今月の書評-101
●倭人は列島移住の当初から今とさほど変わらぬ倭語をしゃべっていた?
という問題について妄察していきます。
「今月の書評-35」の冒頭で柿本人麻呂の和歌をあげましたが、現代の我々でも注釈なしですんなりと意味が分かります。
意味だけじゃなくて歌の「情緒」まで共感できるという・・・。
「ナカナカスゴイことであるなあ」などと、センセなんぞは思います。
「今月の書評-36」ではアイヌ語の歌と沖縄語の歌を載せましたが、アイヌ語が現代日本語とは相当に異なる言葉であるのに対し、沖縄語は本質的に現代日本語の一分派であることも分かってもらえたと思います。
沖縄の形成~推移に関してはそのうちお話する予定ですが、今ここで重要な点にちょっと触れておきたいと思います。
それは、沖縄には大和政権の影響力が全く及ばなかったことに加え、沖縄の住民も大和政権に対して何らの関心も抱いていなかった、ということです。
もちろん交易はあったでしょうけど・・・。
「今月の書評-99」で述べた「あまみん」、漁猟の民のことですが、これに関連する言葉を辿っていくと、天草~奄美大島~あまみきよ伝説などがあげられると同時に、考古学的証拠などから、この流れが北から南へと伝わったことが確実視されています。
で、沖縄の宗教には原始神道と相通じるものが濃厚に存在する一方で天皇家に関連する祭祀の類が全く見られない点からも、沖縄には大和政権の影響力が及んでいないことが明らかです。
ということは、沖縄の「あまみん」はヤマトが奈良で政権を樹立する以前に本土から分かれ、定住したことを意味します。
確かな年代は未だ分かっていないと思いますが、考古学的時代区分で言うところの「沖縄後期貝塚時代」あたりかと思います。ざっと言って、紀元前後かと・・・。
で、沖縄語が日本語の分派であるのは明らかですから、ということは、柿本人麻呂さんが話していた言葉と本質的には変わらない言葉が紀元前後にはすでに話されていた、ということを傍証することとなるわけです!
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