今月の書評-120
雨が降る日も晴れもある
梅雨か否かは
つゆも分からず 雅仙
さて、懐かしの図を以下にご覧ください。
これらの図は、まさにセンセが「今月の書評」シリーズを書くきっかけとなったものです。「今月の書評-2」に載ってます。
で、このクロボク土の起源が「縄文人による草焼きの跡だ!」と喝破したのが、山野井徹氏でした。覚えてる?
で、このクロボク土の分布と縄文遺跡の分布とが見事に一致しているわけですが、縄文時代においては一般的に東日本が圧倒的に優位であったことから東日本において両者が広範囲に広がっているのは当然であるとして、人口希薄であった西日本で目立つ地域として、出雲、大分、南九州の三者が認められる点が重要です。
山野井氏によれば、ススキに代表されるイネ科の植物の長年にわたる人為的な野焼きによって、このクロボク土に覆われた地域が形成された、とのことです。当然そこには原始的な農業の萌芽も考えられますし、刈ったススキを住居の屋根ふきなどへ利用した可能性も考えられます。さらには草場の確保により、これまでの鬱蒼とした照葉樹林帯は見通しが良くなり、シカやイノシシなどの餌もかえって増えますので、これらの獣の狩場としての利用も大いに考えられます。
で、大分は別として、日本書紀や古事記、あるいは風土記などに記されている出雲や熊襲~日向の存在感の大きさ、さらにはその後の「足柄峠以東の地=あづま」の地域の奈良~京の文化に対峙する異質さを考えますと、まさに縄文文化を引き継ぐと同時に大陸からの新たな文化をうまく取り入れ、ハイブリッドとしての「弥生文化」を作り上げた勢力の存在と重要性を考えざるを得ません。
で、これらの三者ともに、「ここはもともとおらたちの土地じゃワ!」と主張した、それが「い・TM」と、「あ・TM」と、「さ・TM」という現在の地名として残った、と、大いなる妄想に耽る(ふける)センセでありました。
因みに、足柄のガラって何?強羅のゴラと関係ある?
ひょっとして・・・。
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