今月のウクライナ-183

ナナイ
ナナイの家族.jpgナナイの家族  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8640786による
中国の影響が強いのが分かります。

遺伝子情報が得られなかったが、C2 主体であるのは明らか。
別称として、ゴルディ、コルドッケなど。
言語はツングース系のナナイ語。
ウィルタ語、ウリチ語とともに南ツングース語派に属す。
1989 年時点において、ロシア国内に約 1 万 2000人弱が住んでいる。
中国にも居住し、2004 年時における人口は 4640 人。
ツングース系の中で、最も南に分布する。
そのため、上の写真でも分かるように、中国文化の影響が強い。
けれども現在では、ロシアの影響がより勝っているようだ。
この先、歴史時代のお話をする予定ですが、
いわゆる靺鞨(まっかつ)はナナイである可能性大。

ナナイの子供たち.jpgナナイの子供たち  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8754993による
左の女の子は寒くて鼻水が垂れている・・・のではなさそうだ!

生業は、河川でのサケ・マス漁などの漁撈が主体で、
トナカイの放牧は行わない。
居住地は魚の豊富な大河や湖の沿岸、河川の河口部。
河川の凍結する冬季には森林での狩猟も行うとのこと。
サケ・マス漁が多いため、昔の衣服はサケ・マスの皮で作った。
基本は魚食であるが、
黒竜江上流部(すなわち南部)のナナイは中国人から穀物栽培を学び、
穀物、野菜、豚肉を多く入手して食生活に役立てた。以上、ウイキより。

隋書」の靺鞨伝によれば、
靺鞨の先祖がセンセの過去ログで述べた粛慎(しゅくしん)とのこと。
センセの過去ログではオホーツク人=ニブフ(後述)に比定されてるが、
オホーツク人=日本書紀で書かれている「あしはせ」と考えられ、
日本書紀ではあしはせに対して粛慎の文字が充てられているので
この流れだけで考えると粛慎=ニブフ、となりますが、
7 世紀中ごろに活躍した阿倍比羅夫(あべのひらふ)によって討伐される粛慎は
同時代に成立した隋書によれば「靺鞨の先祖」と記載されているので、
時代的に合致しない。
従って、「あしはせ」は本来の粛慎ではない可能性大。
やっぱりオホーツク人はツングース系ではなく、ニブフの可能性が高い、
と思う。

隋書における靺鞨人は「地面に穴を掘って住まう穴居(けっきょ)人で、
尿を用いて顔を洗うなど、周辺諸民族中では最も不潔な連中である!」
と、けちょんけちょんに書かれている。
川沿いに住んでいるのだからもっときれいな水で顔を洗えばよい、
とセンセなんぞは思うが、
たぶん、黒竜江の水は冷たいのでイヤなんでしょうね WWW。
ウイキでは、
「伝統的な住居は、河川の近くに穴を掘り、
白樺樹皮や木材を用いて独特の半円形の家屋をつくって夏季の住まいとし、
冬季には狩猟に適する場所に半地下式の住居を作った」
とのことなので、やはり両者は同族なのであろう。
但し、穴居する部族は靺鞨に限らない。
世界中に、比較的近年まで見られた。
古事記や日本史に出てくる土蜘蛛(つちぐも)も、
たぶん穴居生活を送っていた縄文系の連中だと思います。

宗教は基本的にシャーマニズムであるが、
たぶんモンゴル族などの影響でチベット仏教も浸透したようだ。
ロシアの統治以降はロシア正教への改宗が進んだ。
RUSSIA BEYOND によれば、
1974 年までナナイは名字を持たなかったが、
ソ連政府がパスポート所持を義務化し、名字の必要性が生じたため、
自らの部族名などを名字としたそうだ。
おかげで全名字あわせても 30 個くらいしかない、とのこと。

ウイキのナナイ項によれば、先述したデルス・ウザーラはナナイ人、
と書いてある。
同じウイキのウデヘ項によれば、デルス・ウザーラはウデヘ人、
と書いてある。
ウデヘもナナイも似たもの同士なので、
あまり気にしナナイ方がよい、ということなのであろう。

RUSSIA BEYOND にはナナイの写真が多く載ってます。



今月のウクライナ-182

ネギダール
部族の写真ナシ!
遺伝子情報も得られなかったが、C2 主体であろう。
ネギダール族の起源は、
エヴェンキを主体としてニヴフ、ナナイ、ウリチとの混血と考えられている。
ツングース系民族の一つで、エヴェンキ語に近いネギダール語を話す。
2002年のロシア国勢調査によると、ロシア国内に567人が暮らし、
そのうち147人がネギダール語を話すとのこと。
主として漁猟で暮らす。以上、ウイキより。



