昭和40年代:時代と音楽-28

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ビートルズがデビューしたのは1962年ですが、世界的な大センセーションとなったのは、1964年にアメリカのヒットチャートを総なめにしてからだと思います。同年には初の映画、「ビートルズがやってくる、ヤア!ヤア!ヤア!」が大ヒット!センセも何度も見ましたが(もちろん64年に、じゃない)、ショットの一つ一つが魅力的で、ティーンの心を鷲づかみ!彼らのちょっとした動作、仕草、語り方などなど、全てが10代の少年少女の心に染みるわけです。センセも今でも語り口のいくつかを覚えてます。
彼らが「I'm Happy Just to Dance with You」を歌い終えたとき、ジョンが、「そのOh~が良かった。」なんてね!

ビートルズがリリースした曲をひたすら時系列的に紹介する、というような野暮は止めます。ウイキにでもあたってください。ここではビートルズ現象とその進化、ならびに彼らの進化に伴って生じた世界の大変化、について語っていきたいと思います。

初期の曲は、文字通りレノン-マッカートニーの合作が多かったようです。けれどもほどなくしてジョン、ポールともに別々に単独で作るようになり、それでも「レノン-マッカートニー」の名前で売り出していました。もちろん実際に落とし込むまでは、他のメンバーやジョージ・マーチンの意見も聞きながら完成させていくわけですが・・・。
ポールのメロディーメーカーとしての才能がビートルズに多大な影響を及ぼしたことは火を見るまでもなく明らかですが、それだけでは単なるポップグループとして短命で終わった可能性があります。ビートルズが1970年に解散するまで、文字通り世界の若者文化の潮流の源となり、これをリードしていった最大の原因は、彼らの音楽とそれに付随するスタイルが単なるポップに留まらず、文化~哲学~芸術の領域にまで進化を遂げていったことにある、と思います。そしてその原動力となったのが、ジョン・レノンです。

ジョンの生い立ちなど誰でも知ってるだろうからいまさら話す必要もないかと思いますが、でも「誰でも知ってるだろう」なんてのが、実は既に勘違いかも・・・。同年代ですら洋楽系にうとい連中のほうが圧倒的に多数派ですし、ましてや他の世代においてをや!というカンジですので、とりあえず解説します。

彼はリバプールの労働者階級に生まれ、船乗りだった親父は飲んだくれ。そんで、ジョンが生まれてからほどなくして失踪。その後、ビートルズが有名になってから新たなギトギトした女房を伴って姿を現して「俺がジョンの親父さ!」なんてほざいておりましたが、とんでもない野郎ですね!!!両親は離婚し、ジョンは実質的に叔母に育てられました。ミミ叔母さんです。でも母親は、しばしば彼のもとを訪ねたりします。その時ばかりは、彼も大いに甘えることができたことでしょう。
母親はちょいと風変わりなヒトだったそうで、よく「レンズの入ってないメガネ」なんぞをかけてヒトを驚かすような、ユーモアのあるヒトだったようです。そんな母親の一風変わった立ち居振る舞いに、彼は大いに影響を受けました。けれども思春期の彼にとって最も大切だった最愛の母は、彼が16歳のときに交通事故で死んでしまいます・・・。
このような生い立ちが、彼の心の中に多くのヒダヒダを作ることとなったのでしょう。そしてそのヒダヒダから生じる払拭しきれない数々の感情が音楽的に昇華され、幾多の名曲が生まれる原動力となったのは、みなさまもよくご存じのところだと思います。

ジョンやポールがギターを手に取るきっかけとなったのが、エルビス・プレスリーのロカビリー。従いまして、彼らの初期の音楽に多くのロックンロールの楽曲が含まれるのは当然のことですが、このようなロックンロールのビートにメロディアスな曲調、さらにビートにマッチした歌詞を乗せて、初期のヒットの数々が生まれました。
ところがデビューからほどなく、徐々に、若者特有のナイーブな「のんきさ」や明るさが感じられない、イライラ感や悲しさを吐露するような曲が、しばしば現れるようになりました。それらは、アルバム「A Hard Days Night」の後半部分から出現するようになり、次のアルバム「Beatles for Sale」に引き継がれます。

ビートルズ初期の、ビートの効いた、明るくてウキウキするような曲調のピークをどこにとるか、ヒトによって考えが違うと思います。サウンド的には「Help」あたりにみても良いように思いますが、歌詞を含めた全体としては、「A Hard Day's Night」あたりだと個人的には思います。
アルバム「A Hard Day's Night」B面の「You Can't Do That」や「I'll Be Back」、そして次のアルバムの筆頭曲「No Reply」など、全て ジョンの曲ですが、デビュー当時の「明るくてウキウキするような曲」ではありません。妻のシンシアとの夫婦生活における問題や、ジョンを残して去っていった父親に対する気持ちを表現したもの、ともとれる内容です。
アルバム「Help」においても、主題曲「Help」そのものが、曲調は元気がよいですが、歌詞は意味深です。さらに同アルバムの「悲しみはぶっとばせ」、センセの好きな曲ですが、これはアコースティックギターの淡々とした調べにもの寂しい内容の歌詞を乗せた佳曲です。ボブ・ディランに影響を受けて作られた曲とも言われています。

要するに、ビートルズ、中でもジョンの曲は、この頃から徐々に、ポップな音から内省的なものに変化しつつありました。「Help」は映画にもなりましたが、映画の内容そのものは、前回同様、未だティーン向けの娯楽的なものではあります。けれども次のアルバム、「Rubber Soul」でビートルズは大きく脱皮し、ポップやロックンロールミュージックから完全におさらばすることとなりました。

アルバムの題名「Rubber Soul」ですが、直訳すると「ゴムの魂」で、意味不明。本来はSoul はSole(底) のはずで、「靴のゴム底=運動靴」くらいの意味です。諸説ありますが、スタジオで音を収録する際、床にはエレキギターのコードが散乱しているので、感電を防ぐ意味でみなさん運動靴を履いていたわけです。で、これをもじってRubber Soul」とふざけて銘々した、などという説もあります・・・。
タイトルはどうでもよいですが、アルバムRubber Soul」には、これまで「ビートルズを聴くヤツは不良だっ!」とか言っていたガッコのセンセたちがうって変わって「ビートルズは芸術だっ!」とか言い出した切っ掛けとなる曲が多く含まれているのが特徴です。特にポールの「ミッシェル」とジョンの「ガール」は、ビートルズ≠単なるロックバンドの図式を作り上げるのに大きく貢献しました。

ジョンの「ガール」ですが、これももの悲しい曲で、歌い方などをみても、ボブ・ディランの影響が感じられます。ある人に言わせれば、歌い方じゃなくて「ディランから教わったマリファナの吸い方を音にしてるんだ」とのことですが、さて・・・。


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2016年12月23日 10:05に書いた記事です。

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