今月の書評-131
「古事記、日本書紀の謎に迫る!」
というカンジの表題の本は数多いですが、ホント、謎多き書物ではあります。
で、以下、センセが「???」と感じる謎また謎を列挙してみたいと思います。以下。
● 高天原とは何か。どこかに想定されるのだろうが、それは何処か?
● 神話が最初に来るのは分かりやすいが、何故にその次に出雲が登場するのか?
● 北九州勢力に全く触れていないのは何故なのか?
● 日本書紀が後のヤマト政権の人々が恣意的に自分たちに都合よく作ったお話であるとするならば、さっさと高天原から奈良盆地に降臨すれば良いだけのことだが、何故にわざわざ南九州の高千穂に降り、そこからわざわざ東征して行かなくてはならないのか?
● 神武天皇が東征のために高千穂を出立し、河内にたどり着くまで何故に7 年もかかったのか(古事記では16 年)?
等々。
それでは早速始めませう!
まず初めに、日本書紀~古事記は「ヤマト政権の人々が恣意的に自分たちに都合よく作ったお話ではない!」という点を、別の視点から考えてみたいと思います。
そもそも論として、古事記の序に書かれてあるとおり、天武天皇の御代、詔を発し、「諸家が各個に保存している帝紀や本辞などには相互に色々な異論が書かれている。これではまずいので、これを逐一検討、統一して、後世に残そうぞ!」というのが、記紀編纂の主たる動機であったわけです。
で、諸家とはなんだ?とのことですが、これは天皇家に昔から仕えていた氏族連とか、あるいは分家連とかの家々のことだと思います。
で、ヤマト政権は本家筋にあたる天皇家だけで成しえた政権ではなく、これらの昔から付き従ってきた「お仲間」全員で成しえたものであることは明らかですから、これらのお仲間の間で代々伝わってきた「歴史の口伝書」みたいなものを一方的に無視し、主家の都合で勝手に「これぞ正当の歴史書である!」としたところで、お仲間連~分家連は黙ってはいないことでしょう。
日本書紀を読んでいて気付くことの一つが、当時の天皇は異母弟その他からしょっちゅう命を狙われており、絶対的に強力な独裁者などとは程遠い存在である、との認識です。あの気ままに過ぎる雄略天皇ですら、日本書紀では「悪い天皇である!」との評価が下されてますし、武烈天皇に至っては何をかいわんやかと・・・。
そのような「御行状」まで、ホントであるか否かは別として、委細記しているところを見ても、記紀が単なる「天皇家のためのプロパガンダ本」では無いことは明らかだと思います。
従いまして、記紀中の数多い注釈や異論の併記などからも分かるように、細かな意見の相違はあるとしても、物語の大きな流れとしては、諸家ともに大差は無い、と見なして差し支えないと思います。
要するに、高天原から高千穂に降り、長年かけて奈良盆地に政権を打ち立てたという話の流れは天皇家並びに諸家共に共有する話であり、仮に天皇家が「いや、これではまだるっこしいから、さっさと高天原から奈良盆地に降りたことにしよう!」と言ったところで、「自分たちの苦労話を抹消して主家に都合よく話を作り上げることなどもってのほか!帝はご乱心あそばされた!」とか言って、周りの者どもはみな大反対するのが関の山です。
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