ウデヘ
ウデヘのオトコ.jpgウデヘのオトコたち  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38291806による
真ん中で偉そうにしているオトコは、
ロシアの探検家、ウラジーミル・アルセーニエフ。

ウデヘの集落.jpgウデヘの集落  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38365884による

これも遺伝子情報が得られなかったが、C2 主体であるのは明らか。
同じ文言を繰り返して恐縮です。まだ続くかも・・・。
間宮林蔵が「キャッカラ」と呼んだツングース部族。
森林での狩猟を主とするが、高麗人参の採取~交易も行うようだ。
言葉は南方ツングース諸語に属し、オロチ語と近い。
黒竜江以南のツングースは歴史的には中国の影響が強く、
漢語を話す連中も多いとのこと。
歴史時代になれば
中国文化の影響を大きく受けたツングース国家が現れてくるが、
その後のロシアの拡張により、ロシアの影響も受けるようになる。
1860 年北京条約によって沿海州がロシアに編入されると、
沿海州のツングース部族は押しなべて
ロシアの影響下に置かれることとなった。
生業は森林での狩猟で、オロチ同様にトナカイの飼育は行わない。
現在ではロシアとの同化が進み、ウデヘ語を話すヒトもわずかとのこと。
以上、ウイキによる。
今月のウクライナ-17」で紹介したデルス・ウザーラはウデヘ人らしい。
上記リンク先には
ツングース部族の芸術的とも言える写真を多く載せてあるので、
是非、ご参照ください。
リンク先の写真はカラパイアによるものです。

今月のウクライナ-181

まず初めに黒竜江(アムール川)流域から樺太にかけての
ツングースを主体とする連中の分布をまとめましたので、ご覧ください。
先のオロチョン族の地図と併せてみてもらうとよく分かると思います。

黒竜江沿いのC2諸部族.jpg黒竜江沿いの C2 の分布図  センセによる


オロチ族
オロチ.jpgオロチの人々  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18562809による

これも遺伝子情報が見つからなかったが、C2 主体であるのは明らか。
オロチ、オロッコ、オロチョンなどなど似た名前が多いが、
トナカイ飼育に関係する名前であるのも明らか。
そうではない、という説も一部あるけど・・・。
オロチ語はツングース諸語に属し、ウデヘ語と最も近いとされる。
ナナイ語やウリチ語からも影響を受けているとのこと。
沿海州の海沿いに住んでいるのでアザラシやトドなどの海獣や
サケ、マス、イトウなどの漁猟と同時に、
森林部ではジャコウジカ、ヘラジカ、キツネ、イタチ、クマなどの
狩猟も行う。以上、ウイキより。

このウイキの記述からはトナカイの飼育は盛んではないようなので、
昔は飼っていたけれど何らかの理由で止めたのかな?
とも考えられる。
熊の祭りを行うことからアイヌとの交流が考えられるし、
大きなカラスをトーテムとしているようなので
コリャークや北西アメリカインディアンとの関係も考えられる。
下手するとカラスはここら辺発祥で、その後に朝鮮半島に渡り、
最後は八咫烏(ヤタガラス)となって日本に来た?
神社の鳥居(とりい)とも関係する?
以上、センセの妄想。


ウリチ族
ウリチの男女.jpgウリチの男女  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18586138による

C2 69%
山丹交易(後述)で知られる山丹人はウリチに推定されている。
ウリチ語は南部ツングース諸語に属しており、
特にナナイ語の下流方言・ウィルタ語との共通性が高い。
漁猟を主体とし、狩猟は二次的である。
冬期に食用としてクマを、毛皮用にテンやリスを狩る。以上、ウイキより。

ウリチのオトコ.jpgウリチのオトコ  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=106315273による
お笑い系にいるようなカンジ・・・。

山丹交易
間宮林蔵の東韃地方紀行で言及されているサンタン人(山丹人)であるが、
彼らの自称「マンゴー」とウリチの呼称の一つ「マングン」が一致する。
また、サンタン族の居住地が概ね現代のウリチのそれと一致することなどから、
ウリチは山丹人であると推定される。以上、ウイキより。

