今月のウクライナ-188

イランがとうとう泣く子も黙る恐るべき無慈悲極まる報復を開始しました!
イスラエルに向けてシャヘドを含む無人機を 200 機以上飛ばしたとのことです!
これは大変だ!
で、イスラエルと米英は、これの殆どを撃ち落としたとのこと。

「いや~、とうとう報復したぞ!皆の衆!爽快爽快!」ハメネイ談。

そんなことよりも、ヨルダン西岸地区で再び
イスラエル入植者による無法が頻発しているようです。
本来は土地を巡る争いであった紛争ですが、
自らの正当性の根拠として
「ヤハウェの神がこの地は我らのものと約束されておる!
(自分たちが書いた)旧約聖書にそう書かれておる!」
ということになって宗教が絡むように・・・。

「そうかいそうかいそれでは仕方ないよね WWWWWWWWWW」センセ談。

さて、濊貊(わいはく)を祖とするツングース-2 系ですが、
彼らから扶余(ふよ)や沃沮(よくそ)、さらには高句麗が出てきます。
沃沮は単に日本海沿岸部に居住していた同族、ということらしいです。
よくそ~言われます。
が、扶余ともなれば中国文化の影響もあって国家の態を持つようになり、
当時の満州において影響力を持つ一大勢力となりました。
高句麗建国の王は扶余出身ということもあり、
さらには後の百済(くだら)の王は高句麗の末裔と自称しているところから、
百済と近しい関係にあった倭には、
濊貊~扶余~高句麗~百済へと続く
言語を含む何らかの文化的影響力が及んでいる、
と考えるのは合理的だと思います。

東アジア C2-2.jpg西暦 2 世紀ころの東アジア  センセによる

この図からも明らかなように、
ツングース-2 の祖たる濊貊人は強大となった扶余や高句麗に押され、
半島を南下していったようです。
で、この半島南部、韓と呼ばれていた地域には、
水田稲作や海士漁文化を伝えた長江下流域から来た O1b2 の連中や、
「♪ ア~リラン~」とか歌っていたツングース-1 系の連中、
さらには中部は長らく中国王朝の統治下にあったおかげで
漢族系である O2 の連中も多くいたであろうことから、
これらの連中と混交したりケンカしたりで小さな谷ごとに小国が乱立。
長江系が多く居た西南部は馬韓、
ツングース-1 系が多く居た東南部は辰韓、
両者に挟まれた連中は弁韓として、
大雑把なまとまりを見せるようになります。

個人的には、
ツングース-2 系の連中は遼河文明の N の影響も強く受けているのでは?
と思っています。
何しろツングース-1 系よりも内陸部に居住し、
遼河文明にも直接に接していたわけですから。
で、遼河文明の連中はこの地でいち早く農耕を開始していた連中なので、
扶余や高句麗ではコウリャンなどのキビ作が発達し、
さらにはその後の黄河文明の恩恵にも浴して養豚や養蚕も盛んになり、
さすがに水田稲作は無理でしょうが、
より北方のトナカイを飼っていた連中に比べて圧倒的に豊かになり、
鉄器の生産も盛んになりで、
歴史に名を残す王国を築き上げることに成功しました。
歴代中国王朝や同族である高句麗などとはケンカしたり仲直りしたりで
相変わらずの振舞ですが、
そんな扶余も、
西暦 494 年
ツングース-1 系の勿吉(もっきつ、靺鞨)に滅ぼされてしまいます。