今月のウクライナ-95

トルコの地震、現時点ですでに阪神淡路大震災を凌駕する!
リアルタイムでビルが丸ごと崩壊する映像が一つ二つどころでない!
スウエーデン、なりふり構わず援助に駆け付けろ!
目覚ましい働きをして、エルドアンに翻意を促すのだ!


さて、山東省の塩の密売人であった黄巣(こうそう)は、
唐王朝の政治の混乱で生じた民衆の怨嗟の波に上手く乗り、
緑林(りょくりん)の徒よりなる反乱軍を組織して勢力を南方に拡張します。
緑林の徒とは、無頼の輩、くらいの意味です。

で、民衆を巻き込んで膨れ上がった黄巣軍は、福建省から広州に至り、
ここで幅広く商売をしていたアラブ人をどういうわけか大量虐殺!
殺されたアラブ商人の数は 10 万人以上にものぼると言われてます。
この勢いに乗って北方に転じ、長安の都に向けて進軍を開始!
当時の皇帝は玄宗と同じように蜀の国へと都落ちした結果、
黄巣軍は長安を簡単に占領して、
新たな皇帝として国号までも大斉と変えてしまいます。

こんな国号は覚えなくて良いです。試験にも出ません。たぶん・・・。

で、「おらたちは民衆の味方だあ~よ!」とか最初は言ってたのですが、
如何せんヤクザの集団に過ぎない連中でしたので、
あっと言う間に略奪者集団に早変わり・・・。
態勢を整えた唐軍は、
突厥軍閥の李克用(り・こくよう)と連合して長安を包囲!
黄巣軍のごろつき将軍の一人であった朱温(しゅ・おん)は
形勢不利とみるや黄巣を裏切って唐軍側に寝返ってしまいます。
ここに黄巣、事極まって自害に至り、884 年、黄巣の乱は終息。
手柄を立てた朱温は皇帝より全忠(ぜんちゅう)の名を賜り、
以降、朱全忠(しゅ・ぜんちゅう)と名乗りますが、
黄巣壊滅に功の有った李克用と朱全忠、
たちまちに対立関係となり果て終わんぬ・・・。

で、武力では李克用にかなわなかった朱全忠ですが、
悪賢さでは頭一つ抜きんでていたようで、
時の皇帝を手玉に取って唐の王朝を手中に収め、宦官勢力を皆殺し!
返す刀で多くが貴族からなる政府高官連中を全て騙し討ちにし、
こららの遺体を黄河に沈めて唐の行政組織を根こそぎに!
さらには首都を長安から洛陽に遷都し、
皇帝をしばし幽門したのちこれをサッサと殺害!
その後は皇族を根絶やしにして 13 歳の最後の幼帝にお定まりの禅譲を迫り、
907 年、ここに大唐は、
全きの忠であるはずのオトコによって、終焉を迎えることとなりました。

朱全忠.jpg朱全忠の像  
中国の禁聞というサイトより無断でお借りしました。ARIGATOGOZAIMASU!
https://www.bannedbook.org/bnews/lifebaike/20170501/752981.html
このサイトでは、全不忠的朱全忠と書かれてます。納得・・・。
それにしても中国の歴史って、最後は必ずこのパターン・・・。
ここに書くのも、実のところ、嫌になりますね・・・。


で、朱全忠、都を河南省の開封(かいふう)に置き、
国号を(りょう)と改めます。
中国全土に号令を発するつもりの彼ですが、
すぐ隣にはライバルの李克用も居り、
各地には半ば独立した節度使=藩鎮(はんちん)=地方軍閥が割拠し居り、
まさに群雄割拠の状態となってまいります。

五代十国時代の始まりです。