食用微生物のお話 の最近の記事

食用微生物のお話 その五

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なんとか今年中に続きを書くことが出来ました。「その四」の続きです。

さて、我々が普段食べている食事の中には、ビタミンやミネラル、ポリフェノール類などが多く含まれている食物があります。これらの物質は、抗生物質やステロイド、抗がん剤などのような強烈な作用はありません。しかしながら、昔の船乗りがしばしばかかったと言う壊血病や、昔の日本人に良く見られた脚気などは、これらのビタミンの欠乏によるものであることはよく知られています。従ってこれら食物由来の物質が欠乏することによって「病気」になりますので、これを補った時点でその補填に使われた食物は、すでに「医薬品」となります。何故ならば、壊血病も脚気も「病気」であるからです。従って壊血病にかかったヒトがミカンを食べて治癒した場合、ミカンは医薬品と見なされる訳ですから、ミカンは医師の処方箋無しで販売してはいけないはずです。脚気も同様で、白米を食べて脚気になったヒトが玄米を食べて治癒した場合、玄米は医薬品となるわけです。

なんか可笑しいですよね?

結局、食物と病気とは密接に関連しており、同時に食物が医薬品と同様の働きをする場合がありうる、と言うとっくに分かっている事をくどくどお話したに過ぎません。

お米と脚気の例えが良く分かりやすいのですが、そもそも「食物」というもの、特に野菜や穀物などの農産物は、ヒトが食べやすいように、過去数千年かけてご先祖様が営々と改良に改良を重ねてきた代物です。これらの農産物の原種は、たやすく想像出来る通り、現在の我々が食べたとしたらとても食べられる代物ではありません。ほんの数十年前の野菜ですら、我々大人が食べれば懐かしい、美味しいと感じるものであっても、現代の子供達にとってはとても食べられない、と言うケースもままあるようです。その最大の理由は、野生種、或いは野生に近いものであればあるほど「えぐみ」や「苦み」が強く、反対に「甘み」が薄くなる為です。しかしながら、例えば抗酸化能の強いポリフェノール類などは将にこれら「えぐみ」の主体である事例が多いのです。消費者に買ってもらえるように生産者は長きにわたってこれらの「えぐみ」を出来うる限り少なくし、反対に「甘み」を強くし、より柔らかくなる様に改良に改良を重ねてきました。その結果、現代一般的に得られる農産物中の「機能性物質」は、本来あるべき量から大きく減少したものとなっております。これに加えてヒトは収穫物をそのままの形で摂取することは最早不可能に近くなっています。典型例がお米で、確かに玄米の方がビタミンB1など、栄養価に飛んでいます。しかしながら人間は白米の方を好みます。より甘くてより柔らかいからです。その結果、仮に副食が無いと仮定した場合、ビタミンB1欠乏による脚気になります。ここからが本番です。

このような状況で取り得る選択肢には、最低二通り考えられます。一つは無理して玄米を食べること、もう一つは、美味しい白米を食べながら、玄米中の栄養素を別にして摂取する方法です。原理的に、健康への影響は同じとなるはずです。後者の場合、例えばビタミンB1をカプセルに詰めて摂取することとします。その場合、「健康食品悪玉説」の論者であれば、食物中の成分をカプセルに詰めて摂取するというのは「罪を恐れぬ悪魔の所行」なのですから、当然やってはいけないことになります。

皆さんはどう思われますか?

