今月の書評-125

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日本選手大活躍のオリンピックですが、同時にデルタ株も大活躍!
どっちが勝つか、決勝までもつれ込む展開となっております!← 不謹慎

で、昨日、ボクチンは二回目のワクチンを打ってまいりました。
これで怖いものなしだ!
矢でも鉄砲でも持って来~~~い!!!
始末に困るので、ホントに持ってきてはいけませぬ!


さて、卑弥呼こと「ととびちゃん」の続きです。

疫病や反乱に悩んだ崇神天皇(すじんてんのう)は、多くの豪族連を集め、どのように対処すべきか、占いを行います。
この時「ととびちゃん」、魂がいきなりぶっ飛んでトランス状態となり、大物主神(おおものぬしのかみ=大国主命)に神懸かりしていわく、
「私(大物主)をよく祀れば(まつれば)、天下あまねく平穏となろうぞ」と宣い(のたまい)ます。以下、原文。

是(ここ)に、天皇(すめらみこと)、乃(すなわち)神浅茅原(かむあさぢはら)に幸(いでまし)て、八十万(やそよろづ)の神を会(つどえ)て、卜問(うらな)う。
是の時(このとき)に、神明(かみ)倭迹迹日百襲姫命(やまと ととび ももそ ひめのみこと)に憑りて(かかりて)曰く(のたまわく)、「天皇、何ぞ国の治まらざることを憂ふる。若し(もし)能く(よく)我を敬い祭らば、必ず当に(まさに)自平(たひら)ぎなむ」とのたまふ。

さすがに八百万は多すぎるので、八十万としたのでしょうかね?
いずれにしましても、ずいぶんと神懸かりなお話なので、現代人からすると単なるおとぎ話として読み飛ばす可能性がありますが、当時の人々の考え方からすると、現実にあった出来事である可能性は十分にあると思います。
特に、八十万の神=多くの豪族連と考え、彼らもまた同じような信仰と宗教心を共有していたと考えるならば、この神浅茅原(かむあさぢはら)で執り行われた祭事は、国難を乗り切るうえで、非常に重要な意味を有していた可能性もあります。

現代でも政治のことをしばしば「まつりごと」と読ぶことがありますが、当時はまさに祭政一致の時代、トランスに陥った「ととびちゃん」の口から発せられた神様の言葉に対して、天皇ですら、恐れ多くもひれ伏した、ということなのでしょう。

以下、魏志倭人伝の原文です。最も有名な一節です。

その国、本(もと)また男子を以て王となし、往(とど)まること七、八十年。倭国乱れ、相攻防すること歴年、乃(すなわち)共に一女子を立てて王となす。名づけて卑弥呼という。鬼道に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わす。

どうでしょうか?
第三者的に外野から見た場合、神懸かった女巫女の口から出る言葉に恐れおののいて政治を行う天皇の姿は、巫女こそが実質的な王、天皇は彼女を補佐する存在として、目に映ったのではないのでしょうか?



ちょっと気づいたのですけど、「その国、本(もと)また男子を以て王となし、往(とど)まること七、八十年。」という文章、引っ掛かりませんか?
あまりここを指摘してるヒトってみたことないけど・・・。
センセが知らないだけかもしれませんが・・・。

どゆことかというと、この文章は、明らかに、崇神天皇が皇位を継いでから7~80 年、という意味ではありませんよね?
で、ヤマト政権を奈良の地に打ち立てた神武天皇以来、崇神天皇に至るまでに「女帝」は居りませんから、これは「この国ができてから7~80 年の間、代々の天皇は男性であった」という意味であるとしか解釈できない文章です。

で、皆様もご承知の通り、古事記日本書紀共に神武天皇の東征のお話には非常に重きがおかれ、様々なエピソードで彩られておりますが、そこからの数代の天皇に関しては、やれどのような子供をたくさん残したか、のレベルの記述で終わるのが延々と続きます。記紀の中で一番退屈な個所です。加えて、神武天皇を含め、これらの天皇の在位年数~寿命がしばしば天文学的、というのは大げさですが、明らかに生物学的常識に反するものが見受けられることから、神武から崇神に至るまでの途中の時代に関しては、そもそもの存在を含め、信憑性に疑いの目が向けられています。

で、そのような「取ってつけたような」数代の天皇の記述が続いた後、崇神天皇の段になって、再び具体的かつ詳細かつエピソードに富んだ記述となります。

で、このような「取ってつけたような」数代の天皇の記述が何を意味するのか、ここでは議論しませんが、魏志倭人伝の記述が意味するところを素直に解釈すると、神武天皇がヤマトに政権を樹立してから崇神天皇に至るまでの期間は7~80 年である、誤差を加えても100 年に満たない程度なのではなかろうか?
という疑問が生じます。

ここら辺の事情は、考古学的にはどうなのでしょうかね?

少なくとも「紀元は2600 年!」というのが大げさに過ぎるのは確かである、とは思います。


崇神天皇.jpg
第十代 崇神天皇のお姿、とのことです・・・。
ウイキより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87



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このページは、喜源テクノさかき研究室が2021年8月 1日 10:52に書いた記事です。

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