今月の書評-60
みなさまあけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
毎年恒例の箱根駅伝は下馬評通りの青学優勝!
一方の大学ラグビーは、久方ぶりの早明対決と相成りました!
決勝は今月11日。
新年早々、ワクワク感が止まらないセンセです。
さて、例年でしたら長野の厳冬を口実に引きこもりになってブログの更新に励むセンセですが、今年の冬は今回が初めての更新。
縄文系も一通り終了しましたので、本格的に弥生に突っ込んで行きたいと思います。
「今月の書評-47」で定義したように、今からおよそ3000年くらい前に北九州で水田稲作が始まったのをもって、弥生時代の開始といたします。
この開始年代も今もって議論が継続されているようですが、本質論ではないと思いますので、ここでは3000年前として話を進めていきます。
水田稲作の開始をもって弥生時代と定義するわけですから、それ以前に「稲作」があっても、それが「水田稲作」でない限り、弥生時代と認定する訳にはいきませぬ。
その理由も「今月の書評-47」で述べました。
で、「稲作」がまさにキーワードとなりますので、そこからお話を開始していきたいと思います。稲作に関しては、ご多分に漏れず、佐藤洋一郎氏の著作に多くを負うこととなります。
現在、アジアにおける稲の栽培品種としては、大きくジャポニカ米、インディカ米、ジャバニカ米の三つに分類されます。ここではジャバニカを省き、ジャポニカとインディカ、特にジャポニカ米について述べていきます。
「今月の書評-50」でも書きましたが、ン十年前に一世を風靡した稲作の「照葉樹林帯発祥説」は、現在では吹っ飛んでしまいました。これは、長江中下流域の、より古い地層から、炭化米を始めとする明白かつ大規模な水田稲作の跡が見つかったからです。
このような考古学的証拠から、「水田稲作はおよそ1万年前の長江中下流域で始まった説」は、現在幅広い支持を得ています。
ここで一つ、水田稲作の太字にご注意ください。
おそらく、九分九厘の確率をもって、水田稲作が長江流域で「発明」されたのは間違いないと思います。
けれどもそれは、水田稲作で用いられた稲もまた長江流域が起源であることを直接的に意味するものではありませぬ。
近年のDNA分析による結果から、ジャポニカ米の原種はオセアニア北部~ニューギニア~インドネシア~フィリピンにまたがる東南アジア地域で生まれた、と考えられるようになってきました。
いわゆるスンダランド~サフルランドに起源を持つ、と大雑把に言ってもよいかもしれません。スンダランド~サフルランドに関しては「今月の書評-3」をご参照ください。
これらの広大な大陸棚は1万年前前後の最終氷期の終了に伴ってジリジリと海面下に沈んでいった訳ですが、そこに住んでいた住民は、海面の上昇に伴い、あるものは北へ、あるものは南へと移住していったと考えられます。当然そのとき、彼らの生活のたつきもまた、共に北進南下していったことでしょう。
で、水田稲作が北九州で始まる前、縄文時代人もまたすでに、稲作をしておりました。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 今月の書評-60
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.kigen-technosakaki.jp/old/mt/mt-tb.cgi/246