林蔵は間宮海峡までの樺太西岸部はアイヌ人に案内してもらうが、
途中、舟で海峡を渡ってきた数十人のサンタン人に襲われたので、
飯や酒でもてなして取り合えずは難を逃れている。
アイヌ人は樺太北部の他民族に対しては警戒心を持っていたようで、
それ以上は林蔵に付き合いたくない。
そこで現地のスメレンクル族を新たに案内人として
サンタン船という、アイヌの舟よりは頑丈な舟を駆って大陸に向かう。
このスメレンクル族というのが、後述するニブフ人らしい。
大陸に到着後は舟で黒竜江を遡上したり
舟を担いで陸路で上流へ向かったりと苦労し、
途中、オロッコ、スメレンクル(ニブフ)、アイヌ、サンタン、キャッカラなど
色々な連中に遭遇し(キャッカラはウデヘとオロチの共通祖先らしい)、
さらには夥しい数の蚊の襲撃を受けるなど大変苦労したが、
その後にようやく黒竜江沿いのデレンという場所に到着する。
地図で調べると、
黒竜江沿いのツイムメルマノフカという名前の町あたりに相当するようだ。
そこには交易所があり、満州の役人(清朝)が常駐し、
サンタン人やらその他、雑多の連中が毛皮などの交易を行っていた。
以上、教育社の「東韃紀行:大谷恒彦訳」より

過去ログ「今月の書評-40」に YDNAD の拡散図を載せてありますが、
黒竜江沿いの D は北海道~樺太アイヌの交易によるものか?
と考えてます。
でもよく見ると黒竜江沿いではなく、その上の森林地帯を走ってます。
また、アルタイ地方にも D が認められ、
チベットから分かれた一派によるものかとも思われますが、
縄文人に関しては mtDNA の経路から、出アフリカ以降、
海岸沿いにインドを経由して北上したセンも否定できませんので、
チベット経由なのかインド経由なのか、
よく分かりませぬ・・・。
但し最新の図ではアルタイ~黒竜江の D は描かれていないので、
やはりこちら経由は否定されつつあるのでしょうかね?





今月のお悔やみ

パリダカ優勝で有名な篠塚健次郎氏が亡くなられました。75 歳。

「坂城散歩道」シリーズでお分かりのように、
センセは未舗装の道を滑りまくって走るのが大好きなオトコ。
ここ数年はバイクで滑りまくっているというか転げまくっているというか、
色々やらかしてますが、
昔は中古のサニー 1200 を自分で改造しまくってラリー仕様とし、
最後はラジエターからシューシュー湯気が出まくって
前が見えない状態となったので廃車とし、
お次は初代ジムニー(ホロ付きのヤツ)の中古を買って宮崎の地を走り回り、
最後は床に雨が溜まって長靴を履いて走る状況となったので
これも廃車とし、
お次は義兄からタダでもらったサニートラック 1200 を改造しまくり、
宮崎から東京まで移動してしばらく乗っていたが、
最後はクラッチが癒着して切れない状態になったのでこれも廃車とし、
お次はスズキの X 90 を購入し、
(新古のデモ車で車体の横に派手な炎模様X 90 のロゴが入ったヤツ)
これは 1600 CC + ツーシーター + 4WD + オープン屋根
という訳の分からないコンセプトで作られた車で、
これに荷物を載せて開通したばかりの長野自動車道を通って
東京から坂城まで何度も往復して引っ越してきましたが、
馬力が無く、
軽井沢の峠を登る際には登坂車線を走らざるを得ず、
床までアクセルを踏み込んでも隣を走るケットラに追い抜かれるという
しょーもない車であった。
けれども一応 4 駆なので
坂城の田んぼに突っ込んだ時には自力で更生できたし、
菅平スキー場の駐車場ではラクラク駐車が可能であったし、
何といっても屋根をオープンにすることができたので
手で屋根をカパッと外すのですが、
ツーシーターという狭さをカバーして、
物干し竿や植木などの長物(ながもの)を運ぶには重宝した。
現在は 1 世代前のジムニーを珍しく新車で購入し、
いたずらすることもなく、おとなしくきれいに乗ってます。

センセの車談義、
そのうち写真付きで色々ご紹介したいと思ってます。
爆笑話が満載です WWW。

で、篠塚氏、ご冥福をお祈り申し上げます。


今月のウクライナ-180

オロチョン族 
オロチョン居住域.jpgオロチョンの居住域

オロチョン族.jpgオロチョン族  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/wiki/File.jpg

黒竜江上流部~興安嶺山脈~内モンゴル~バイカル湖東岸に散在する。
C261.3%O219.4%
ツングース系で、エヴェンキに近い。
狩猟やトナカイの遊牧に基づく生活が本来。
オロチョンという言葉はトナカイに関連する言葉。
ラーメンとは関係ない。


ウィルタ=オロッコ
ウイルタ.jpgウイルタの居住域  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=114441670による

ウイルタの少女.jpgウイルタの少女  ウイキより
不明 - 新光社 編「世界地理風俗大系. 別巻〔第3〕」1931年発行
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=98462996による

樺太東岸が主な居住域。
彼らの遺伝子構成に関しては情報を得られなかったが、
C2 を主体とするツングース系であるのは明らか。
ウイルタはいわゆるオロッコと同じで、
アイヌ人が彼らをそのように呼んでいた、とのこと。
オロチョンと同じくトナカイに関連する言葉に由来する。
樺太にはウイルタの他にニブフがいる(後述予定)。
また、以前にはアイヌも多く住み、
間宮林蔵の「東韃紀行(とうだつきこう)」は
江戸時代における樺太~黒竜江沿いの民族誌として秀逸。
東韃地方紀行というのが正式名称らしいですが、
是非、読んで欲しい!とても面白いです!

