今月の書評-112

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まずはこれをご覧ください。

伊能忠敬.jpg
ウイキ https://proceed.ocnk.net/product/14907

ご存知、江戸時代の地理学者、伊能忠敬の大日本沿海輿地全図です。
まるでGPS で測ったかのように正確な地図です。


次は1617 年、ポルトガルのイグナシオ・モレイラが描いた日本図。

ブランクス/モレイラ日本図(1617年・イタリア).jpg
MAP FREAK 
https://map-freak.com/japan-in-foreign-oldmaps1  以下、同じサイトより


伊能忠敬よりも歪んでますが、一応方位はほぼ正確です。

どんどん行きます。ベルギーのテイセラの日本図(1595 年

テイセラ日本図(1595年・ベルギー).jpg
いびつ度がさらに高まってまいりました。図の左にあるのは朝鮮半島です。


お次はポルトガルのバルトロメウ・ヴェリュの西太平洋図(1561 年)

バルトロメウ・ヴェリュ西太平洋図(1561年・ポルトガル).jpg
ひゃ~、日本列島が南北に縦長になってるう~~~!

次はもっとスゴイヤツ!1528 年のイタリア人、ボルドーネが描いた日本です。

ボルドーネ日本図(1528年・イタリア).jpg
画面左上の矢印が指す方向が、北です。Ciampagu って書いてあるのでしょうか?もちろんジパングです。一応、「湾」とか描かれてますが・・・。


マルティン・ベハイムの地球儀(1492年・ドイツ).jpg
1492 年のドイツ人、マルティン・ベハイムの地球儀。Cipangu はセンセが赤く塗っときました。台湾みたいですね!
でも、まだ良い方です。次がスゴイ!


マフムード・カーシュガリーの世界地図(1072年・イラク).jpg
1072 年のイラク人、マフムード・カーシュガリーの世界地図です。丸のてっぺんの黒い尻尾のようなところが日本とのことです。
因みにこの図は、日本を描いた世界最古の地図、ということです。

お次は有名な行基図です。

行基図 ウイキ.jpg
7 世紀の天智天皇時代の僧侶、行基が描いたもの、と伝わってますが、もちろん時代はもっと新しいものです。でも、少なくとも鎌倉時代には使われていたと考えられています。左上の文章から分かるとおり、本来、西が上向きです。

お次は15 世紀の李氏朝鮮時代の世界図。龍谷大学所蔵版。

混一疆理歴代国都之図.jpg
日本の方位は比較的正確に描かれています。

一方で、同じ図の本光寺所蔵版では・・・。

本光寺所蔵のもの.jpg
日本が逆立ちしているう~~~!
先の行基図が西を上に描いているので、それを基にして描いたもの、という説もあるようです。本当のところは分かりませぬ・・・。


あの有名なフランドルの地理学者、メルカトルがメルカトル図法で描いた図を最後に載せます。1569 年です(ウイキペディア)。

メルカトル 1569.jpghttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AB


センセが言いたいことは、もうお分かりだと思います。
15 世紀の李氏朝鮮時代の地図、北が上に描かれているのなんか、上出来だと思います。メルカトル以前の西洋の地図なんか、東西南北と上下左右なんか適当なものが多いです。行基図も西が上ですし。

「北が上」って、たぶん、どこかのいつかの時点で「合意」みたいのが出来たのでしょうかね?たぶん、大航海時代の西洋諸国間で合意ができたように思いますが・・・。中国ではどうだったのでしょうか?
先の李氏朝鮮の地図が15世紀初頭とのことですので、ことによると、西洋の影響なしで中国~朝鮮ではすでに北=上の合意ができていたのでしょうか?
分かりませぬ・・・。

我々は、学校で、いろいろなことをご幼少の頃より教えてもらいますが、おかげ様で、常識として色んな事が「刷り込まれ」ます。
日本を含む世界をイメージするとき、日本は当然「タツノオトシゴ」状をした、北を上にした形でイメージしますよね?
でも、これって、単なる、刷り込みです。
北=上っていう必然性は、皆無です。

北=上のイメージって、合理性があると言えばあると思います。
すなわち、北極星の存在です。
少なくとも北半球では、頭上に北極星があります。そして、北極星こそは方位を知る上での唯一不動の定点となるわけですから、いつしか北=上の認識ができた、と考えてもいいかも・・・。

ホントのところは知りませぬ・・・。

で、そんなことは問題じゃなくって、メルカトル以降の地図ですら上図のようであったわけですから、それが紀元3 世紀ころの認識はどうだったのか、推して知るべし、というところではないのでしょうか?
加えてそれが陸上であったのならまだしも、いわんや海上においてをや、ということなのではないのでしょうか?
当然ながら羅針盤も磁石も巻き尺もなく、波風に揺られながら移動していくわけですから、それに対してあーだーこーだ一生懸命にコンパスと分度器で「現代の日本地図」上に鉛筆なめなめ線を引っ張っても、「どーもごくろーさん」としか言うほかはない!と、センセは思いました。

次回、も少し続きを書きます。


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2021年3月28日 15:15に書いた記事です。

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