今月の書評-51

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センセが中学~高校の頃は、「世界の四大文明とはエジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明のことだ!」などと教えられましたが、さすがに現在のガッコでは、そんな単純なことは教えていないと思います。

因みに、センセが通ったW 中学の世界史の先生は前歯が見事に一本欠けており、そこから息がシューシュー抜けるために独特の「シュメ~ル」の発音となっておりました。・・・センセの耳奥に、今だにこびりついてます・・・。

さて、昔から「南船北馬」と言うように、気候風土の違いによって、中国は、大雑把に、二つの文化圏に分けることができます。YDNA の共通のO から発した古代中国人ですが、長江流域に居ついたO1b1 の連中が稲作中心の文化を生み出した一方で、より冷涼乾燥した黄河流域に移動したO2 の連中は、その後に粟(あわ)などの畑作を中心とした文化を生み出します。
 
これまで発見された中で最も古い黄河文明の遺跡が河南省の裴李崗遺跡 (はいりこういせき)で、今からおよそ9000 年から7000 年前のものだと言われてます。竪穴式住居に暮らし、粟(あわ)などの畑作を行い、さらにブタを家畜として飼っていました。ここからは、中国最古と見なされる土器が出土しています。

その後、いくつかの文化を経て、仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)と呼ばれる文化が、今からおよそ7000 年から5000 年前、河南省~陝西省~山西省に生まれました。
仰韶の人々もまた粟を主体に耕作していたようですが、麦(たぶん大麦)や米を耕作していた村もあったそうです。麦と言っても現在のように粉にしてうどんや饅頭にして食べていたのではなく、単に煮てお粥状にして食べていたようです。
また、初歩の養蚕も行っていた可能性も指摘されています。
仰韶文化は彩陶で有名ですが、未だ「ろくろ」は発明されていません。
さらに、人々の集落は環濠で取り囲まれていたことが確認されていますので、このことから、恐らく、既にこの時代には村同士の戦いが行われていた可能性も指摘されます。

その後、今からおよそ5000 年から4000 年前にかけて、山東省に龍山文化(りゅうざんぶんか)が登場します。この文化の特徴は、何と言っても洗練された陶器の作製技術にあります。すなわち、「ろくろ」が使われるようになったと同時に1000 度以上の高温で焼く技術が発明され、その結果、卵殻陶(らんかくとう)と呼ばれる、薄く、均一な厚みを持つ陶器が作られるようになりました。
養蚕業も発達し、絹織物の生産も確認されているようです。
さらに後期には青銅器も出現。
同時に、都市や城塞が作られるようになりました。
これらの考古学的な証拠から、龍山文化時代において社会の余剰が生まれ、その結果、人々の階層化が生じ、階級社会が誕生したと考えられます。
同時に、戦争がもたらされ、その後の中国の歴史時代を彩る先駆けとなった時代であると考えられています。

竜山文化.jpg
ろくろを用いて作製された卵殻陶の高坏。日本では縄文式土器が花盛りの頃です。 wiki より


さらに時代が下がって今からおよそ3800 年から3500 年前になると、河南省の洛陽に二里頭文化(にりとうぶんか)が出現します。
ここから出土した遺跡は、これまで伝説と考えられてきた「夏王朝」の遺跡か!と目されるもので、特に後期の遺跡からは多くの青銅製の武具や大規模な宮殿跡が出土し、住居跡の規模から人口はおよそ2万人以上と推定されるなど、中国における都市国家の時代が成立した!と見なされる遺跡です。


にりとうぶんか-1.jpg
二里頭文化の青銅製の酒杯 メルカリ出品物より


宮殿跡からはトルコ石で作られたや銅爵(どうしゃく)、の文様の入った玉璋(ぎょくしょう)などが発掘されると同時に、宮殿跡の構造が後の歴代の中国王朝の宮殿構造によく似ている点など、後代の中国伝統の宮廷儀礼などがこの時代に始まった可能性が指摘されています。さらに、この時代には西方より小麦が伝播したことにより、粟(あわ)、黍(きび)、小麦、大豆、水稲の五穀の栽培が可能となった結果、食料供給が安定しただけでなく、余剰食糧の一層の蓄積がもたらされたと思われます。
その結果、「王朝」の成立が可能となったと同時に、その後の「戦乱」の予兆を感じさせる条件が一通り、出揃うこととなりました。
出土した陶器の表面には文字らしきものも刻まれているなど、いよいよ中国の歴史時代の幕開けを感じさせる、ワクワク感に満ちた遺跡文化です。

上記、の文字が太字となっておりますが、イミシンです。

次回はいよいよハプロタイプN の人々が登場します!こうご期待!!!



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このページは、喜源テクノさかき研究室が2019年3月 3日 15:52に書いた記事です。

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