去ログを、
是非ご一読ください。
で、読んだら、ナントかここまで戻ってきて下され。
ハナシはそれからだ!

で、シベリアの少数民族をザザッと見てまいりましたので、
何となくイメージもしやすかろう、と思います。

センセのブログを読んだおかげで
もはや皆様の脳裏にしっかりと焼き付いて夢にまで現れたであろう
「寒冷乾燥の環境に身体的に猛烈に適応した人たち」が、
極東の沿海州から朝鮮半島、満州、モンゴル平原にかけて、
半島を南下する、小国家を作る、大国家を作る、そして最後には
極東~中央アジア~中近東~ヨーロッパにまたがる
史上まれに見る一大帝国を築き上げることとなりました。

もちろん彼ら以前に、
匈奴(フン)、鮮卑、柔然(アヴァール)、突厥、ウイグル、
などがおりましたが、
モンゴルによって全て上書きされ、さらにその後は、
ツングースから身を起こした女真系の大清帝国の時代を迎えることとなります。

で、初めはトナカイを飼っていたりサケ・マスを獲っていたり、
あるいはおしっこで顔を洗っていたりしてた連中ですが、
紀元前 2~3 世紀ころはこういうカンジでした。以下。

東アジア C2-1.bmp紀元前 2~3 世紀ころの極東地域  センセによる

濊貊(わいはく)は、正しくはに分かれます。
本来は別々の部族だったようですが、兄弟部族みたいな関係だったので、
普通、濊貊と表記されます。
で、彼らが
「今月のウクライナ-170」で訂正されているツングース-2系の先祖です。
「今月のウクライナ-170」で述べている通り、
1系、2系というのはセンセの造語ですので試験では書かないこと!
で、地図で描かれているように、
濊貊はもともと松花江上流域に住んでいたようで、
この地からは彼らの拠点となった濊城も発掘されています。
中国の三国志には濊の記載がありますが、
これによれば、濊の言語~風俗は高句麗とあまり変わらず、
人々の性格~振舞もしっかりしていて、
濊貊の文字から連想されるイメージとは異なり、ナカナカ高評価です。
靺鞨の連中とは大違いです!

で、地図は高句麗登場前のもの。
濊貊から扶余(ふよ)、沃沮(よくそ)、高句麗の流れができますが、
中国の史書によれば、いずれも言葉は似たようなものであったとのこと。
で、恐らくというか間違いないというか、
彼らの遺伝子的情報はないと思いますので確かなことは言えませんが、
C2 主体のツングース系であったと思われます。
で、図の粛慎の連中とは言葉が通じなかったとのことなので、
センセが勝手に濊貊系をツングース-2、
粛慎に連なる連中をツングース-1とした、
ということです。

繰り返しますが、
試験には書かないでね!