今月の書評-119

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ワクチン接種の予約ですが、混んでいて一向にヒットしませぬ。
で、ようやく予約状況サイトを開けることができましたが、全部埋まってました。

なんやねん?


さて、古事記や日本書紀の中でも最も人気の高い逸話の一つに、あのヤマトタケルくんのお話があります。
十五六の少年が女装して熊の様なる熊襲の酋長の宴席に侍って媚を売っていちゃつく間もなく忍び刀を取り出して首を取るお話など山岸涼子あたりがマンガの題材にしてしまいそうな内容満載なわけですが、というか今調べたら彼女はとっくにマンガにしてしまっているようですが、読んでないけど、それにしてもヤマトの連中って騙し討ち(だましうち)の名人揃い!そんなのありか???

で、東奔西走の彼ですが、東国制圧のおり、浦賀水道から出帆した際に船が(舟と書くべきか)難破しそうになったので、彼の妻のオトタチバナ姫が水神の怒りを鎮めるために入水するという有名シーンがあります。
映画「大魔神」あたりに出てきそうな場面ですね!

で、めでたく東国制圧も完了し、ヤマトへの帰国の途次、古事記では足柄山で、日本書紀では碓氷峠でオトタチバナ姫を偲んで思わず発した我が妻よ!」という意味の言葉、古事記では「吾妻はや!」、日本書紀では「吾嬬はや!」ですが、に因み、以降は東国(とうごく)のことを「あづま」と呼ぶようになった、とのことでありますが・・・。

記紀においてはこの類(たぐい)のこじつけ話がやたらと多いわけで、中にはここに載せるのを憚られる(はばかられる)お話もあります。

で、この伝で言うならば、ヤマトタケルが峠で思わず「あ~背中が痒い(かゆい)!」と言ったので「甲斐の国」となったとか、出くわした蝦夷があまりにもむさくるしい連中だったので「むさくるしの国=武蔵の国」となったとか、いくらでも考えつけます。

で、それは良いのですけど、投馬国です。


「あづま」の「づ」は「づ」であって「ず」ではありません。なぜか。
「我が妻よ!」だからです。「あづま」が「あずま」だったら「我がスマよ!」となって、浦賀水道で水中に落としたスマホを嘆くお話となってしまいます。
従いまして、東国のことを「あずま」と振るのは間違いです。

で、投馬国はTM 国ですので、仮にこれが出雲であるとするならば、出雲は「いづも」であって「いずも」ではありません。自衛隊、聞いてる?

で、タケルくんの奥さんのような荒唐無稽なこじつけ話が出てくるということは、ここの地(足柄より東方の国々=関東地方)はタケルくんよりもよっぽど昔から「あづま」と呼ばれていたと同時に、タケルくんはその名前が何を意味しているのか知らなかった、ということを意味します。

じゃ、「あづま」は何を意味しているのか?
以下、妄想の嵐が吹き荒れます。

「あづま」の「あ」は「我が、私の、我々の」を表し、「つま」は「地、土地、なわばり」を意味する縄文語です!センセが勝手にそう決めました!
すなわち「あ・づま、あ・つま=我が土地」なり!やった~!解決!!!

で、この伝でいけば、投馬国は本来「い・とま、い・トウま、い・つま=我が土地」と連想できます。関東の「あ」と出雲の「い」は方言の違いです。

で、このような接頭語的に使われる「あ」とか「い」とかははっきりとは発音されなかったため、帯方郡からの使者は聞き取れず、自分たちが聞き取ることのできた音である投馬を記して国名とした、と言うのが真相です。 ← 自信たっぷり!

で、さらに調子に乗って似たような地名を探すと、あったあった!
それは「薩摩=さつま」である!!!

「さつま」の場合は「さ・つま」で、南九州の熊襲の連中は自分たちのことを「さ」と呼んでいた。従って、「あ」と「い」と「さ」は方言の違いである!



・・・それで良いのかって?


良いのです。
何となれば、「倭人」だって自分たちのことを「わ、わ、わっ~!」と、三ツ輪セッケンのごとく呼んでいたわけだし・・・。

で、次回は懐かしい図を載せて、西日本の縄文勢力が弥生文化の形成に果たした影響力について妄察したいと思います。





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このページは、喜源テクノさかき研究室が2021年5月16日 09:30に書いた記事です。

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