今月の書評-82
一か月前には夢想だにしなかった展開を見せているコロナウイルスですが、皆様はいかがお過ごしのことでしょうか?
幸いにも上田ではクラスターとやらも未だ発生しておらず、スーパーの店先に行列ができるようなこともありませんが、マスクやトイレットペーパーなどの定番を除き、商品の種類によっては、確かに品薄のものも出始めているようです。
センセが毎週欠かさずに食べていたレトルトのタイ式カレー(赤)が、棚から消えていました・・・。
でもこれは「売れないから」消えた可能性が高いです・・・。
センセの味覚は、よっぽど特殊なのでせう・・・。
さて、「ひいふうみい」数詞圏で生まれたと思われる日本語ですが、その日本語を話す連中の出自に関して、さらに突っ込んで行きたいと思います。まず初めに「お墓」を手掛かりに探っていきます。
「今月の書評-76」でご紹介した「支石墓」ですが、おおよそ半島半ばを境として北方型と南方型に分かれます。で、この南方型は紀元前1700 年頃の中国浙江省の支石墓に起源を有し、そこから半島西南部~九州北部に伝わった可能性が高いと考えられています。
であるとするならば、この流れと共に水田稲作も伝わった、と考えるほうが自然です。
和順支石墓群 화순 支돌 무덤군 ふぁすん 34.976142,126.93015 wikimapia より改変
和順支石墓群 화순 支돌 무덤군 ふぁすん 34.976142,126.93015 wikimapia より改変
また、列島最古の支石墓群が佐賀県や長崎県から多数見つかっており、特に長崎県の原山支石墓群や大野台支石墓群のものは縄文晩期に相当すると見積もられ、形態的にも中国浙江省で見られるものと大変よく似ているそうです。
半島における南方型支石墓の年代に関しては典拠によって異なり、ウイキでは紀元前500 年前と書かれています。仮にこれが正しいとすると、縄文晩期に長崎に伝わった南方型支石墓が海を渡って半島西南部に伝播した可能性も生じますが、支石墓そのものから「正しい」年代を測定すること自体が基本的に困難な作業であるため、ウイキの年代もそのままに信じることは出来ませぬ・・・。
中国浙江省の支石墓が紀元前1700 年と見積もられているところをみると、半島南部の支石墓群を紀元前500 年とするのは、いかにも年代が離れすぎているカンジがします。
ということで、例の菜畑遺跡の水田跡が紀元前1000 年くらいの縄文晩期に相当することを考えると、中国浙江省~支石墓~水田稲作~朝鮮半島南部~九州北部~縄文晩期という一連の流れは、ストレスなく、喉元を通ります。
ということは、「今月の書評-67」で述べた「稲の来た道」ですが、個人的には、「山東半島から南下してきた」説は分が悪いのでは?と考えています。
以下、次回!
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