今月の書評-3

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本日は大晦日イブ。今年も残りわずかですが、年越しの準備はお済みでしょうか?
今年はお正月を前にして列島は寒波に襲われてます。この数日は坂城も猛烈に寒かったですけど、今日は少し緩みがち。ちょいと一息ついてます・・・。

水曜日は研究所も仕事納め。室員総出での大掃除でしたが、小雪の舞う中でのガラス拭きにはナカナカつらいものがありました。
でも、おかげで床も窓もピッカピカ!心も新たに新年を迎えられそうです。


さて、「クロボク土」のおかげで「日本人の喜源、じゃなくて、起源」への探求心に火が付いたセンセですが、実はW中学の頃は「歴史研究部」に所属しておりました。

W中学の歴史研究部の活動は単に図書館にこもって歴史書を調べたり博物館に行ったりするだけじゃなく、各地の貝塚や遺跡群を訪ねたり発掘調査のお手伝いをするなど、ナカナカ活発なものでした。センセも実際に、縄文だったか弥生だったか定かではないのですけど、世田谷区の発掘現場で発掘調査に参加したことがあります。現在では「砧公園」となっている場所です。夏休みを利用して参加しましたので、穴掘りも汗だくでした。

で、実際にこの手で土器を掘り当てました!スゴイ!

でも、縄文だったか弥生だったか覚えてない・・・。情けないですね!
その年の文化祭の歴史研究部のブースでは、実際に「人骨」も展示しました。
凄いですね!
でも、縄文人だったか弥生人だったか、やっぱし覚えていない・・・。
ダメダメですね!

そういうダメダメな歴史研究部員のセンセでしたが、ここ数日、中井貴一が案内役をしてる古代中国の歴史を扱った番組を朝からBSで見てます。これ、確か以前にも見た記憶があるので再放送だと思いますが、やっぱし中国史って日本とスケールが違って、すんごく面白いですね!日本人の平均値としては「現在の中国に関してはちょと・・・だけど、中国の歴史~文化は大好きだ!」というカンジだと思いますが、センセもそうです。中学時代に吉川英治の「三国志」に夢中になった一人です。ビートルズの「Something」を聴いて条件反射的に「怒髪天を衝く」を思い浮かべるタイプの一人です(他にいないと思うけど)。

で、縄文人です。

でも、縄文人を語りだすと弥生人にも言及しなくてはならなくなるし、その前の人たちについてもお話が必要となるし、となるとどうやって日本に来たかの話となるし、挙句の果てはネアンデルタール人とかジャワ原人とかオーストラロピテクスまで登場したりするのはまだしも下手すると「カンブリア爆発」だの最後には「ビッグバン」まで出てきた日にはどうする?
ま、ここは、「出アフリカ」からお話するのが妥当かと思います。

ヒトの喜源、じゃなくて、しつこいけど、ホントワンパターンだけど、起源について調べるときの手段としてのDNAに基づいた分析は、最近では既に「当然」を通り越して解析手法としての「王道」となっています。要するに、外観などの形質とDNA分析との間に齟齬(そご)があった場合は、DNAの結果が優先されます。その理由は、この先、適当なところで逐一述べていくと思います。
また、DNA分析の方法論について話し出すと everybody たちまち眠くなると思いますので、省略します。ただ、DNAに基づいた分析手法にもいくつかの方法があり、それぞれの長所と短所があるので、精度を高めるためには、同じサンプルに対してこれらいくつかの手法を組み合わせて行うのが良い、とだけ知っていただければOK牧場です。
このようなDNA分析に基づいて現生人類、いわゆる「ホモ・サピエンス」、さらにいうならば「ホモ・サピエンス・サピエンス」の出自を調べた結果、アフリカ大陸は当然ながら、アフリカを除く大陸全ての現生人類の祖先もまたアフリカに由来することが明らかとなりました。1987年に発表された、いわゆる「ミトコンドリア・イブ」のお話です。

