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今月の書評-135

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あの驚異的な第五派が急激に下火になってしまいましたが、よゐこのみなさまは元気にお過ごしのことかと思います。

でも、なんでいきなり下火になったのでしょうかね?

いろいろ考えられますが、個人的には、「ウイルスにも事情があるから」だと思います。事情があってデルタ株に変異してみたり、姿をくらましてみたり・・。


連中、別に考えてやってるわけじゃないんですけどね!


さて、前回以降、何人かの有名人もこの世を去ってしまいました。
センセの記憶に強く残る御仁としては、ローリングストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツ氏と、「カムイ伝」の作者、白土三平氏の御両名。
両名共に、あの狂瀾怒濤の1960 年代を雄弁に物語るお方でした。

ストーンズ関連の死者といえば、センセの世代ではブライアン・ジョーンズの謎の死が真っ先に思い浮かばれますが、チャーリーは80 歳まで生きたので、ま、ロックンローラーとしては大往生、と言えるでしょう。

チャーリーへの哀悼の意を表し、「Jumpin'Jack Flash」をあげときます!
野心満々の若オスたちの面構えをとくとご覧あれ!!
ギャスギャスギャ~~~ス!!!

白土三平の忍者マンガは60 年代の小学生のココロをワシ掴みするものでした。
今でも変異抜刀霞切り(へんいばっとうかすみぎり)くらい難なくできます。
良かったら、いつでも切ってさしあげます。
さすがに飯綱落とし(いづなおとし)は無理ですが・・・。


さて、話は変わって、少し前、金沢大学から「現代人の先祖は縄文人と弥生人だけではない!古墳人が重要だっ!」とかいう趣旨の論文がサイエンスに発表されました。報道各社もそれなりに大きく扱っていたので、ご記憶の方も多いかと思います。ネットで無料で誰でも原著論文を読めますので、興味がおありの方は是非読んでみてください。以下のサイトです。専門英語で書かれてるけど・・・。


で、早速読んでみましたが、「あれあれあれ~~~???」というカンジ。

簡単に紹介すると、以下のようです。

方法
● 縄文人9 例と古墳人 3 例のDNA を分析した。
● これに3 例の縄文人と2 例の弥生人と多くの現代人の既報のデータを加え、
  比較した。

結論
縄文人は時代~地域を通じて相当程度に遺伝子的には均一。
弥生人は縄文人と50:50 のハイブリッド。
弥生人に特有の遺伝子パターンは西遼河~バイカル~北東シベリアに近い。
古墳人の遺伝子パターンは現代の日本人とほとんど一緒。
古墳人には黄河下流域由来のDNA が認められる。
 これは、現代の漢族に近い。
現代人に残る縄文人の遺伝子は、およそ10%くらい。

考察
縄文人は列島に渡ったのち、隔離状態となり、「びん首効果」が生じた結果、
  多様性に乏しくなったと考えられる。
古墳時代=国家形成=多数の渡来人=遺伝子構成への影響、という図式が
 描けるのでは?

といったカンジ。

縄文人が多様性に乏しいことと、古墳人と現代人とはほとんど一緒、というのはOK です。違和感はありませぬ。

問題は、弥生人です!

まず、本文で指摘されてるように、この弥生人骨の外観は縄文人に大きく似ていたとのことです。で、遺伝子分析結果も縄文の特徴50、弥生の特徴50 だったので、結局、分析に用いた弥生人縄文人との50:50 レベルのハイブリッドである、ということです。

本来、弥生人骨と縄文人骨との外観は一見して区別できるほどに異なっているわけで、弥生時代と言うも数百年から一千年以上にわたる長い期間であるわけですから、それを50:50 ハイブリッド(言わば F1、ということです)で代表させて議論してもほとんど無意味だと思います。
加えてサンプル数がわずか2 例ですから、何をかいわんやかと・・・。

