今月のウクライナ-100

今月のウクライナも今日で節目の 100 回!
未だ終わらぬ特殊軍事作戦!
西側からの新式戦車も到着し始めた!
対するロシアは T54 やら T55 やらを博物館から搔き集めつつある!
リンゴの花ほころぶうららかな春のとある一日、
ここに 21 世紀版クルスク大戦車戦が展開するのか?

それともバフムトの七面鳥狩りの始まりか?


さて、遼河文明やら黄河文明やらが華やかなりし頃、
トルコ~モンゴル~ツングースのご先祖さま達は
トナカイを飼ったり、あるいは狩猟採集~漁労をしながら
文明の辺縁に細々と生きていたわけですが、
その頃、西の彼方からはるばるこの地にやってきた一群の人々がおりました。
印欧系の人々です。
彼らは主に羊の遊牧を行い、草を求めて移動する羊たちにあわせて
馬に引かせた車、
すなわち馬車に乗って広域を移動する生活を送っておりました。
まずは YDNAR1b に属するトカラ系の人々が、
次に R1a に属するイラン系の連中が、
黒海周辺からアルタイ山脈、あるいはモンゴル高原にまで、
中央アジア一帯に、生活域を拡充していきました。

もっと言うならば、より昔の旧石器時代においては、
一部の R はマンモスを追ってバイカル湖畔にまで到達し、
さらには R より派生した Q に至っては※大動物を追って
氷で覆われたベーリング海峡を渡り北アメリカ大陸に到達、
その後に南下し、
とうとう最後には南アメリカ大陸の南端のフェゴ島にまで、
生活圏を大きく拡大してしまいました。
いわゆるアメリカインディアンです。
QR より派生したのではなく、
QR 共に両者の共通祖先である P から生じた、というのが正解です。
訂正いたします。

一部の C2 もアメリカ大陸に進出しましたし、
インディアンの祖先が東シベリアにいるときには
アイヌの祖先と交わった可能性も指摘されてますし、
アジア大陸からアメリカ大陸に渡ったのでインディアンはアジア系、
という言い方も必ずしも間違いというわけではないのでしょうが、
YDNA 的に見た場合、
少なくとも東アジア系の我々とは大きく由来が異なる人々である、
と言えるかと思います。
特に、シベリアを横断してベーリング海峡を渡ってきたにもかかわらず、
立派なわし鼻を顔の真ん中に有しているなど、
形質的にも相当異なります。
一方で、特に北アメリカの草原インディアンの文化などは
シベリアの少数民族のそれと共通点も多く、
文化の収斂進化の結果なのか、興味深いです。

興味深いと言えば、シベリアの少数民族にケット人というのがおりますが、
彼らの Q ハプロは 93.7% にも達し、
言語学的も周囲のアジア系少数民族とは全く異なり、
むしろ北アメリカインディアンのナ・デネ族の言語につながるなど、
間違いなくアメリカに渡る途中で「ここら辺でいいんじゃね?」
とか言って諦めてシベリア住まいを選んだ連中だと思います。

彼らは、現在ではロシアのクラスノヤルスク州に極々少数が住んでます。

YDNA  Q.jpgYDNA Q ハプロの分布。北部シベリアの中央部がクラスノヤルスクです。  
ウイキより


で、ウイキに彼らの写真が載ってますが、
明らかにコーカソイド的な顔立ちをしています。
17 世紀頃にはこの地にはロシア人が入植してきてますから
彼らの血が多かれ少なかれ混じっているのは自然ですが、
YDNAQ の割合が 93.7% という事実を考えると、
R1 が多くを占めるロシア人と広く深く交雑した可能性は低く、
むしろ形質的にはもともとコーカソイドであった、
と言うのが真相に近いと個人的には思います。※
※その後、どうも確信が持てなくなりました・・・。

ケット人.jpgケットの人々。髪は直毛の黒髪が多いように見受けられます。
どこの部族であろうとも、子供たちは可愛いですね!  
ウイキより


アメリカインディアンは元々コーカソイド的形質を有していた人々であったが、
シベリアで過ごしている時にまわりの C2 の影響を受け、
さらにはアメリカ大陸を南下する間に土地土地の気候風土にあわせて
自ら変化を遂げていった人々なのかも知れません。※
※その後、これまたどうも確信が持てなくなりました・・・。

また、忘れてならないのは、旧石器時代の C2 は、
必ずしも現在のモンゴロイド的特徴を強くは有してはいなかった可能性がある、
ということです。

本日から本格的にトルコ系のお話をするつもりが
どういうわけかインディアンの話に変わってしまった・・・。