坂城散歩道-9

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みなさまこんにちわ!今日もブログを更新しますよ!

先週の日曜日、近場の山を登ってきました。
ここ坂城盆地は、西は千曲川が走り、他の三方は山で囲まれた、天然の要害と言ってもよいところです。戦国時代に坂城を治めていた村上義清は、これらの山々の多くに山城や狼煙台(のろしだい)を設け、武田信玄との戦に備えていました。
「坂城散歩道-3」ではそのうちの一つ、坂城町の北面にそびえる葛尾城跡をご紹介しましたが、本日は南面の守りである和合城跡をご紹介します。

~ (4).jpg
Googleの航空地図で見てみると、上田市から国道18号線で坂城に入る時に最も幅が狭くなる場所です。実際、国道の幅しかありません。ここを押さえておけば、少なくとも千曲川東岸は、進軍不可能となるはずです。


~ (3).jpg
すぐ近くのスーパー駐車場から撮った全景写真。センセがいつも利用しているスーパーの裏に、登山口があります。


~ (2).jpg
ここが登山口。


入り口の道祖神.jpg
登山口には一対の道祖神が・・・。登山の際にはお祈りしませう。


入り口のお墓.jpg
入り口は墓地になってます。左の道が、登り口。山の中腹まで一気の直線です。甘く見ない方がよい・・・。


登り-1.jpg
なかなかガレてます。石の上に足を乗せるとコケるので注意!


登り-2.jpg
中腹からはつづら折りの道になりますが、道幅も狭く、ほとんど獣道状態。おまけに山頂に近づくにつれてツンドラ状態になって滑りやすくて結構怖い・・・。
しっかり登山靴を履いて登りましたが、アイゼンが欲しいくらい・・・。


下り-1.jpg
日が当たる場所には雪はない。結構な斜面だと分かる。


看板-1.jpg
ようやく尾根に到達!もう少しだ!


堀切-1.jpg
尾根づたいに和合城跡を目指して進むと、いきなり堀切(ほりきり)が・・・。
山城めぐりはこういうところが面白い!


郭へと続く道.jpg
堀切を渡ってさらに進むと郭(くるわ)らしきものが・・・。


看板-3.jpg
町の教育委員会が設置した看板。文字はナンとか読めるが、せっかくの絵が・・・。これでいいんかい!これを言いたかっただけなので、あまり気にせんといてください)


頂上の木.jpg
郭の前にそびえる木。葉っぱが無いのでよく分からないけど、エノキ?ケヤキ?


郭-1.jpg
ようやく先端の郭に到着!ナンか、203高地みたいで、中からロシア兵に狙撃されそうな雰囲気・・・。


郭の看板.jpg
やった~!バンザイ!日の丸をふりたい気分だね!


坂城方面-1.jpg
北面の坂城側を臨むと、遠方には北アルプスの白い峰が延々と・・・。
右の段々の山が、葛尾城跡。


塩田平.jpg
こちらは反対の塩田平。山の先端がプッツリと切れてますが、あれが岩鼻。
そのうち紹介いたします。


上田方面-1.jpgこちらは上田市。上田と坂城、両方に睨みをきかせる場所であることがよく分かります。この先端の郭は、狼煙台として使用されていたそうです。


陣場平方面.jpg
陣馬平方面。そのうち、ここから虚空蔵山に向かって進軍しようと思ってますが・・・、どうなりますか・・・。


下りの道.jpg
下りの道。あいかわらずガレてます。ひっくりこけてお尻でも打ったら大変!

和合城址までの地図.jpg
本日のルート。スーパーまではジムニーで行きました。
次回は「晩冬の和平(わだいら)高原」をご紹介いたします!

坂城散歩道-8

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みなさまこににちわ!お元気ですか?
厳寒の中にも段々と春の気配が・・・という今日この頃です。
仕事を終えて帰る時も、ちょいと前までは真っ暗だったのが、最近はうっすらと明るくなり、少しずつ日も長くなりつつあるのが感じられます。厳寒の日々から開放されるのももうじきですが、いつなんどきぶり返しが来ても可笑しくないのが今の時期ですので、まだまだ油断はできません。

というわけで、先月中旬に列島を襲った大寒波のあと、お天気になって気温も上がったので、菅平(すがだいら)に10数年ぶりに2週連続でスキーに行ってまいりました。スキーに行ったことなぞわざわざ紹介するまでもないと思いますし、取り立てて取り上げるべき話題もないですし、おまけに「菅平」って「坂城」じゃないのになんで「坂城散歩道?」っていう突っ込みも重々承知の上で、あえてご紹介させていただきます。何故か。


「雪のゲレンデがあまりにも美しかったから・・・」。


菅平-1.jpg
で、どうです?やっぱ良いですね!
坂城から菅平まで、車でおよそ50分。昨年買ったジムニーの新車で行きました。


ジムニー.jpg

ジムニー、可愛いですね!特に白のジムニーはスキー場では保護色で、北極キツネみたいです。
センセは昔、第一世代の幌付きオリーブドラブのジムニーに乗ってました。爆笑話が満載なんですけど、そのうちお話しますね!