ウイキによれば、ウイルタは昔は黒竜江沿いに住んでおり、
後述する山丹交易(さんたんこうえき)にも参加していたが、
17 世紀にトナカイを引き連れて樺太へ移住した、とのこと。
その理由は分からない。
生業はトナカイに大きく依存していたようで、
定期的に間宮海峡を渡って黒竜江を遡上し、交易を行っていた。
この点も東韃紀行に詳しい。

言語はツングース語であるが、同系のウリチ語やナナイ語に似ている。
エヴェンキ語やネギダール語とも共通の特徴を有するとのこと。
固有の文字を持たなかったが、現在ではキリル文字(ロシア文字)で表記可能。
さまざまな民族と関わって生きてきたため、多くの者は数言語を操る。
以上、ウイキより。
これは東北アジア~中央アジア~欧州にいたるまで、
歴史的には同じ状況だと思う。
島国の日本や、
近代に「世界を制覇した!」と考えているアングロサクソンの連中などは、
むしろ例外に属するのだろう。
以上、センセの偏見による。
その他、ウイルタ族の近代史に関しては
ナカナカ興味深い事実がウイキに詳述されているので、
興味がおありの方は読んで下され。



今月のウクライナ-179

センセのコロナ、段々と良くなりつつあるようです。
感染からおよそ 1 ヶ月です。
1 ヶ月前に「ふぐ」を食べたので、
ふぐ由来コロナ株に感染したのだと考えてますが WWW・・・。
まだ咳が残っていますが、
先週から、朝は室内自転車、夕方は筋トレも出来るようになり、
本日はこれまでボヤ~ッと脳内を覆っていた春霞のようなものも無くなり、
快晴状態となりましたので、
ブログを更新します。

さて、スカンジナビア半島北端から始まり、
東進してベーリング海峡まで来ましたが、
ここから南下して、最終的には北海道北端に到達する予定です。
その後は歴史時代の話に戻り、
これらのシベリアに拡散していった連中と朝鮮半島との関わりをお話し、
隣接するモンゴル系とトルコ系との関連に話が及び、
その後にようやく契丹のお話となる予定です。
この調子では最終的に現在のウクライナ情勢に到達するまでには
次の世紀を待たなくてはならないと思いますが、
なんとか頑張って生き残りたい、と思ってます。


コリャーク人
コリャーク居住区.jpgコリャークの居住域  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=114441449による

コリャークのシャーマン.jpgコリャークのオンナシャーマン  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14744772による


C259.3%N22.2%P18.5%
調査によって多少の差はあるようですが、基本 C2 が多いです。
また、QR の祖である P も比較的多く見られます。
P は、Q の東進と共に移動してきた可能性もあります。

言葉は前回お話したチュクチ語に非常に近く、
チュクチ・カムチャツカ語族をなす。
体つきや生活習慣などもチュクチ人とよく似ているため、
両者は同系と考えられている。
起源は未詳。
ユーラシアと北アメリカが地続きであった時代、
多くの連中が、
現在のチュクチ・コリャーク地域を通って両大陸を行き来していた。
現在のコリャークは
北アメリカからシベリアへの逆移住である可能性も示されている。
宗教はアニミズム~シャーマニズム。
神話などから、
アメリカ北西海岸のインディアン部族との関連も指摘される。
以上、ウイキより。


エヴェン
エヴェンの居住域.jpg
エヴェンの居住域  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=114441768による

YDNA は、C274.2%N12.9%
エヴェン(旧称ラムート人)はツングース系。
主にロシア国内の東シベリア北部地域に居住する。
また、ロシア国内のサハ共和国にはエヴェンの約半数が居住しており、
その多くはサハ語を日常語としている。
後述のエヴェンキとは共通点が多く、
過去にはエヴェンキ人やエヴェン人をまとめてツングース、
あるいは北方ツングース、
と呼ぶこともあったそうだ。
エヴェン人の居住地は主にオホーツク海や北極海などの沿岸部と、
カムチャッカ半島や北部ヤクーチアの山岳地帯に分けられる。
沿岸部の住民は海獣狩猟・漁労などを営む定住民であるのに対し、
山岳部の住民は移動を伴うトナカイ放牧を営んでいる。以上、ウイキによる。

