今月のウクライナ-191

さて、高句麗です。
後の時代の高麗(こうらい)とは異なるので、ご注意ください。
ウイキでも言及されているように、高句麗の古名として貊(はく)があります。
濊貊(わいはく)の「はく」です。
ここからも、濊貊~扶余~高句麗の流れが見て取れます。

東アジア C2-3.jpg4~5 世紀ころの極東アジア  センセによる

で、このですが、日本では狛(こま)と変化します。
世田谷区狛江市の「こま」です。
神社などでおなじみの、狛犬(こまいぬ)のこまです。

で、なんで貊が狛に変わったのか、調べても分かりませぬ・・・。
「狛の字は日本の漢字であり、中国本来の文字ではない!」
とかいうヒトも居られますが、裏付けが取れませんでした・・・。
いずれにせよ、
高句麗~高麗と書いて「こま」と読ませる地名が日本にはたくさんあります。
以下。

高麗川(こまがわ):埼玉県西部を流れる川。
センセは昔この川でヤマベ(オイカワ)を釣った。
高麗郡(こまぐん):埼玉県飯能市や日高市を含む地域の古名。
センセは昔、ヤマハの XT200 を駆ってここら辺から秩父方面へと向かい、
長瀞から山梨の県境まで行ってキャンプをしようとしたが、
めんどくさくなって日帰りで帰ってきた。
帰りがけの駄賃で高麗川でヤマベ(オイカワ)を釣った。
世田谷区狛江市:センセが昔住んでいた豪徳寺から南西の、多摩川沿いの場所。
古墳とかがたくさんある。
京都・木津川市「上狛」「下狛」:高句麗~高麗とは書かないが、
高句麗と関係の深い場所。
神奈川県平塚市大磯町の高麗神社:ここのブログは面白いのでご一読を!
高麗神社は、現在では名称が変わっているようです。

その他にもたくさんあると思いますので、どうぞご自身で調べてみて下され。
668 年に高句麗が唐・新羅連合軍に滅ぼされたあとに日本に渡って来た連中、
いわゆる高句麗系渡来人由来の地名であるのは明らかですね!

で、よく考えると高句麗と書いて「こま」と読ませるだけでなく、
百済と書いて「くだら」と読ませる、
新羅と書いて「しらぎ」と読ませる、
何故なんだ?
色んなヒトがいろんな説を述べてますが、もちろん、決定的なものはない。
ただ、一つだけはっきりしていることは、
これらは日本に漢字が伝わる前からの名称だ、ということだ。
当時の日本、人々が半島と大きく関わっていたことは明らかで、
より古くは、半島東南岸部には海士漁をする縄文人も住んでいた。
弥生時代ともなれば、鉄を求めて多くの弥生人が海を渡った。
ヤマト政権成立後には任那府(みまなふ)が置かれるなどして、
当時の加羅(から)の地域には利権も発生した。
この地にヤマト政権の影響が強く及んだことは、
考古学的証拠からも明らかだ。
有名な高句麗の広開土王(こうかいどおう)とヤマトとは、
教科書でおなじみの広開土王碑などでも明らかなように、
4~5 世紀にかけて何度も戦を交わしている。
日本書紀が成立するのが 8 世紀であるから、
未だヤマトの連中は漢字を知らない。
なので、「こま」も「くだら」も「しらぎ」も、
当時の倭人がこのように呼んでいた連中に、
後に中国から伝わった漢字を充てたものであるのは明らかだ。

すなわち、古来よりわ~くにが半島に対して
何かとちょっかいを掛けていたことを傍証するものだ。

因みに、昔は「からてんじく」という言葉は「世界」を表す言葉であったが
普通は「から=唐、てんじく=天竺=インド」と考える。
天竺=インドは OK として、「から」が唐であるのは何故であろうか?
と思っていましたが、
こま~くだら~しらぎの流れから、
「から=加羅~伽耶(かや)~金官国(駕洛国)」の流れがすぐわかる。
要するに、「海を渡った異国の地=から」が、そのうち「唐」のことになり、
最後には「からてんじく」となって「世界」を表す言葉となった、
ということでしょうね。