ゲレンデ.jpg

正面に見えるのは隣接する「つばくろ」のスキー場。さ、いよいよ滑るぞ!!!


根子岳.jpg

本日2月22日は「猫の日」だそうですが、こちらは根子岳(ねこだけ)。以前は頂上までのヘリコプター輸送も行っていましたが、スキー人口が減少した現在、サービス停止のようです・・・。リフトも何本か停止してました。

センセがスキーを始めた頃はカービングなんか無く、真っ直ぐで長いヤツしかありませんでした。だもんで、「スキーとは転ぶことと見つけたり!」そのままでした。菅平で初めてスキーに行ったのが、今から14~5年前。初めはレンタルで昔タイプの板を借りてましたが、ほどなくカービングが登場。ブーツやその他と共にひとそろい購入して、それからはしばらく毎年のように通ってました。でも仕事が忙しくなってそれから10数年ご無沙汰。で、ここにきて研究所にもヒトが増えてきてようやく時間がとれるようになりましたので、カービングスキーの上に積もってたチリやほこりを払って、久方ぶりにゲレンデの上に立つことができました。

で、その結果・・・。二日とも2回ずつすっころびました・・・。加えておよそ二週間の間、背中~腰~ふとももの痛みに悩まされる羽目に陥りました・・・。
ホント、バイクと言いスキーと言い●●●と言い、転んでばかりのセンセの人生でございます・・・。

菅平までの地図.jpg

坂城散歩道-7

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みなさまこんにちは!ご機嫌いかがでしょうか?
ここにきて日本列島は寒波に見舞われてます。先日の京都の女子駅伝でも、選手の皆さん、雪の舞う中、たいそうがんばっておりました。
で、TVを見てるうちに「オレもがんばるぞ!」とばかりに、雪の降る中、いつもバイクで走ってる裏山の林道をお散歩することにしました。酔狂ですね!

雪の坂城町 170114.jpg

第一研究所からの南方面の眺めはこんなカンジ。雪はそんなに深くない。
で、ポクポク北に向かって歩き始めました。
装備は長靴、化繊の綿入れみたいなズボン(これが暖かい!)、本物の米軍払い下げのアラスカコート(むっか~しアメ横で買った)と重装備!いつなんどき遭難しても大丈夫だ!

で、ほどなく長野自動車道の坂城インターへ到着。そこから横に入って、水晶山登山道へと向かう林道、水晶線入り口に到達した。
写真で見るとおり、誰の足跡も無い!センセが一番乗りだ!ヤッホー!!!


雪の水晶線 170114.jpg

先日歩いたときは、カモシカの足跡がついていたけど、今日はホントに何の跡も無い。ひたすらセンセの足跡をきざむのみ!



人生の軌跡 170114.jpg

で、きざんでみました。
おっと~、後ろを振り返っちゃあいけない!前を向くんだ!前を向いて、ひたすら進むのだ!GO! GO! センセ!行け行け センセ!


川止め 170114.jpg

右側は小さな渓流。御堂川の上流部。でも、小さすぎて流れはいつもチョロチョロ。魚影も無い。ところどころに魚止め(砂防堤)がある。

ここまでずうっと登りの道だが、そんなに急じゃない。足慣らしには適度な勾配だ。でも、さらにどんどこ進むと、比較的急な坂道となる。左に右に折れ曲がり、S字状のところもあるので、センセのバイクの練習場ともなっている。

登坂開始 170114.jpg

ここが上り坂の入り口。さすがにこの雪道を水晶山の登り口まで行く気はないので、ここから引き返しました。

あ~良い運動だった!往復でたった4~5km だったけれども、軽い登りの雪道の散歩、スキーよりもよっぽど運動になるね!これでカモシカ君と遭遇できればもっと楽しくなると思うけど。この林道では、以前にいきなり出会ってにらめっこしたことがある。カモシカだったから良かったけど、熊もおるでな・・・。

以下、本日のルートです。そのうち林道奥までバイクで行って、その後は水晶山まで登山しようと考えてます。ではまた!

水晶線まで 170114.jpg

昭和40年代:時代と音楽-38

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ここ数日、坂城は本当に寒い日が続いてます。今朝も最低気温が零下7℃。このような厳寒の日々がこれから2月半ばまで続くわけですが、このような中、さすがにバイクに乗る気力はありませぬ・・・。また、この時分は少し山の方に入ると至る所で凍結した路面に遭遇しますので、バイクに乗るべきではありません。どうしますかね?やっぱ、スキーだね!10数年ぶりに、近場の菅平にでも行ってくるかな?

と、連休初日に考えたセンセですが、二日目には早くも挫けることとなりました・・・。だって、昼から雪が降るって天気予報で言ってるし・・・。スキーだから雪が降って当たり前?いやスキーもやはり、快晴の中でやりたいよね!(明らかに出不精の言い訳です・・・。)

さて、長々と続いてきた「昭和40年代:時代と音楽」シリーズ、そろそろ締めくくりの時も近づいてきました。ざっとまとめてみますね!