センセは馬鹿馬鹿しいことであると思います。いったい何処に「健康食品悪玉説」の根本的間違いがあるのかと言うと、「食物」と「人間の進化」と「食物の進化」と「製品と販売方法の区別」と等々、そもそも議論すべき内容を構成する概念に対してあまりにもナイーブかつ「深く考えずに多数派につく」と言う態度によるものであると考えます。

今回は玄米を例にとりましたが、次回はもう少し例を挙げて、より具体的に話していきたいと思います。

食用微生物のお話 その四

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なかなかブログの更新が出来なくてすいません。普段は仕事で書く暇が無いし、週末は他のことで目一杯でこれまた不可能。で、祝日祭日を利用してちょっとずつ書き足しています。今日は平成22年12月31日(金)、すなわち今年の大晦日。ただいま午後三時半であります。早めのお風呂を浴びて、夕食までまだ時間があるので、これを利用して書いています。お題はこの前の続きの「人間は自分が動物であることをすっかり忘れてしまったのでは無いのか?仮説」です。

中山センセは朝起きると、まずこゆ~いコーヒーを作って、それを啜りながらたっぷり一時間かけて、The Daily Yomiuri を読みます。それが終わると、朝食や昼食の時間に日経新聞を読みます。これらの新聞の日曜版とか家庭欄とかには必ず健康に関する連載ものが載っていたりします。大概毒にも薬にもならぬありきたりのことしか書いていませんが、時々聞き捨てならぬことが書いてありますので、さすがに温厚なセンセでも、時折ツッコミを入れたくなります。

このような健康に関する連載ものでは、ほぼ必ず健康食品を悪玉に仕立て上げます。これはほとんどお約束と言っても良いぐらいで、書いてる本人達ははじめから自分を正義の味方の位置に置き、その位置を補強するためにも健康食品を悪玉に仕立て上げなくてはならない、と強い信念を持っているかのようです。そしてそのような連載のすぐ裏面にデカデカと全面広告で「ナントカペプチドが血圧に効く!」とか載っているのですからこの時点ですでに噴飯ものです。

もちろん新聞社は中立の立場ですし、また商売でもある訳ですからこのような現象もさして驚く必要は無く、むしろ言論が健全である証拠と言っても良いのですが、あんまりあからさまなので、時々本当に可笑しくなります。

ここでセンセがツッコミを入れたいのは、実はそういう新聞社の態度では無く、「健康食品悪玉説」を流布させる人たちの哲学に対してです。

センセを含めて食品科学に携わっている多くの研究者達にとっては、食品=単なる栄養という図式でものを考えている人たちは、すでに皆無だと思います。難しい言葉で「食品の三次機能」とも言いますが、おなかを満たし、体に基本的栄養を与える役割が一次機能、おいしさを追求するのが二次機能、そしてよりよい健康を追求したり、病気を未然に防いだり、或いはより積極的にある種の病気を食で直したりするのが三次機能です。「健康食品悪玉説」を唱える人には医師が多く、彼らが言うには、「食事には三次機能などは無い。仮にあったとしたらそれはすでに医薬品も同然であるから、食として食べてはいけない。それでも仮に食物の中に機能性のある物質があるとしたら、それは食物全体として食すべきもので、それを抽出し、カプセルの様な、食品とは思えない形態で摂取するのは言語道断、将に悪魔の所行である!」とでも言わんばかりです。

センセはこのような説が誠に噴飯ものであることをこれから証明しようと思います。

現在の医薬品には化学的に合成されたものが数多くあります。しかしながらこれらの合成医薬品も、過去に蓄積された数多くの天然医薬品の知識の結晶と言うべきもので、しかも未だに新たな医薬品が自然界からもたらされ続けています。おそらくまだまだ長い将来にわたって、新たな天然医薬品が見いだされていくことでしょう。これらの天然医薬品は、本来的には、ある種の植物や微生物、或いは動物の体などから抽出されます。例えばグリチルリチンという消炎剤として幅広く使われている物質は甘草という草から抽出されますし、抗生物質のペニシリンは青カビから、ウルソと言う胃腸薬は元々は熊の胆嚢から採取された物質です。