縄文人骨が比較的数多く残っているのに対し、相対的に人口も多く、時代も新しいはずの弥生人の骨があまり残っていないのは有名な話ですし、さらにはDNA を抽出できるような状態の良いサンプルは誠に希少なわけで、そういう意味では弥生人のDNA 分析自体が大変貴重なわけですが、だからと言って貴重な結果=真実を伝えている、というわけではありませぬ。

また、3 例の古墳人に見られた漢族系のDNA を古墳時代の渡来人に由来する、というのも言い過ぎだと思います。

以下、センセのご意見です。

1. 弥生初期から後期に至るまで、日本列島には半島からの移住が継続した。
  あるいは、稲作、養蚕、鵜飼などの伝播を農学的観点から考えると、
  大陸からの直接の移住があったことも考えられる。
  加えて、当時、半島には由来を異にする多くの民族がいた。
  従って、移住の時期や由来によって移住者の遺伝構成が異なるのは当然。
2. 現代の半島住人の遺伝子構成を見ると、漢族由来、ツングース由来、
  オーストロアジア系由来など、さまざまな由来で構成されている。
3. 半島にも長い歴史があり、扶余、高句麗、百済、新羅その他その他。
  これらに加えて楽浪郡や帯方郡の存在がある。
  そもそも朝鮮の名前の由来からしても、漢族による影響が
  非常に大きかったわけであり・・・。
4. 「今月の書評・・・」でも指摘した通り、当時の半島は民族のごった煮状態で
  あった。世界的に見ても、どんづまりの半島って、そういうのが多い。
5. であるとするならば、古墳時代の漢族由来のDNA をいきなり渡来人に帰する
  必要は全くない。弥生時代を通して、半島由来の移住者中のDNA に
  漢族系 のDNA が増えていったと考えるのが自然。
6. 古墳時代に渡来した連中の多くは百済人。
  金沢大学の考察が正しければ百済人は漢族由来ということになるが、
  そうではなく、多くの戦乱や大陸からの人口流入の結果、すでにこの地域には
  大陸由来のDNA が多く混じていたことを表しているに過ぎない。

       
要するに、金沢大学の結果は至極当たり前の結果を示しているだけであり、今回の結果から弥生時代と古墳時代の間に遺伝子的な断絶を読み取るのは大間違いである、ということです。
日本書紀を読んでいても、古墳時代の渡来人の多くは百済の没落貴族に加えて学者や技術者がほとんどであると考えられるので、仮にこれらの渡来人によってそれまでの弥生人の遺伝子構成が大きく書き変えられたとするならば、これら没落貴族、学者、技術者の渡来人口は農民や漁民を主体とする弥生人の人口を凌駕する必要がありますが、まったくもってあり得ないことであります!

仮に、渡来人が多く住み着いた近畿地方の人々が文化的~人口的に優勢になり、時間をかけてこれらの人々の遺伝子が日本全国津々浦々に広まった結果なのだとするならば、すでに歴史時代となっておりますので、それなりの裏付けが文献的にも認められるはずですが、あまり知られておりません。一応、日本全国には渡来人に由来する地名が点在しますが、「点在」に過ぎません。

また、3 例の古墳人の遺伝子パターンと現代人のそれとがほとんど同じであり、弥生人のそれとは大きく異なる、そしてそのパターンが古墳時代の渡来人に由来するものであるとするならば、石川~福井周辺で得られたその3 例の方々は、極めて短期間に渡来人由来の遺伝子を得たこととなります。その方々の遺伝子には縄文由来のものが認められますので、彼ら自身が渡来人だった可能性は低いです。従いまして、渡来人に由来する遺伝子パターンは瞬く間に、少なくとも畿内の全域に広まったことを意味します。また、現代人とほとんど同じパターンということから、短期間に日本全国津々浦々のお百姓や漁民にまでも拡散し、その後の変化はほとんど無かった、ということが示唆されます。交通機関も未熟なその当時、かくまでの短期間に渡来人由来のDNA が日本全国に広まるはずもないわけで、これを検証するためには以降の時代時代の人骨からDNA を採取し、時系列的に漢族系のDNA の拡散を調べれば判明するはずですが、果たしてどうでしょうか?
また、常識的には、古墳時代の列島辺縁の人々には未だ渡来人由来のDNA は届いていなかったはずですので、その後の歴史時代において拡散していったとするならば、渡来人由来の漢族系DNA の分布は近畿を中心とした同心円状の分布を示すはずですが、そうなんですか?弥生人由来のDNA の分布と、果たして区別できるでしょうか?
縄文人由来のDNA が逆方向の同心円を描くのは有名な話ですが、上記が正しければ、弥生人のDNA を上書きする形で渡来人由来DNA が同心円状に描けるはずです。そして、金沢大学によれば、弥生人の遺伝子の由来は西遼河~ツングース系であるわけですから、縄文人を上書きする形でこのパターンが日本人の遺伝子上に乗っているはずですが、この北東アジア由来のDNA パターンって、日本人には少ないはずです。