センセが小学校4年生の昭和39年=1964年に東京オリンピックがありまして、翌年の昭和40年に世田谷区から足立区に移りました。当時の足立区はまだまだ田舎で、見渡す限り田んぼだらけの世界でした。世界の音楽シーンではビートルズとローリングストーンズに代表されるリバプールサウンドが席巻していた一方で、日本ではベンチャーズや加山雄三、平凡パンチやアイビーファッションが流行しておりました。世界情勢としては、米国の北ベトナムに対する北爆開始や、黒人過激派指導者のマルコムXの暗殺事件などがこの頃です。日本国内は佐藤栄作首相の長期政権下にあり、朝永振一郎博士がノーベル賞を取ったのが、この年です。

昭和41年=1966年=小学6年生時にビートルズが来日。GSと呼ばれたグループサウンズが登場し始めたのが、この頃です。ファッションも、アイビーカットからマッシュルームカットに移行。ミリタリーファッションなんてものも、流行りだしました。中国で文化大革命が始まった年でもあります。

昭和42年からの3年間=1967~69年=センセの中学時代ですが、ビートルズは公演を停止し、実験的音楽を量産し始めた時代です。リバプールサウンドに代わり、サイケデリックサウンドやジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンなどのよりハードなロックが史上最大の盛り上がりを見せ、1969年のウッドストックに結実した時代です。マッシュルームカットから長髪、ヒゲ、バンダナ、パンタロンやミニスカートなど、若者文化はレインボーカラーのサイケデリックなものが花盛り。フラワームーブメントがピークを迎え、ヒッピーやフーテン、アングラ文化が登場した時代です。国際的には米国がベトナムで枯葉作戦を開始、ソンミ村事件、プラハの春、キング牧師暗殺、ロバート・ケネディ暗殺、パリ五月革命勃発、いよいよ過激さを増す中国文化大革命、ニクソン政権誕生、アポロ11号の人類初の月面着陸など。国内的には、美濃部都知事就任、激しさを増す学生運動、川端康成氏ノーベル賞受賞、東大紛争~安田講堂占拠事件、府中の三億円事件、金嬉老事件など。TV「ゲバゲバ90分」のハナ肇、「アッと驚く為五郎~!」は、日本中を席巻した一大流行語となりました。

センセの高校時代の昭和45年から47年=1970~1972年、ビートルズは解散し、各メンバー毎に活動する時代に。特にジョン・レノンの「Mother」や「Imagine」は、その後の彼の「平和の伝道師」的なイメージを高めました。ただし実際の彼はそのようなイメージとはかけ離れ、内面的には大きく苦しんだ時代であったようです。ロックシーンにおいては、レッド・ツエッペリンやディープ・パープルなどのハードロックの全盛期。一方でCCRやサンタナ、ロッド・スチュアートなどがヒットを飛ばした時代でした。Grand Sweat Revivalが自由が丘でデビューした時代でもあります(同時解散)。R&Bはソウルミュージックとなり、ジャクソン5やカーペンターズが大活躍し始めた時代です。世界情勢は、ベトナム戦争や文化大革命は相変わらず、中華人民共和国の国連復帰~台湾の脱退、ニクソン大統領の突然の中国訪問~その後のウオーターゲート事件など。国内的には、三島由紀夫の切腹事件、大阪万博開催、よど号ハイジャック事件、ドルショックによる円の変動相場制への移行、浅間山荘事件、横井軍曹グアム島で発見、沖縄返還、田中角栄内閣の誕生、といったところでしょうか。松平監督率いる男子バレーチームがベルリンオリンピックで金メダルの快挙を達成したのが、この当時です。公害問題が一世を風靡し、光化学スモッグがしばしば発生。東京から富士山は見えないのが当たり前であった時代でした。

以降はソウルのダンスミュージックやフィラデルフィアサウンドなどの全盛期となり、ウッドストック時代の典型的なロックサウンドは影が薄くなっていきます。そして1976年、イーグルスの「Hotel California」によって、60年代ロックは自ら終止符をうつこととなりました(と、解釈されています)。1973年にはブルース・リーの「燃えよ!ドラゴン」が登場!海外文化=欧米文化一点張りであった時代に、アジアから風穴が開いた瞬間でした。
1975年、南ベトナム政府の首都であったサイゴンが陥落。ここにベトナム戦争は本質的に終了します。1976年の毛沢東の死去後、いわゆる「四人組」が逮捕され、ここに文化大革命も終了を迎えます。現在、GDP換算で世界第二位の大国となった中国が、強大国たるべく離陸を開始した瞬間です。国内では1973年に第一次オイルショックが発生し、時代の雰囲気は、「政治の時代から経済の時代」へと変貌を遂げていきます。国内の学生運動は組織間での血みどろな「内ゲバ」に変質し、国民の支持を完全に失ってゆくこととなります。

そして1980年12月8日、ジョン・レノンは、アメリカNYにおいて、狂信的なファンによって、拳銃にて殺害されます。齢40でした。ここに60年代のあの狂騒が、完全に幕を閉じることとなりました。合掌・・・。



そしてボブ・ディラン。今年で76歳。もち、ノーベル賞。長生きしそうだね、ボブ?聞いてる?