これらは単離精製した場合に効果がはっきりと現れるので医薬品として分かりやすい例ですが、必ずしも短期間では明白な効果をもたらさないけれども長期にわたって摂取することによって人間の健康に大きく影響したり、或いは将にヒトの恒常性(難しいですね!)の維持に役立つ様な物質も自然界には数多く存在します。このような物質は、これまで科学が十分に発達してこなかった時代には結局検出、証明することが不可能でしたので、「検出できない、証明出来ない=無いも同然」と言うおなじみの図式により無視されて来ました。けれども検出技術や実験技術の進歩のおかげで、これらの「穏やかな作用をもたらす物質群」にも、科学の光が当たるようになってきました。

そのような物質群の代表が、ビタミン類やポリフェノール類、食物繊維、微量元素類、そして食用微生物群です。そろそろお腹がすいてきましたので、この続きは後ほどに!ことによると、来年?

食用微生物のお話 その三

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今回は、普段中山センセが考えている食用微生物に関する「思想哲学」を開陳したいと思います。思想哲学と申し上げる所以は、この考え方が特に市民権を得ているわけでもなく、いわんや科学的に証明されているわけでもないからです。単に「独り言」と言っても良いのですが、それではセンセの股間、じゃなくって、沽券に関わりますので、敢えて「思想哲学」と書いてみました。なかなか重くて良い感じです。

さて、本筋に戻ります。

お題は、「一体何故、食用微生物の摂取は身体に良いのか?」と言う事です。

だって皆さん不思議に思いませんか?実に様々な種類の乳酸菌関連商品、酵母や麹を用いた健康食品や医薬品、さらには味噌や納豆などなど、どれもこれも身体に良いと謳われているものばかりです。そして実際にこれらは様々な疾病に効果があります。少なくとも動物実験では明らかに効果が出てきます。健康な人々がこれらを日常的に摂っていると、そうでない人々よりも様々な疾病に対して抵抗力が生じる、と言う報告も数多くあります。但し人間を用いたいわゆる疫学調査などでは、必ずしも明確な因果関係が常に証明される訳ではありません。この様な疫学調査では、その度に結果が逆転することが珍しくありませんので、個人的にはあまり重要視しておりませんけど、、、。こう言うと、疫学の先生達から怒られるから言いたくないけど、、、。でも言っちゃったけど、、、。

「衛生仮説」という説があります。

これは、牛や馬などを飼っている農家などで生まれ育った子供達はアトピーにかかりづらい、と言う経験則から生まれた仮説で、説得力があると思います。詳しく述べると、牛馬のフン中の細菌、特にグラム陰性菌、に小さなうちに暴露されることによって免疫系が刺激され、発達する結果、その後は多少の外来物質に対して過敏に反応しなくなり、その結果アトピーなどにかかりづらくなる、というものです。

センセの「思想哲学」はこれのさらに上を行く代物で、センセは自説を「人間は自分が動物であることをすっかり忘れてしまったのでは無いのか?仮説」と名付けました。ちょっと長いのが難ですけど、、。

さて、センセの「人間は自分が動物であることをすっかり忘れてしまったのでは無いのか?仮説」とは、本来あるべき姿の人間は、食物その他から、もっともっとたくさんの微生物を摂取しているはずである、と言うのがその骨子です。ペットの犬猫を除く自然界の哺乳類、例えばアフリカサバンナのシマウマは草原の草を食べていますが、その時彼らはこれらの草を流しで洗って食べるわけではありませんし、そのシマウマを追っかけて倒して食らいつくライオンは、倒したシマウマをバーベキューにしてちゃんと焼いてから食べるわけではありません。みんな自然界にあるモノを、そのまま生で食べるわけです。ライオンなどは、シマウマの内臓から食べると言われています。少し考えると分かりますが、彼らは相当量の微生物を自然に摂取しているはずです。そしてそのような生活を、数万年、数十万年、いやいやもっともっと長い期間送っているわけで、その結果彼らの身体はそのような生活に適合した作りに遺伝的になっている訳です。別の言葉で言えば、そのような彼らを動物園の様な人工的な場所に閉じ込め、人間が食べるような衛生的な食物を与えていると、何らかの変調が生じても不思議では無いと思われます。実際問題としては、そのような食物問題よりも先に、狭い場所に閉じ込められる事から来る精神的な変調が顕著に現れます。一方で当然のことではありますが、外敵や仲間からの攻撃からは保護される結果、寿命は顕著に増加する場合も多い様です。