発表以前から、現生人類が北京原人やジャワ原人、あるいはネアンデルタール人から直接進化してきたのか、あるいはホモサピエンスとして生じた人々から派生したものなのかの議論が活発でしたが、ミトコンドリア・イブの発表で決着がついたと思います。最近になってネアンデルタール人やデニソワ人との混交があったことも明らかとなりましたが、その程度は低く、基本的には全ての現生人類はアフリカで生まれた新人類の末裔であるとみなされます。

で、ある晴れた朝、かどうかは知りませぬが、ある一群の人々が、アフリカから北に向かって旅立ちました。その理由は知りませぬ。
「♪ 知~らない町を、歩いて見たい~♪」くらいの気持ちだったのかも知れませんし、あるいは、「ちゃん!」、「あんた!」、と泣いて裾に縋る家族を振り払い、「よし坊!お初!ちゃんは遠くに行っちまうけど、達者に暮らすんだぜいっ!」との捨て台詞(もちろんアフリカ語)を残しての涙の旅立ちがあったのかも知れませぬ。たぶん、もっと serious な動機があったのだと思いますが・・・。
旅立ちの時代に関しては所説あるようですし、また、単発の出動とも思えませんが、一応今から6万年前ころ、というのが定説です。ルートに関しても、ナイル川を下ってイスラエルに抜ける道と、「アフリカの角」と呼ばれる今のソマリアを通ってアラビア半島南岸に沿って進む道、さらにはサハラ砂漠を突っ切ってリビアに至る道まで唱えられてます。

経路の各所各所で定住しながらさらに別動隊が進んでいく、というカンジで拡散していったのだと思いますが、東に向かうグループと西~北に向かうグループとが分かれ、前者はアジア人とオーストラリア原住民へ、後者は欧州人へと分化していきました。以下、初期のホモ・サピエンス拡散の足取りを図にまとめてみました。年代に関しては、「ざざっと!」程度に考えてください。

ホモサピエンスの拡散.jpg
アフリカが大体6万年前、オーストラリアへの移住が5万年前と考えられているので、およそ1万年かけて初期人類は南アジア~東南アジアまで拡散したわけです。当時は氷河期にあたりますので、海面が今よりも低く、マレーシア半島の東海岸からボルネオ~スマトラ~ジャワにかけての海域は陸地となっておりました。これを「スンダランド」と呼びます。植木等は関係ないです。
このスンダララッタ~、じゃなくってスンダランドと、その途中の通り道である現在のインド亜大陸は、東へ進んだ初期人類の人口揺籃の地と考えられています。現在のインドは、大雑把に言えば、北部のアーリア系の人々と南部のタミール系、あるいはドラヴィダ系の人々との混合国家といえますが、そのドラヴィダ系の直系の先祖がこの時期に拡散~増加した人々であると考えられています。その中でもスリランカの「ヴェッダ」と呼ばれている人々は、当時の人々の形質を色濃く残す人々です。

また、スンダランドで増加した人々の特質も現在のカンボジア人などに色濃く受け継がれているようですし、さらに、より熱帯の環境に対して分化を遂げた「ネグリト」と呼ばれる一群の人々も東南アジア各地に点在しています。
ネグリトとは「黒くて小さな人々」という意味ですが、これらネグリトの人々は、アンダマン諸島やマレー半島、ベトナム山岳地帯、フィリピン山岳地帯に少数ながら残っています。いずれも非常に小柄で皮膚の色が黒く、また頭髪がアフリカ人のように縮れ毛です。これらの特徴から、DNAによる分析が一般化する以前には、これらネグリトの人々はアフリカのピグミーの人々と同じ人種であると考えられていた時期がありました。けれどもこの両者は全く異なる人々です。同じ初期人類から枝分かれしたオーストラリア原住民、いわゆる「アボリジニ」の人々が波打つ髪や高身長を有していることを考えると、これら低身長+縮れ毛+黒色の皮膚は熱帯雨林に対する人類の普遍的な適応と考えられます(こういうところから見ても、DNA分析は形質による分類よりも強力なのです)。けれども低身長+縮れ毛+黒色の皮膚はアマゾンの住民は有していない特質ですので、そう単純なものでもなさそうです。ただ、アマゾンの住民の歴史はネグリトと比べれば圧倒的に短いので、もっと時間が経てばアマゾンの人々もネグリトやピグミーのように変化していくのかも知れません。あるいはそもそも出アフリカを果たした人々が基本的に黒色の肌+ウエーブ~縮れ毛の人々だったので、熱帯雨林への適応がより早かったのかも知れませんが・・・。この点は本人たちに聞いてみないと分からないところです・・・www(HD)。