エヴェンの女性.jpgエヴェンの女性たち  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11140814による
極寒、乾燥という極北東地域における寒冷適応が強烈だが、
顔を洗ってもらって服装を少し変えてもらって手に大根でも持ってもらえば
「昔の東北のおっかさん連」と言っても通用するかも・・・。
以上、センセの偏見による。

ヤクートに半数が住み、
その多くはトルコ系言語であるサハ語を話すとのことから、
サハ共和国に住んでいるエヴェンの人たちは
本来のツングース系言語であるエヴェン語を忘れているのかもしれない。
もしそうであるなら、サハ共和国ではない地域に住んでいるエヴェンの連中との
同族意識はあるのだろうか?以上、センセの感想。



エヴェンキ

エヴェンキ.jpgエヴェンキの居住域  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=114441755による

C267.7%N 19.8%
別の研究では、N59.6%C231.6%
たぶん、前者が実態に近いと思いますが・・・。

いわゆるツングースの代表。
関連する民族にはエヴェン、オロチョン、オロチ、ネギダールなど。
上記の居住域はロシア国内のもので、中国満州地方にも居住地がある。
生業は狩猟とトナカイの遊牧。
女真族などが強大となった歴史時代には清帝国で活躍し、
ソロン八旗と呼ばれる軍団にも取り入れられた。
エヴェンキ出身の武将には「ハイランチャ」がおり、
清・ジュンガル戦争清・ネパール戦争などで活躍した。以上、ウイキより。

はいらんちゃ.jpg
ハイランチャ  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=36777216による
やっぱり張作霖あたりが連想されますね!

エヴェンキと朝鮮民族とは言葉・文化が酷似し、
朝鮮民族の祖の一つであるのは確実。
朝鮮民族は歴史的にも漢族の影響が大であり、これは遺伝子にも表れているが、
ツングースと漢族の他に O1b2 (長江下流域~稲作と関連)も多いことから、
現在の朝鮮民族はこれらのハイブリッドであるのは確実。
また、有名な朝鮮民謡の一つである「アリラン」はエヴェンキ由来も確実。
現在の朝鮮語は新羅の統一によって半島に拡散した言語であるが、
新羅語の基層にエヴェンキ語が存在するのは確実。
過去ログで
古代朝鮮半島には二つの系統の言語があった可能性を指摘しましたが、
新羅統一によってそのうちの一つが消滅した、
けれども実は日本語として残っている
というセンセの妄想をそのうちお話したいのですが、
次の世紀まで待ってくだされ。

今月のウクライナ-178

ヤクート人
ろしあサハ共和国.jpgロシア・サハ共和国  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39696935による

ヤクート人.jpgヤクート人の夏至の祭  JATM 様の HP より
https://www.jatm.co.jp/%e3%83%a4%e3%82%af%e3%83%bc%e3%83%88%e4%ba%ba%e3%81%ae%e5%a4%8f%e8%87%b3%e7%a5%ad%e3%82%8a%e3%82%a6%e3%82%b9%e3%82%a3%e3%82%a2%e3%83%95/ 

N88%。本人たちはサハ人と称し、ロシア・サハ共和国に住んでいる。
ヤクルトとは全く関係が無い。
人口は 60 万人にもなるので、ナカナカの勢力を有する「少数民族」です。
トルコ系の言語を話すので、
本人たちは「自分たちはトルコ人」だと思ってる可能性大であるが、
遺伝子を見ても分かるとおり、もともとはウラル語を話していた。
歴史のとある時点でトルコ語に乗り換えたようだ。
匈奴とか突厥とかに脅されたのだろう。
ウイキによれば、
彼らは古代北ユーラシア人と呼ばれる連中から
10〜20% 程度の遺伝的流動を受けているとのことだが、
古代北ユーラシア人の影響は多岐にわたっているのは明らかなので、
彼らだけに限った話ではないと思う。
古代北ユーラシア人に関しては興味深い話が満載なので、
そのうちお話したいと思いますが、
彼らに関する研究自体が進化の途次にあるので、
現時点では、決定的な話とはならないかと・・・。
北部のヤクートはトナカイを飼育しながら半遊牧的狩猟採集民であるのに対し、
南部のヤクートはウマやウシの畜産にも従事。
両者共にゲルに居住し、夏と冬に居住地を移動する。
宗教的には本来はシャーマニズム。
ロシアの影響により、現在ではロシア正教が多数のようだ。以上、ウイキより。