要するに、弥生時代に半島その他から流入してきた人々と古墳時代の渡来人とを、極めて数少ないサンプル数からの結果に基づいて「本質的に異なるもの」と仮定することから生じた誤りだと思います。
古墳時代に渡来人が流入しようがしまいが、それ以前の長い弥生時代において、半島やら大陸やら各地から継続してさまざまな遺伝子構成を持った人々が流入し、古墳時代においてはすでに現代日本人の礎が構築されていた、と考えるのが最も自然かつ合理的だと思います。以上!




今月の書評-134

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毎日毎日ブログばかり書いてるので少し飽きてきましたが、まだまだ先は長いので、頑張ります!

スサノオノミコト、乱暴が過ぎて高天原のみんなから憎まれ、ボコボコにされておん出されてしまいます。
で、どういうわけか出雲に行くのですが、併記の一つでは、出雲に行く前に新羅に立ち寄ります。そこもおん出された後に出雲に行く構成になってます。
で、その後に例のヤマタノオロチを退治して古事記ではクシナダヒメ、日本書紀では稲田姫をお嫁さんにしてハッピーエンドとなりますが、古事記ではこの後に、かの有名な「因幡の白兎」のお話が続きます。

で、その内容は誰もが知るところですが、古事記では「素兎」と書いてシロウサギと読ませます。で、しばしば指摘されるところですが、この「シロ」と新羅との間にはナンカ関係があるのではないのか?シロウサギは海の彼方からワニ(フカ~サメ)を騙してぴょんぴょん跳んできたわけだが、これは新羅から難民のようなのが流れ着て、それを大国主命が哀れに思って助けるお話なのでは?
とか・・・。

また、出雲国風土記には「国引き」のお話がありますが、ここでも出雲地方の土地を増やすために新羅国に綱を掛けてみんなでえんやこ~らと引っ張るお話が出てきます。新羅としてはたまったものではないと思いますが・・・。

もちろんこの当時は未だ「新羅国」という国は無いわけで、以前にも指摘したように、たぶん、以前から、倭人は半島の東海岸地方一帯を「しらき」と呼んでいた可能性があります。

改めて地図を見るまでもなく、北九州に至るには半島東南部から対馬~壱岐を通るのが最短ですが、出雲地方では寧ろ半島東海岸地方との間が地理的に近いことから、この地が何かと影響した、それが神話やおとぎ話、伝説として残った、と考えても違和感はありません。
以前にも述べましたが、土器のレプリカ法によれば、列島最古の穀物圧痕が付いた土器片は出雲地方の遺跡から出土しております。この穀物文化も、ことによると、半島東岸地方から伝わったのかもしれません。

いずれにしましても、魏志倭人伝において「列島には多くの国々があるが、蝦夷を除き、それらは全て倭種である」との記述から、大きな括りにおいては半島に由来する倭人は同族ではあったのでしょうが、より小さな出自、例えば氏族とか部族とかの括りでは、いくつかに分かれていたのだと考えてます。

寧ろ、それが自然です

で、このような出自を異にする部族~氏族の間で、状況に応じ、婚姻関係を結ぶなどして、連合~同盟関係を結ぶ必要性が生じたのだと思います。
高天原をおん出されたスサノオノミコトがめでたくクシナダヒメと結婚するお話も、恐らくは、その流れで解釈できるのでは?と思います。

