今月の書評-81
さて、朝鮮数詞の音読みが日本同様に中国由来であるのは明らかですが、訓読みの方はいつ~何処に由来するのでしょうか?
東アジア史で習う高句麗(こうくり)とか百済(くだら)とか新羅(しらぎ)とかですが、色々あって、最終的に新羅によって半島が統一されたことは皆さまもよくご存じのことかと思います。で、言語学的にも、現代朝鮮語の源流は、この新羅語にあると考えられています。ということは、現代朝鮮語の数詞の訓読みは、新羅の言葉に由来する可能性が濃厚です。
で、前に戻って日本語の「ひいふうみい」と比べていただきたいのですが、全く似ていません。
で、日本語の「ひいふうみい」と高句麗数詞の偶然とは思えない類似性と現代朝鮮語数詞の訓読みとの違いから、次の仮説を導くことができます。すなわち、
「古代朝鮮半島に君臨した諸国家の支配層の出自としては、基本的な言語組成を異にする少なくとも二つの系統があった!」
ということです。
で、ここで中国の「三国志」やら「魏志」やらの文献を見ると(ウイキなどからの引用ですよ!)、扶余(ふよ)~高句麗~濊貊(わいばく)~沃沮(よくそ)の連中はおおよその言語~風俗が同じ。東の挹婁(ゆうろう)~粛慎(しゅくしん)~靺鞨(まっかつ)などは扶余とは異なる言語を使っていた、とのことです。
見たことも無い漢字の羅列でスミマセンが、下の地図にまとめました。
ウイキペディアより これは後漢の頃の勢力図 (たぶん、紀元後1世紀ごろ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E8%B2%8A
で、この扶余(ふよ)とか高句麗とか濊(わい)とか貊(はく)とかの出自ですが、ツングースともモンゴルとも、あるいは両者の混合であるとも言われてますが、挹婁(ゆうろう)~粛慎(しゅくしん)~靺鞨(まっかつ)の連中は、ほぼ確実にツングース100 %であろうと思われます。
で、ここからはおなじみの妄想タイムとなりますが、上の図の辰韓(しんかん)が後の時代の新羅となりますので、たぶん、古代の半島は、大別して、今の沿海州から東海岸に沿って南下してきた連中と、満州から遼東半島の基部を通って鴨緑江を渡り、半島の西部を伝って南下していった連中がいたんじゃないか、そしてそれぞれ言語~風俗も相応に異なっていたんじゃなかろうか、と考えてます。
で、後の世に馬韓~弁韓~辰韓の三韓時代となりますが、「三国志・東夷伝」には「馬韓と辰韓とは言葉が異なる」との記載があり、馬韓は半島西部に、辰韓は東部に位置することから、馬韓、後に百済となる国ですが、これの支配層の連中は扶余~高句麗の流れをくむものであり、後に新羅となる辰韓の支配層は、よりツングースの血が強い連中であった、そして、ここが重要な点ですが、後に日本語を話すようになった連中は、紀元前の相当の昔、この満州から南下して半島西岸~南西岸に勢力を拡大した部族国家~部族社会に一旦取り込まれ、相応する年月をおくった結果、本来の数え方をさっさと捨て、度量衡~行政権に属する北方由来の数詞の言葉、「ひいふうみい・・・」を必要に迫られて、あるいは半ば強制的に、取り入れた、あるいは取り入れざるを得なかった、と考えてます。
ここまでくると、もはや妄想と言うよりも「幻想」と言うべきかもしれませんが・・・。
もしもご先祖さまが東海岸に移住していたなら、今頃は「ぼく、いくつ?」「セッ、ニダ!」← (出鱈目ですよ!)と話していたかも知れませぬ・・・。
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