ユカギール人
ユカギールの居住域.jpgユカギールの居住地域  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=114441799による 

ユカギール人.jpgユカギール人  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8780119による

C2 31%、N 31%、Q 31% の三種混合!
北東アジアでも最古の民族の一つと考えられ、
昔はより広範域に住んでいたと考えられている。
本来の母語はユカギール語で、これはウラル語族との同系説が有力。
これにチュクチ・カムチャツカ語族、エスキモー・アレウト語族も加えた
ウラル・シベリア語族を成すとする説もある。
現在では多数がヤクート語かロシア語を使うようになっており、
ユカギール語は話者が200人以下で絶滅の危機にあるとのこと。
以上、ウイキより。


チュクチ人
チュクチ人の居住域.jpgチュクチの居住域  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=114441736による

チュクチの家族と犬.jpgチュクチの家族と犬  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=12098500による
手前のワンくんはシベリアン・ハスキーだそうです。

N58.3%Q12.5%C24.2%
言語的にはチュクチ・カムチャッカ語族に属するチュクチ語を話す。
海岸に定住して海獣狩猟や漁撈を営む「海岸チュクチ」と、
内陸に住んでトナカイの牧畜を営む「トナカイチュクチ」に分けられる。
シベリアン・ハスキーは元々はこの民族に飼われていた犬であり、
そりを引っ張るのが仕事であったが、
その後に佐々木倫子のマンガで一躍有名になり、
アパートで飼われるなどして堕落した・・・。以上、センセの偏見による。

チュクチの家族の絵.jpg昔のチュクチの家族を描いた絵  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=868806による
ナンカ、極北~シベリア~北米一帯は、
みんな基本的に似たようなカンジですね。
チュクチに関する情報が YouTube に載ってますので、リンクします。
英語ですが、ナカナカ面白いです。
また、RUSSIA BEYOND というサイトでも面白い記事と写真がありますので、
これも張っときます。
このサイトはロシア政府の公式サイトなのかも知れませんが、
政治色のない情報も多いので、気にせずに覗いてみて下さい。
センセのしょうーもないブログよりもよっぽど面白い!

さらに続きます!
だんだん日本に近づいてきます。


今月のウクライナ-177

さて、Q の連中をごく簡単に 2 例載せます。
以前にも紹介したケット人に加えてセリクプ人を紹介します。

ケット人
エニセイ語族の分布.jpgこれはケット語(エニセイ語族)の分布図。  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yeniseian_map_XVII-XX.pngによる

ケット人のおとこ.jpg人相の悪いケットのオトコ  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:P257a_Yenisei-Ostiak.jpgによる
ナンカ企んでますよね、ゼッタイ!

Q 系統が 93.7%
言語学的には周りのシベリア諸民族とは全く異なり、
デネ・エニセイ語族に属する。
再三お話しているように、
インディアン、特に北米インディアンと密接に関係する人たち。
一説によれば、シベリア → 北米の一方通行ではなかった可能性もあり、
アラスカ → ベーリング → シベリアの流れもあった、とのこと。
これはエスキモーなどにも言えるとのこと。
興味が尽きませぬ。
ケット人の写真ですが、
引用できるウイキ以外にもお金を払えば引用できるのがあります。
お金を払いたくないので、紹介だけしときます。
で、これを見ると、微妙な顔立ちをしてるのが多い気がします。
Ket People Wikipedia 42% OFF とか書かれてますが、
サイトを開けようとしても blank となって開けることができません。
だもんで、ケット人 → 画像で丹念に調べてみてください。
そのうちケット、ヒットします。


セリクプ人
セリクプ人居住地.jpgセリクプ人の居住地

セリクプ人.jpgセリクプのオトコ  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Selkup_man.jpgによる

Q が 66.4% で、N6.9%
言語学的にはウラル語族のサモエード系の言葉を話す。
従って、本来はケット人と同じくデネ・エニセイ語を話していたのだろうが、
周りに引きずられてサモエード語を話すようになった、ということ。
このような例は数多いです。

以上、N ~ Q の流れを紹介してきましたが、
次回より C2 が登場してきます。
N、Q、C2 は、遺伝子的にも言語的にも相互に入り組んでいるのが多いので
一歩踏み込めばナカナカ複雑なのですが、
外見は、基本、アジア系ですし、また、
生活環境が似たような所に住んでいるので、
文化的にも似たようなカンジの連中です。