とつたいもん土器の限界-3.jpg
これは「今月の書評-105」に載せた図ですが、ここでは北九州、南九州、出雲の、少なくとも三か所の地域にそれぞれ別の由来の弥生文化=同じ倭種ではあるが、氏族~部族が異なるもの、が伝播した可能性を示してあります。恐らく、もっとあるかと思います。

日本書紀の神武天皇東征のお話の中でナガスネヒコを打つ話がありますが、ナガスネヒコは饒速日命(ニギハヤヒノミコト)に仕えていた地元の豪族です。で、自分の妹をニギハヤヒノミコトに嫁がせて親戚関係となったわけですが、このニギハヤヒノミコトは半島由来の由緒正しい「天つ神」です。
で、神武天皇、これを聞いて一瞬ためらいましたが、結局、ナガスネヒコを斬ってしまいます。同じ天つ神ではあっても、たぶん、別の氏族だったからでしょうか?

この経緯を見ても、天皇家とは出自を異にする半島由来の氏族が、日本各地に三々五々に、渡来~分布していたことが分かります。

上図は、弥生時代において、最も早く水田稲作~穀物作が伝播した地域を表しています。北九州に最初に伝播したのは分かりやすいですが、南九州と出雲地方、共に早期に伝わっています。そして、両者とも、クロボク土の分布と縄文遺跡分布とからも分かるように、弥生文化が到達した当時、既に西日本屈指の強力な縄文勢力を形成しており、その後も縄文の影響力が後々まで残った地域であった、ということです。

実は、ここに、ヤマトの秘密があるのです!!!妄想だけど・・・。




今月の書評-133

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毎日毎日雨また雨・・・。
どこにもお出かけできませぬ・・・。
加えてコロナが「もういいっ!」てくらいに猛威を振るい、踏んだり蹴ったりの夏休みでありますが、みなさまは何をされてます???

センセのバイクも丸一年乗ってないので、走るかどうか、心配です。

と言うわけで、ブログの続きです。
今月の書評-131」で列挙した疑問は全て相互に関連しあってるので、個別に答えるのではなく、総合的に考えていこうと思います。


日本書紀、古事記ともに、初めの方は色んな神様が生まれる話のオンパレードですので省略し、何となく現実っぽい?ところから始めます。例の凄まじいオトコ、スサノオノミコトです。カタカナで統一します。

スサノオノミコトの話の中で、多くのヒトがこれまであまり指摘していない興味深いところが一点あります。それは、スサノオが姉の天照大神とケンカして勝った嬉しさに大暴れする場面ですが、生き馬の皮を剥いで姉が織物を織っている小屋に投げ入れる、という有名なシーンがあります。古事記、あるいはその他の併記によって「暴れ馬を田んぼに追い込んだ」とか、「ブチ模様の馬の皮をはいだ」とかいろいろ細かな違いはあるのですが、全ての併記において「馬」が登場します。

で、列島において確実に馬が存在した証拠は4 世紀を待たねばならず、魏志倭人伝の記述でも、2~3 世紀の倭には牛も馬もいないことが明記されてます。

殷墟からは戦車のくびきに括りつけられて殉葬させられた馬の骨がたくさん発掘されてますので、既に紀元前10 世紀くらいまでには中原で多くの馬が使われていたことは明らかです。
で、馬が半島東南部で使われるようになった時代がいつ頃なのか、色々調べても良く分からないのですが、魏志倭人伝の元本である「三国志」には「倭人伝」だけでなく、三韓、沃沮(よくそ)、濊(わい)、高句麗など、当時の朝鮮半島の多くの国々の事情が事細かに描かれてますので、読むと、これら全ての国々は押しなべて牛馬を利用しています。

