今月のウクライナ-186

さて、シベリアの少数民族を一通り概観しましたので、
お次は極東の歴史時代に突入したいのですが、その前に、
これらの少数民族を眺めていていくつか興味深い点があるので
これをちょいと語ってみたいと思います。

ネネツ(サモエード)の写真から明らかなように、
遼河文明を築いた N の連中は典型的なアジア系の顔立ちをしています。
Q のケットの本来の顔立ちがどうなのか、不確定としておきますが、
新大陸に渡った Q は、基本的にアジア系の顔立ちです。
けれども同じインディアンでも、
映画などでおなじみの北米インディアンは基本的アジア系とは結構異なる。
Q + C2 ではああはならない。
過去にヴァイキングの一部が北東部に入植した可能性を考慮に入れても
ああはならないだろう。
となると、基本の Q が新大陸で地域ごとに独自に変化した、
ということになりますが、それはごく自然だと思います。

で、シベリア少数民族の中でも
C2 の低温乾燥環境への適応が非常に印象的です。
この先 C2 の歴史時代の大拡散、特にモンゴルと清王朝のお話になりますが、
この低温乾燥適応の C2 の大拡散前のアジア人の顔立ちとして
今月のウクライナ-168」で紹介した台湾原住民を挙げときましたが、
個人的には、ああいう顔立ちがアジア人の基本型かな?と思ってます。
※中国語では先住民=すでに死に絶えた人々、となるので、
この場合は原住民が正しい、とのことです。以上、ウイキより。
センセの祖母、父方も母方も、によく似ています。
YDNA としては O に代表される連中です。
フェゴ島の先住民の顔立ちを見る限り、
たぶん、Q もそうだったと思いますが・・・。

で、C2 の低温乾燥への適応は比較的新しい時代に生じたと思われるので、
C2 の東西南北への大拡散の結果として
現代の我々が知るような、
アジア人の様々な顔立ちのヴァリエーションが生まれた
と考えられます。
基本は O です。
これに南方ではネグリト系が混交する。
日本では縄文人~アイヌ人が混交する。
C2 的形質には明らかに北 → 南の勾配が見られますので、
この流れは分かりやすい。

台湾原住民は実のところ物凄い連中で、
過去には台湾から大海原に乗り出し、
フィリピン~マレーシア~インドネシア~ミクロネシアは言うまでもなく、
当時は無人の地であったポリネシア全域を我がものとする。
最終的にはマダガスカル、ニュージーランド、イースター島にまで到達し、
多くの野生生物絶滅の原因となる。
ハワイ先住民の顔立ちは台湾原住民のそれと全く同じではありませんが、
これは途中でニューギニアやメラネシアの血を拾ったと同時に、
やはりその地その地で独自に変化したことによるものかと・・・。

で、出アフリカ時の連中は当然ながらアフリカ人だったわけですが、
海岸沿いに東に向かって拡散して南方域に留まった連中は
色々なヴァリエーションはあるものの、
押しなべて南方系の形質を維持している。
C2 の猛烈な寒冷乾燥への適応を考えても、
やはり、人種的形質は気候風土への適応の結果である、
ということがはっきりと理解されます。
同様に、北欧諸人種の脱色化もまた、
日照不足への適応結果であるのは明らかです。
となりますと、
スンダランドから北方に移動し、
長江流域あたりで長い間暮らしていた連中が O の先祖で、
そこら辺の気候風土が「原アジア人」的な顔立ちをもたらした、
と考えられるわけですが、
そうなりますと、
新大陸の Q もまた、基本、原アジア人的特徴を有するのは何故だ?
今月のウクライナ-100」で紹介したケット人ですが、
mtDNA を見る限りは東南アジアの血が 3 割も混じっている・・・。
となると、やはり QR の祖型である P はイラン発ではなく、
他の多くのハプロと同じくスンダランド由来なのか?
仮にそうであるとしたら、
印欧語族もまたスンダランドから来たということになるが、
本当か?!
いや、そうではなく、
イランから北上し、マンモスを追ってシベリアを東進している間に
アジア的形質を獲得した、という可能性も十分ある。
連中、まだトナカイを訓化していなかったので C2 のようにはならず、
原アジア人的にはなったけど、そのまんま新大陸に渡った、
ということか?

などと、頭の中に春霞を抱えたまま
どうでもいいようなことばかり考えているセンセです。