今月のお悔やみ

センセの風邪、コロナでした WWWWWW。
先週の木~金曜日にセンセはお休みをとりましたが、
金曜日には前沢さんも体調不良でお休みしたそうだ。
その後、今週の水曜まで休んだ彼女、
木曜には取り合えず顔を出したので話を聞くと、
センセと違ってちゃんと病院に行って検査したとのこと。
で、コロナであったとのこと。
ならば、時系列的にはセンセがまずはコロナにかかり、
彼女に移したことになる。
で、センセは今週の月曜から出勤しているが、
この一週間、
午前中仕事して午後は休んだ。
9 割がた治っているようなカンジはするが、
少し無理すると熱が出てくるので、
大事をとって午後は休んだ。
で、いつまでたっても咳が残って痰がでる。
一日ごとに少しずつ良くはなっているような気はするが、
ナカナカ全快しない・・・。
こんなに長引く風邪も珍しいな、と思っていたら、
前沢さんの話から、コロナ、ということが判明した・・・。
ヒトの話も色々聞いたが、症状~転帰はヒトそれぞれのようだ。
センセの場合は、症状的には酷くは無かったが、長引いている・・・。
これがセンセのコロナなのだ、と結論しました。
来週にはそろそろ治ってもよいコロナ、とも思いますが・・・さて・・・。

さて、漫画家の鳥山明氏が突然亡くなられました。
急性硬膜下血腫とのこと。
センセより一つ若い 68 歳でした。

で、センセの世代では鳥山明と言えば
アラレちゃんでおなじみの Dr. スランプですが、
この当時はすでにセンセは社会人でしたので、マンガとかはあまり読まない。
でも当然知ってます。
当時の世相ですが、男子の雑誌ではポパイとかブルータスとか、
いわゆるトラッドとか HD (ヘヴィー・デューティー)とかが
流行り出したころだ。
鳥山明のマンガも、HD の系譜に繋がるようなメカニカルな絵が多い。

この時代の若者文化ですが、一世代前の政治性が薄れ、
豊かさへの予感が漂いつつある時代だった。
けれども未だ PC も携帯もいわんやネットもない時代だったので、
引きこもりとも無縁の時代であった。
で、その結果、アウトドア的な志向も広がり、
ほどなく「わたせせいぞう」なども現れて
都会派的(シティーボーイ的)な志向も広がり、
今から考えると、なかなかスリリングかつ健全な時代であったような気がする。

鳥山明と同時代には「ストップ!!ひばりくん!」の江口寿史、
「気分はもう戦争」などの大友克洋などがいる。
大友克洋は、その後にアニメの「AKIRA」で世界的にも有名になったが、
鳥山明と共に、
その後の日本のマンガ文化の世界的拡散に大きく貢献したオトコだ。

少し前には鴨川つばめの「マカロニほうれんそう」があり、
個人的には、
鴨川つばめによって「少年マンガ=子供向けマンガ」ではなくなった、
と考えてます。
彼によって、新たなマンガのジャンルが出来上がった、とまで考えてます。
また、鴨川つばめが少年マンガの変革を行っているころ、
少女マンガの世界にも大変革が生じつつあり、
萩尾望都や山岸涼子などが活躍しておりました。
山上たつひこの「がきデカ」とか、
魔夜峰央の「パタリロ」とか、
懐かしいですね!

このような変遷を経て、
80 年代の日本ではマンガ文化が爛熟の時代を迎えることとなりました。
今現在、日本マンガは世界中の人々の心を掴む形となっておりますが、
このような日本独自のマンガ文化を生んだ根底にあったものは、
自由な発想、闊達な意見交換、トキワ荘に代表されるマンガ文化の伝統など
いろいろな要因があったとは思いますが、
まずもって指摘すべきは、
宗教的制約、思想的制約、過剰なる道徳的制約が無かった、
という点を挙げるべきかと思います。
すなわち、中東諸国や共産主義国家、権威主義国家からは
日本のマンガ文化に相当するものは
これまでもこの先も、
生まれないのは明らかです。
さらに、基本的に作者が全面的に作品の責を負う形をとる日本のマンガは
作品の質が維持される、という点も指摘されます。
どういうことかと言うと、
いわゆるアメコミやディズニーマンガでは
一旦人気がでたキャラクターはパテント化~商品化されてしまい、
分業化も甚だしくなり、
ポップ化してしまいますので、
画風も変わらず、
似たような話に少し味付けを変えたようなものが
これでもかこれでもかと何十年も続きますので、
よくまあこんなものを面白がって読むものだ、と、
センセなんぞはかえって感心しきりであります。
ま、日本でも、
いわゆる長寿アニメなどでは同じような傾向が見られますが・・・。

