今月のウクライナ-168

地震から 2 週間たち、多くの関連映像が TV やネットに溢れている。
それらを見るにつけ、震度 7 の凄まじさが良く分かる。
地震、火山の爆発、台風、大雨、河川の氾濫、山崩れ・・・。
日本全国どこに住もうが逃れることのできない自然の猛威だ。
「もういいっ!」
とも言いたくなりますが、
こんな時にこそ神様が手を差し伸べてくれれば良いのですけど、
肝心な時に居ないのが神様、ということでして・・・。

米英軍、さすがに頭にきてフーシ派拠点を連日の攻撃。
フーシの連中、イランに焚きつけられてイキっているのは分かるけど、
少しは頭が冷えたかな?
それにしても、
イエメンとかソマリアとかスーダンとかニジェールとか中央アフリカとか、
一体なにが原因でそんなに延々と揉めているのか・・・。
貧する国はいつまでも鈍する、ということなのでしょうけど・・・。

さて、トルコ系~モンゴル系~ツングース系の三者は
押しなべて YDNAC2 に属します。
C2 は過去ログでもしばしば登場してますので、思い出してくだされ。
で、これら三者は言語学的にも一括りにされ、
言うところのアルタイ諸語に分類されます。
「私、ご飯を、食べます」の人々です。
C2 の出アフリカ以降の経路に関しては、
昔は中央アジアを横断して東北アジアに達したと考えられていました。
ウイキの ハプログループ C-M217 (Y染色体)の図でもそのように描かれてます。
けれども最近では、縄文系の D も含め、
基本的には東南アジア周辺(スンダランド)から北上したのでは?
という見解が増えつつあります。
以下のようなカンジです。

下の図で、満州あたりからカザフ方面への拡散が
トルコ系の西進を表現しているわけですが、
カザフから南方面、さらにはアナトリア方面への拡散が描かれてない・・・。
この理由を、トルコのイスラム化と結び付けて、今後お話していく予定です。

YDNA C.jpgYDNA C の拡散の経路と現在の頻度  Patagonian monsters より
Thank you very much!


で、この C2 の連中、トルコ~モンゴル~ツングースは良いとして、
北米インディアンにも多く見られる遺伝子タイプであることも
以前にお話しました。
で、トルコ~モンゴル~ツングースの連中ですが、
今月の書評-23」でもお話したように、
朝青龍や鶴竜のような顔つきの人々が本来です。
トルコと言っても現在のトルコ共和国の連中からは想像できないと思いますが、
何で朝青龍がエルドアンみたく変わってしまったのか、
話の流れの中でお話していく予定です。

で、C2 が東北アジア方面に来たのがおおよそ 3 万年くらい前と考えられ、
当初はマンモスなどの大型獣を狩っていたと思われます。
で、アジアの西方から来た YDNA の Q タイプの連中とシベリアで混じたのか
あるいは北米大陸に渡ったのちに混ざったのかは分かりませんが、
いわゆる北米インディアンの連中は、Q を主体として C2 が混じた人々、
ということです。
で、「今月のウクライナ-100」でお話したように、
シベリアの少数民族のケット人、彼らは Q の人々ですが、白人種です。
で、ここから面白くなるのですが、面白くないかもしれませぬが、
北米インディアンの顔って、白人 + 朝青龍、じゃないです!
独特です!

スー族の酋長.jpgスー族の戦士  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Portrait_of_Red_Bird.jpg


シッティングブルの写真.jpg
シッティング・ブルの写真  ウイキより
David F. Barry, Photographer, Bismarck, Dakota Territory
original period albumen print, Daniel Guggisberg historical
photographs collection,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=49833987による


で、「今月の書評-49」でも指摘したように、
C2 の連中が朝青龍顔になったのは比較的新しい時代で、
個人的にはトナカイの飼育によって寒冷暴露時間が長くなった結果、
強い淘汰圧がかかったから、と考えてます。
で、北米インディアンの場合は寒冷圧がかかる以前の C2Q と混ざった結果
このような独特の「威厳のある」顔つきとなったのでは?
と個人的に考えてます。
加えて、古代の Q そのものも
必ずしも現行の白色人種そのものではなかった可能性もありますし、
ベーリング海峡を渡った後の様々な環境に適応した結果としての Q
という可能性もあります。

では寒冷圧がかかる前の C2 はどんな顔だった?ということですが、
たぶん、台湾先住民のとある部族とか、
インドネシアとかマレーシアとかのとある部族とか、
言うところのオーストロネシア系に近い顔立ちだったのではなかろうか?
と、考えてます。
但し、オーストロネシア系の YDNA は O1a であり、
C2 とは系統が異なりますが・・・。

こんなカンジの人々です。

オーストロネシア系の婦人.jpgAcademic Accelerator より
https://academic-accelerator.com/encyclopedia/jp/austronesian-peoples

どこのなに部族か分かりませんが、
たぶん、台湾先住民の一部族の婦人だと思います。※
爪楊枝でシッシしてるんじゃなくって
タバコを吸っているのだと思いますが・・・。
※入れ墨の特徴から、タイヤル族だと思われます。

手と顔に入れ墨をしてますが、
八重山や沖縄の既婚の婦人も昔はしてました。
センセの父方の祖母も、手の甲に、
四角やらなんやらの幾何学模様の入れ墨をたくさん入れてました。

センセが小学校 2 年生のときに初めて石垣島に里帰りしたとき、
芭蕉布の着物を着たおばあちゃんがセンセの手を取って
「マーボー、よく来たね~~~♪」
と喜んでいたのをよく覚えています。
その時の手の甲の入れ墨も、大変よく覚えています。

台湾先住民の写真は「今月の書評-63」にも載せてますので
是非、参考にしてください。

で、今回は契丹(きったん)のお話をする前に、
行き掛けの駄賃で、
東北アジアの連中の素性について簡単に述べました。
因みに、日本人の間では C2 は非常に少ないです。
ここも面白いところなんだよね!