さて、スンダランドから北へ向かって、初期人類はさらに移動を開始します。

現在の中国、朝鮮、日本を形作る、いわゆる「東アジア人」の起点がどこにあるか、議論のあるところでした。大きく分けて1) 東南アジアからの北上論、2) ヒマラヤ山脈の西を通って中央アジアに至り、そこから草原を東進してモンゴル周辺に至る論、の二つに分かれていました。しかしながら、現在では図に示すように東南アジア~スンダランドの原アジア人が北上して東アジア人になった、との説が優勢です。その理由はいくつかありますが、1) バイカル湖周辺で見つかったおよそ2万数千年前の遺跡から出土した人骨のDNAを分析したところ、驚くべきことに、その由来はアジア系ではなく欧州系であることが判明した事、2) 太平洋岸には砂漠などの乾燥地帯が無い一方で中央アジアには広大な乾燥地が存在する事、すなわち移動の困難さに大きな差がある事、そして決定的には、3) 遺伝的多様性がきれいな南高北低の傾向を示す事、などがあります。3) について説明したいのは山々ですが、それをやり始めるとあれを説明する必要が出てくるし、あれを説明するとこれも説明しなくてはならなくなるしで、やめ!「遺伝的多様性が大きければ古く、小さければ新しい」とだけ覚えてください。

以上、ここまでのお話は、おおよそ「モンゴロイドの地球-3 日本人のなりたち:東京大学出版」と「DNAで語る日本人起源論 篠田謙一:岩波現代全書」に負うています。前者は良い本ですが、如何せんちょいと古いです(1996年)。また後者は2015年で新しく、非常にまとまりの良い読みやすい本ですが、DNA分析がミトコンドリアに偏りすぎているきらいがありまして、著者らの結果が幾分偏向している可能性を完全に否定することができません。著者が指摘しているように、出土した骨から無傷のDNAを得ること自体が非常に困難ですので、細胞あたりの数が圧倒的に多いミトコンドリアを用いることは致し方のないことだと思います。けれども現代人から得られるY染色体由来のDNA分析は既に数多くの仕事がなされておりますので、それらとの比較検討に関してもっと記載して欲しかった、と個人的には思います(今現在、Y染色体から得られたDNAに基づいて行われた仕事に関して詳しく書かれた本を探してます。知ってるヒトがいたら教えて!)。また、最近になって骨標本から得られた核DNAを用いての「日本人起源探し」の結果が出つつあることが報告されました。で、結果は、ミトコンドリアDNA分析を概ね裏付けるものであったようです(まだ本は出てないみたい← 訂正します!2017年10月に出版!→「核DNA解析でたどる日本人の源流」 著:斎藤成也氏)。

ということで、「♪ どう~こか遠くへ行きたい~♪」などと鼻歌混じりで東南アジアから旅立ったご先祖さまですが、ひょいと東を覗いてみれば、ナンカ、ちょいと海を渡れば目と鼻の先に美味しそう~な場所があることに気づきました。今の対馬海峡の縁に到達したのです!
でも、目の前に島があるけど海で隔てられてる・・・。どうしよう・・・と彼らは悩みました。

この先しばらくセンセの妄想が働きます。本日はこれまで!

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このページは、喜源テクノさかき研究室が2017年12月30日 18:18に書いた記事です。

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