で、大陸と地続きの半島末端までは比較的速やかに牛馬の文化が伝播したと考えられますが、列島に伝わるのがずいぶんと遅いような気がします。

やはり暴れる馬を船で運ぶのが大変だったからなのでしょうかね?
分かりませぬ・・・。
半島に最も近いところは北九州なのですから、北九州の連中が早くから馬を輸入していれば、これは大きな軍事力となり、その後の歴史も変わった可能性がありますが、馬が登場するのは、先に述べたように、崇神天皇以降のヤマト政権の勢力が伸長し始めるのが明白となってから漸くの事です。
こういう点を見ても、ナンカ、北九州勢力ってそもそもやる気があるのか?
疑問になります。

で、それはともかく、スサノオノミコトが馬の皮を剥ぐような乱暴狼藉をしたのは未だ馬が居なかったととびちゃんの時代よりもよっぽど昔の出来事ですので、やはり高天原は日本列島にはない!少なくとも東京都葛飾区四つ木ではない!ことは明らかです!!!

また、スサノオノミコトが生き馬の皮を剥いだ、という一つの併記がありますが、獣医師でもあるセンセとしては「これはあり得ない!」と断言せざるを得ません。

どれだけ暴れるのか、想像も出来ませぬ・・・。

で、これは生き馬の皮を剥いだのではなく、「皮を利用するためとはいえ、健康な馬を殺してはなりませぬ!」というような「おきて」が当時存在し、これに背く行為であるので悪い!ということを表したのだと思います。それだけ馬や牛は貴重な存在で、大切に扱われていたことを傍証するものだと思います。

センセは一応、獣医師の免許を持ってます。
でも、臨床はトンとご無沙汰なので、今では犬と猫の区別もつきませぬ・・・。
記憶によれば、確か、毛深い方がイヌ、でしたっけ?

違ったか???

毛深いイヌ.jpg
イヌ、だと思います。 docdog さんより
https://www.docdog.jp/2020/11/magazine-dogs-s-a-3513.html





今月の書評-132

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アメリカ軍が撤退したとたん、アフガニスタン政権はあっという間に崩壊してしまいました!
遠く離れた他国の出来事、我関せず、でしょうかね?日本の方々!
香港の民主化運動にせよ台湾問題にせよ、ここで本質論に立ち返って、よおおっ~~~く考えてくださいよ、みなさん!!!

さて、まずは高天原です。簡単です。朝鮮半島東南部のどこかです。オシマイ。

次行きます。



って、あまりにも簡単すぎる?も少しジタバタひねくってみる?

分かりました。でも、ちょっとだけよ~

まず、人間は天空に住むことはできません。人工衛星でもない限り。
で、この時代、人工衛星はありません。
従いまして、高天原にヒトが住んでいたとすれば、高天原は天空にはありません。オシマイ。

これでOK 牧場?まだ駄目?じゃ、も少しやってみる。

この時代、人間が天空に住めなかったことは分かる。でも、朝鮮半島以外のどこかかもしれないのでは?

答え:以下の候補地は全て可能性が低いです。

1) 南極
2) 北極
3) アマゾン
・・・・・
100) 東京都葛飾区四つ木
・・・・・

もうバカバカしいので止めますが、上記の思考パターンは、実は重要です。
一見バカバカしく思われるかもしれませんが、このように極端に描き出せば、「可能性」を指標としてより正解に近いものに絞っていく思考の道筋が分かると思います。

「車を真っ直ぐ走らせる」ためには、右と左の両極端が必要です。
普段の我々が通る道は右左がハッキリしてるので意識することはありませんが、サハラ砂漠ラリーに参加するヒトなど、意味はよくわかると思います。

「愛はお金では買えないわ💛」とJK が言った。
では100 万円では?1000 万 では?1 億では?・・・・・1000 億円では???
100 人のJK が居たとして、 数人くらいはそれでも意見を変えない可能性はありますが、結構の数のJK が上記の「せり値」のどこかで脱落するかと・・・。

いずれにしましても、「ありえる」、「ありえない」を指標として比較的広範囲にスクリーニングを行うだけで、結構、目標近くまで到達できます。そこからさらに絞り込むのがナカナカ厄介な作業なんですけどね!