さて、少し脱線致しましたが、現代人の場合でも、相当ライオンに近い様な食生活を送っていた人々がおります。代表的な例を一つだけあげますが、それはいわゆるイヌイット、昔言うところのエスキモーの人々です。今から数十年前の本田勝一の三部作の中にイヌイットの生活を記述した有名な本がありますが、それによれば、彼らがアザラシを狩る時などは倒した獲物をその場で解体し、脂身や内臓などをその場で食べるそうです。もちろん生でです。持ち帰った肉などは煮て食べる様ですが、恐らくさらに古い時代ともなれば、これらの肉も生で食していたのでは無いのでしょうか?本来的には彼らの食生活は100%肉です。現代人から見れば不健康極まる食生活と言うのでしょうが、実際には、これらを生で食べることによりビタミンなどの栄養素はそのままの形で摂取出来ますし、バーベキューにしない分、焼き肉由来の発ガン物質なども生じませんので、寧ろ栄養学的には優れているのでは無いのでしょうか。

さて、イヌイットの例を挙げるまでもなく、我々のご先祖様は圧倒的に現代人よりも多くの微生物を食物から摂っていたのは間違いの無いところだと思います。センセが申し上げたいのは、「だから現代人もまた生で牛や豚のホルモンを食え!そしたら万事解決だ!」と言う事ではありませぬ。そうでは無く、「我々のご先祖は、過去数十万年~数百万年に亘って今よりもよっぽど多くの微生物をそうとは知らずに摂取していたはずであり、その結果、我々の身体もまた、そのように外部から大量に供給される微生物をあてにした作りになっているはずである。ところが現代になって急激に環境が良くなり、我々が食べる食物はクリーンそのものな代物と化している。このまま数万年も経てば、確かに遺伝子的に我々の身体はそのようなクリーンな状況に適応するのかも知れない。しかしながら我々は未だ原始人の遺伝子をそのまま引き継いでいるのであり、数万年先の「遺伝子レベルでの適合時代」まで待つ訳には行かない。この様な急激な食物の無微生物化が、我々の健康に対して全く影響を及ぼしてはいない、とは考えづらい。恐らく、多くの食用微生物関連の食物や健康食品、或いは医薬品などがかくも様々な疾病に対して幅広く効果を示すその理由は、現代人の食物由来微生物の摂取量が本来あるべき量に満たないからではなかろうか?すなわち食用微生物は、炭水化物、脂肪、タンパク質、ビタミン、ミネラル、食物繊維に次ぐ、人類必須の第七の栄養素なのではなかろうか?」という事を主張したいのであります!

、、、、疲れました、、、。

ええっと、本質論は上に述べた通りですけど、このままでは未だ言葉足らずで誤解が生じるかも知れませんので、この続きはまた後日書きます。

食用微生物のお話 その一

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食用微生物のお話をいたします。
食用微生物とは、読んで字の如く、食べられる微生物のことです。

まず、料理法をご説明します。

あらかじめさっと湯通しした乳酸菌を、カップ一杯のだし汁に漬けます。

これに塩こしょうして、先に炒めた酵母菌を小さじ一杯加え、
ねばりがでるまでこねます。

これに千切りにした麹菌を加え、油で炒めます。
この時、炒めすぎないことがこつです。

炒め終わったら、お皿に盛って完成です。

季節のお野菜などを添えても彩りが良く、お客様にも喜ばれます。

と、言うのが「食用微生物」ではありませんのでご注意下さい!

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