これらに加えて海の向こうでは現在、
いわゆるポリコレが猛威を振るっているおかげで
クッソつまらない作品のオンパレードとなり果てつつあります。
可愛そうなくらいです・・・。
人気がでた作品は商品化される、グッズ化される、
という傾向は日本でも同じですが、
新たな才能が生まれ育つようなシステムが日本ではあるのでしょうかね?
あるいは単純にすそ野が広い、ということなのでしょうか?
この点、よく分かりませぬ・・・。
いわゆる「漫画家残酷物語」的な話もしばしば聞かれますので、
この点、編集者サイドはよくよく考えるべきでしょう。
ま、当然考えてはいるのでしょうが・・・。

また、昔の青林堂的文化もまた、
日本のマンガ文化の土台を支えてきたものの一つである、と思います。
いわゆる同人誌などは玉石混交の世界なのでしょうが、
その中でも、自分たちを単なる消費文化の捨て駒とは考えず、
われこそはマンガ文化を支える文人である、と考える志のある人々がいる限り、
日本のマンガ文化が低迷することはない、
と、考えてます。


同日、ちびまる子ちゃんの声優、TARAKO さんも亡くなられた!63 歳!
どうなってんの?

お二人ともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。






今月のウクライナ-176

で、ウラル山脈周辺の連中です。
今月のウクライナ-175」の地図を参照しつつ、目を通して下され。

ネネツ
ヤマロネネツ自治管区.jpgヤマロ・ネネツ自治管区  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39714414による

ネネツの家族.jpgネネツの家族  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=623030

YDNA N97%世界で N 系統が最も高頻度に見られる民族。
いわゆるサモエード。
現在ではサーミ人と呼ばれるラップ人は、ここから派生したと考えられる。
隣接するエネツ人、ガナサン人は同系。
言語はサモエード語(ウラル諸語に属する)。
隣接するもう一つの民族にセリクプ人がおり、
彼らは言語的にはサモエード系であるが、
YDNA 的には Q に属するので、彼らに関しては Q のところで紹介します。
狩猟、漁労、トナカイの遊牧で生計を立てる。
犬ぞりのサモエード犬が有名。
N が 97% ということと上記の家族写真から、
古代遼河流域に住んでいた N はそもそも東アジア系の顔立ちであったのは確実。
上記家族写真にはわずかにロシアの血が見られる気もします。
血のつながる家族であるのは間違いない WWW。


ガナサン人
ガナサン人.jpgガナサンの家族  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22564126による

N92%
ウラル語族サモエード語派に属すガナサン語を話す。
写真は結構インパクトあるかと・・・。


ハンティ人
ハンティ人.jpgハンティの老人  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1819761による

ハンティの家族.jpgハンティの家族  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=25214666による

N76.6%
マンシ人とはもともと同族。マジャール人とも近い。
言語はオビ・ウゴル諸語に分類され、マジャール語に近い。
モンゴル帝国の頃は西シベリア汗国に服属していた。
写真を見る限りロシア系と相当混交しているように見えるが、
N8 割も占めることから、
父系による部族としての地位は安泰であったようだ。
狩猟・漁猟・トナカイ飼育が基本のなりわい。


マンシ人
マンシ人.jpg
マンシの家族  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22145712による
前掲のハンティの右端のおばさんの親類か?

N は高~中頻度。
もとはハンティと同族のオビ・ウゴル諸語に属する。


コミ人 
コミ人.jpgコミ人の女性たち  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3368923による

N が 35.1%、R1a が 33.0%、R1b が 16.0%。
別の調査では N が 61.2%、R1a が 32.7%。
写真を見る限り、やはり冷涼~湿潤~日照不足が揃うと
欧州系の形質が生存に有利となるのだろうか?
言語的にはウラル語族のフィン・ウゴル系に属する。
近隣のウドムルト人、マリ人、モルドヴィン人※(モクシャ、エルジャ)
などと近い。
※モルドヴィアとモルドバは違うので、注意!


モルドヴィン人
モルドヴィン人.jpg
モルドヴィンの女性たち  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6186833による

N19.3%
フィン・ウゴル語派のモルドヴィン諸語に属する。
近傍のコミ人、ウドムルト人、マリ人、モクシャ~エルジャ人などは
みな近い関係。
現在では多くがロシア人と混交し、
言語もロシア語しか話さないヒトも多いとのこと。
6 世紀に東ゴートに征服されたのち、その後はルーシのスラヴ人たちと戦い、
さらにはモンゴルに征服された。
ロシア帝国下ではロシア化が進んだが、言語と民族性を維持し続け、
ソビエト連邦下ではモルドヴィア自治共和国を立てた。


以上、ウラル山脈を中心とした N 系の連中をご紹介しました。
次回は引き続き簡単に Q を紹介後、シベリアを東進していきます。