で、ずいぶんと回り道をしましたが、どんな民族にも天地開闢(かいびゃく)以来の神話があります。狩猟採集を行っている民族などでは「おらの先祖はオオカミじゃわ!」、「おらのとこはバッファローだで!」なんてのが多いのでしょうが、農耕が始まるとたちまち「太陽神」てのが登場します。分かりやすいですよね!

縄文人の場合はイノシシを祭っておりました。イノシシをご先祖としていたかどうかは、分かりませぬ・・・。

で、ご多分に漏れず、ヤマトの連中もまた、太陽の女神さまを拝し奉り(はいしたてまつり)、高天原という天空にある架空の場所を設定し、彼女の居住地をこれに充当しておりました。で、奈良盆地にヤマト政権ができ、その後の歴史が動いていくのは現実ですから、どこかで神話から現実の話に移行しているはずです。それが天孫降臨の場面で、南九州にヤマトのご先祖一派が移住する場面です。で、ホントに天空から移住するわけありませんから、じゃ、どこが一番可能性が高いかというと、朝鮮半島東南部のどこか、というわけです。

このレベルのお話に時間とエネルギーをかけるのは嫌なんですけど、「東京都葛飾区四つ木だ!」とかいうヒトが居るもんで・・・。← ホントか???



せっかくですので、この流れで、も少し書きます。コロナに絡みます。

コロナが流行りだした頃、マスク着用率が高い日本に向けて、アメリカ大手の新聞が「ウイルス対策としてマスク着用は無意味!」とか主張してました。覚えてる?

現在でも、マスクしないで野外でBBQ とかして騒いで注意したら「マスクがコロナを防ぐ証拠はあるのか?」とか言って反発するHD Horse and Deer連中が居ますが、同類です。

で、マスクとコロナを例にとって、先の「論理の道筋」について解説します。

どんなマスクを着けていてもコロナ感染を100% 防ぐことはできないと思いがちですが、ある種のマスクを着けていれば、少なくとも気道感染は100% 防ぐことができます。
それはどのようなマスクかというと、100% 空気との接触を遮断するタイプのマスクです。このマスクをすれば空気を吸うことができませんので、コロナも100% 気道に侵入することができません。従いまして、このマスクをすれば、100% コロナの気道感染を防ぐことができます。その代わり窒息死するけど・・・。

じゃ、と言うんで、薄いガーゼ一枚でできたマスクをするとします。
この場合はスースー楽に呼吸ができるので、とても快適です。
けれどもコロナもスースー侵入します。

で、この場合のコロナウイルスが気道に侵入する確率ですが、たぶん、100% ではないと思います。99.999・・・・% くらいスースー侵入できると思いますけど、極々わずか、阻止されるウイルス粒子が存在するはずです。

じゃ、ガーゼを二枚にすると、三枚にすると、四枚、五枚・・・恨めしや~~~。

というカンジで、どこかで「呼吸もできる、ある程度コロナの侵入も防げる」枚数を見つけることができます。その場合、コロナ侵入阻止の確率は、もちろん100% ではありません。

で、それで良いのです。
何もマスクでコロナを100% 何としても阻止しなくてはならない、というわけではないのです。それが10% であっても20% であっても30% であっても、「大した苦労もお金もかけずにそれなりに効果が期待できる」のであれば、大いにすれば良い、というお話です。

何もスーパーコンピューターの「富岳」を使ってシミュレーションをするまでもないのです。

上記の、「ガーゼ一枚で99.999・・・%の侵入率(架空の数字ですよ!)から、息が出来ないタイプのマスクの100% 阻止率のどこかで現実的なマスクの存在意義が発生する」というものの考え方、これが大事であるということです。

社説で堂々と「マスク無用論」をぶち上げたアメリカ大手の新聞社ですが、ハーバードだかエールだかの優秀な大学を卒業された方々が書かれたものでしょうが、それでもこのような簡単ではあるが合理的なものの考え方ができない方々も大勢いらっしゃるわけでして・・・。

ましてやマスクしないでBBQ して外で騒ぐ輩は何をかいわんやかと、今更に呆れてそろそろソーメンでも食べようかと考えてるセンセでありました。
 






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