今月の書評-65

| | トラックバック(0)
ここからはしばらく、中橋孝博氏の「日本人の起源:講談社学術文庫」の一部をもとにして、センセの妄想を膨らませていきたいと思います。

1996 年から1999 年にかけて、日本と中国の人類学の先生たちが共同で、長江下流の南岸から江蘇省にかけて出土した多くの人骨の調査を行いました。その結果、以下のような興味深い事実が得られました。

1. 今からおよそ5000 年くらい前の人骨は、縄文人とも弥生人とも、または同時代の華北人とも、全く異なる。
2. ところが2800 年から2500 年くらい前の「春秋~前漢」時代の人骨は5000 年前の人々とは大きく異なり、弥生人と瓜二つである。
3. mtDNA 分析では、弥生人と全く同じパターンが得られたケースもあった。

調査の時代が古いこともあり、DNA 分析もミトコンドリアに限られ、しかも数が少ないので決定的とは言えませんが、少なくとも形質学的な結果からは、弥生人と当時の江蘇省から山東省にかけて住んでいた人々は「専門家ですらビックリするほど」酷似していた、ということです。驚きですね!

上の結果を素直に読み解くと、以下のようなシナリオが描けるかな?


5000 年くらい前、
長江下流域には水田稲作技法を発明したYDNAO1b の連中が
稲作を土台とした長江文明を築いて大いに栄えていた。
数千年かけて
より北の黄河文明の連中(YDNAO2) と文化的~肉体的に混交した結果、
江蘇省から山東省にまたがる地に、
両者を主体とするハイブリッド民族が生まれた。
気候の寒冷化により、人口の減少、人々の移動圧が生まれ、
同時に戦争圧も高まった。
一部は海を渡り、一部は留まって国家を形成し、残りは南下した。
より南の、O1b 色をより強く残した連中は、水田稲作技法を伴い、
ところてん式に、
東南アジアから東インドにかけて幅広く拡散して行った。


たぶん、こんなカンジでしょうか。

仮にこれが正しいとすると、弥生人=江南のハイブリッド人となりますが、いやいやナカナカそうは簡単におろす問屋はござりませぬ、という気もします。

その理由は、また後程に・・・。



張作霖.jpg
張作霖 ウイキペディアより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E4%BD%9C%E9%9C%96

周恩来.jpg
周恩来 ウイキペディアより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%81%A9%E6%9D%A5

ボーグエンザップ.jpg

アジアの、いずれ劣らぬ英傑です。




トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 今月の書評-65

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.kigen-technosakaki.jp/old/mt/mt-tb.cgi/251

この記事について

このページは、喜源テクノさかき研究室が2020年1月19日 11:38に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「今月の書評-64」です。

次の記事は「今月の書評-66」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。