今月の書評-106

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寒いしコロナだしあれだしこれだし、なんとのう鬱々とした日々が続く今日この頃ですが、いつの間にか日が暮れるのも遅くなりつつあるようで、春はもうそこまで来ているのかも・・・。

でも、いにしえの詩人が歌うように、

「春来たりなば、冬遠からじ!」

・・・ああ、嫌だいやだ・・・。


さて、北九州に突帯文土器(とったいもんどき)と水田稲作技術が朝鮮半島より伝わっておよそ100 年後、列島最古の弥生式土器を伴う本格的な水田稲作の遺構が現在の福岡県博多市に出現します。有名な、板付(いたづけ)遺跡です。

板付遺跡からは、前々回に紹介した全体を覆って高温で焼く形式の最古の「弥生式土器」が出土したのみならず、水路や畔(あぜ)を伴う本格的な水田の跡、農作用の磨製石器、そして外敵や害獣に対する防御用の環濠(かんごう:集落をぐるっと囲む堀)など、典型的な「弥生村」の全てがセットになって出土しました。

板付より100 年古い佐賀県唐津市の菜畠(なばたけ)遺跡からも水田稲作遺構が出土しましたが、ここから出土した土器は、形だけ朝鮮式をまねて縄文方式で焼いた突帯文土器です。
そのため、確かに半島から稲作技術を持った人々が来たとは考えられますが、その数は少なく、在来の縄文人が彼らから技術を学んで見よう見まねで稲作を開始したのでは?とも考えられています。

一方の板付遺跡からは、より新しい形式の突帯文土器と共に、先に述べたような新式の焼き方で焼いた土器が出土し、加えて当時の南朝鮮の村がそのまま現れたも同然な形でまるまる出土したことから、少なくとも一つの村を形成するだけの一定の数の外来人が到来~移住した、と考えられます。

このような新式の土器、いわゆる弥生式土器ですが、その中でもこの当時に北九州に現れたタイプの土器が、遠賀川(おんががわ)式土器と呼ばれるものです。
水田稲作の技術は、この形式の土器と共に、その後数百年をかけて、北は青森から南は鹿児島まで、列島の多くに伝わっていくこととなります。


遠賀川-1.jpg
遠賀川式土器 豊橋市 美術博物館
http://www.toyohashi-bihaku.jp/?page_id=1046


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2021年2月 7日 14:24に書いた記事です。

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