今月の書評-100

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「今月の書評」も今回で100 回となりました!
で、なかなか終わりませぬ・・・。

コロナも第三派で拡大中!
これもナカナカ終わりませぬ・・・。

センセの実験も三歩進んで二歩下がるの繰り返しで、
いつ終わるのか見当もつきませぬ・・・。

困ったものだ・・・。

ということで、倭人です。

呉の滅亡よりもはるか以前に、倭人の一部が半島南部に移住した
と、「今月の書評-98」で述べましたが、その理由を述べていきます。

これまでの議論から、水田稲作技術はまずは半島南部に伝播し、その後に列島と半島北部に伝播した可能性を指摘しました。そしてその古さを考えると、呉の滅亡とは無関係であることは明らかです。
今回は、朝鮮半島に数多く残る支石墓について考察を加えることによってこの考えを裏打ちすると同時に、その後の倭人の展開について考えていきたいと思います。まずは半島の支石墓の図です。


支石墓分布.jpg
これは「今月の書評-82」に載せた支石墓の分布図ですが、黒丸の密度からも明らかなように、南方型のものが浙江省~江蘇省沿岸から大挙して押し寄せてきた人々によって作製されたことが見て取れます。そして大事な点は、これらの支石墓の年代が長崎県で見られるものと比べて相当に新しいと考えられている点です。

支石墓の正確な年代測定はナカナカ困難であるようですが、ともかくも現時点で考えられている年代としては、長崎の支石墓群は菜畑遺跡とほぼ同じ紀元前1000 年くらい、一方の半島南岸部のそれは、ウイキによれば、紀元前500 年くらい前、と見積もられています。


原山支石墓群.jpg
長崎県の原山支石墓群 まっぷるトラベルガイドより https://www.mapple.net/spot/42000016/


「今月の書評-82」を書いた時点では長崎の支石墓群と半島南岸部のそれらとを同列に捉えていたので「半島南岸部の支石墓群の年代は紀元前500 年よりも古いであろう」と思っていたのですが、色々考えているうちに、「いや、そうではない!長崎のものと半島南岸部のものとは別の部族によるものだ!」と考えるようになりました。そしてそれを手掛かりとして色々想いを巡らしているうちに、一つのシナリオが頭にひらめきました!以下、例の妄察です。


1)倭人は水田稲作技術、素潜り漁を伴う漁猟、そして南方型支石墓形式のお墓という三点セットを伴って、紀元前1000 年よりも前に半島南岸部に移住した。その数は多くはなかった。
2)当初は半島南岸部に薄く広く住んでいたが、その後徐々に呉の版図から移住してきた他部族(鳥越憲三郎氏言うところの広い意味での倭族)に押され、南西岸から南東岸、現在の慶尚南道辺りに居を移す。
3)ここで北九州~対馬~慶尚南道のラインを利用していた縄文人と遭遇!同じように入れ墨だの抜歯だのしていたおかげで、両者はすぐにお友達となる。で、縄文人に列島へのルートを教えてもらって水田稲作技術と支石墓形式のお墓を北九州に持ち込む。これが紀元前1000 年くらい前のこと。
4)倭人は、列島が半島に比べて水田稲作~漁猟により適した土地であることがすぐに分かった!だもんで、列島を足場にして勢力を伸ばすことを決意!
5)一方で、先進的な技術は常に大陸~半島からもたらされるので、慶尚南道に築いた拠点の確保には全力を尽くすことを決意!
6)その後、呉国が崩壊。版図の住民が大挙して半島南西部に押し寄せる。さらにその後に越国も崩壊し、同様に難民流入。ここに半島南部は小国家が林立し、北方の勢力や半島東岸の勢力も加わって大混乱!
小国の王は、もろびとこぞりて ♪ 自らの支石墓を建立する。
7)一方の倭人は、慶尚南道を何としても死守する決意だ!この当時、列島に移住した倭人にとって、慶尚南道は自らのルーツの一つであり、「第二の故郷」と認識されるようになった。時が経つにつれ、「第一の故郷」である江蘇省沿岸部は忘れ去られるようになった・・・。


このように妄想すると、その後の大和朝廷の朝鮮半島に対する認識~関与などもすんなりと腑に落ちるようになる、と考えてます。
加えて現在の沖縄の形成に至るルーツも、この妄想から紡ぎだせるとも思っています。


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2020年11月29日 09:59に書いた記事です。

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