今月の書評-35
ひむがしの
のにかぎろひの たつみえて
かえりみすれば つきかたぶきぬ
いきなりの和歌で登場です。読めますよね?
以下、漢字をふると、
東の 野に陽炎のたつみえて 返り見すれば 月傾きぬ
となります。何の注釈もなく、意味明瞭ですね!
ご存知、柿本人麻呂さんの歌です。
今から1,300 年以上も前、7世紀の言葉です。
今から1,000 年以上も前の言葉の意味が何の注釈もなく明瞭に理解できるとするならば、この歌が詠まれた7世紀からさらに1,000 年くらい前の言葉も、たぶん、そんなに変わっていないのじゃなかろうか、と想像しても大きな間違いはないと思います。
この歌が詠まれた時代のさらに1,000 年くらい前というと、紀元前300 年くらい前、ということになります。いわゆる「弥生時代」に相当します。
この先詳しくお話していく予定ですが、弥生人と縄文人、あるいは弥生文化と縄文文化、という形で、しばしば対立的に語られます。両者の際立った違いは明らかですので当然だと思いますが、一方で、「縄文シリーズ」で何度も言及したように、現代日本人には縄文人の遺伝子が色濃く残っているわけですから、言語を含む縄文文化もまた現代日本に色濃く残っているのではないのか、あるいは極端に言えば、先に述べた柿本人麻呂の歌も「縄文語」で歌われたものなのではないのか、などという珍説を提出してもとりあえずはOK かも知れません。
で、まずはこの「珍説」を葬り、ついで「弥生人とは日本語を話す人々である」と仮定して、「弥生シリーズ」の初頭を飾りたいと思います。
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