今月のウクライナ-183

ナナイ
ナナイの家族.jpgナナイの家族  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8640786による
中国の影響が強いのが分かります。

遺伝子情報が得られなかったが、C2 主体であるのは明らか。
別称として、ゴルディ、コルドッケなど。
言語はツングース系のナナイ語。
ウィルタ語、ウリチ語とともに南ツングース語派に属す。
1989 年時点において、ロシア国内に約 1 万 2000人弱が住んでいる。
中国にも居住し、2004 年時における人口は 4640 人。
ツングース系の中で、最も南に分布する。
そのため、上の写真でも分かるように、中国文化の影響が強い。
けれども現在では、ロシアの影響がより勝っているようだ。
この先、歴史時代のお話をする予定ですが、
いわゆる靺鞨(まっかつ)はナナイである可能性大。

ナナイの子供たち.jpgナナイの子供たち  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8754993による
左の女の子は寒くて鼻水が垂れている・・・のではなさそうだ!

生業は、河川でのサケ・マス漁などの漁撈が主体で、
トナカイの放牧は行わない。
居住地は魚の豊富な大河や湖の沿岸、河川の河口部。
河川の凍結する冬季には森林での狩猟も行うとのこと。
サケ・マス漁が多いため、昔の衣服はサケ・マスの皮で作った。
基本は魚食であるが、
黒竜江上流部(すなわち南部)のナナイは中国人から穀物栽培を学び、
穀物、野菜、豚肉を多く入手して食生活に役立てた。以上、ウイキより。

隋書」の靺鞨伝によれば、
靺鞨の先祖がセンセの過去ログで述べた粛慎(しゅくしん)とのこと。
センセの過去ログではオホーツク人=ニブフ(後述)に比定されてるが、
オホーツク人=日本書紀で書かれている「あしはせ」と考えられ、
日本書紀ではあしはせに対して粛慎の文字が充てられているので
この流れだけで考えると粛慎=ニブフ、となりますが、
7 世紀中ごろに活躍した阿倍比羅夫(あべのひらふ)によって討伐される粛慎は
同時代に成立した隋書によれば「靺鞨の先祖」と記載されているので、
時代的に合致しない。
従って、「あしはせ」は本来の粛慎ではない可能性大。
やっぱりオホーツク人はツングース系ではなく、ニブフの可能性が高い、
と思う。

隋書における靺鞨人は「地面に穴を掘って住まう穴居(けっきょ)人で、
尿を用いて顔を洗うなど、周辺諸民族中では最も不潔な連中である!」
と、けちょんけちょんに書かれている。
川沿いに住んでいるのだからもっときれいな水で顔を洗えばよい、
とセンセなんぞは思うが、
たぶん、黒竜江の水は冷たいのでイヤなんでしょうね WWW。
ウイキでは、
「伝統的な住居は、河川の近くに穴を掘り、
白樺樹皮や木材を用いて独特の半円形の家屋をつくって夏季の住まいとし、
冬季には狩猟に適する場所に半地下式の住居を作った」
とのことなので、やはり両者は同族なのであろう。
但し、穴居する部族は靺鞨に限らない。
世界中に、比較的近年まで見られた。
古事記や日本史に出てくる土蜘蛛(つちぐも)も、
たぶん穴居生活を送っていた縄文系の連中だと思います。

宗教は基本的にシャーマニズムであるが、
たぶんモンゴル族などの影響でチベット仏教も浸透したようだ。
ロシアの統治以降はロシア正教への改宗が進んだ。
RUSSIA BEYOND によれば、
1974 年までナナイは名字を持たなかったが、
ソ連政府がパスポート所持を義務化し、名字の必要性が生じたため、
自らの部族名などを名字としたそうだ。
おかげで全名字あわせても 30 個くらいしかない、とのこと。

ウイキのナナイ項によれば、先述したデルス・ウザーラはナナイ人、
と書いてある。
同じウイキのウデヘ項によれば、デルス・ウザーラはウデヘ人、
と書いてある。
ウデヘもナナイも似たもの同士なので、
あまり気にしナナイ方がよい、ということなのであろう。

RUSSIA BEYOND にはナナイの写真が多く載ってます。