昭和40年代:時代と音楽-29

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アルバム「Rubber Soul」の後、さらに実験的な曲を多くフィーチャーした「Revolver」が登場します。彼らがインド音楽やインド思想にかぶれ出すのもこの頃からで、ジョージは「Rubber Soul」の「ノルウエーの森」で初めてインド楽器のシタールを演奏します。さらに「Revolver」ではテープを逆奏してみたりなど、スタジオでの人工的な音作りがふんだんに盛り込まれることとなります。その結果、ステージ上では演奏不可能な曲も多くなり、これが原因の一つともなって、1966年以降、彼らはステージでの演奏を停止することとなりました。
ファッション的にも、これまでのマッシュルームカット+ネクタイ+お仕着せの舞台衣装は影を潜め、インドのマハラジャなんかから影響を受けたようなジャケット、メガネやネックレスやヒゲのたぐいが現れ、そして、髪もより長くなりだしたのが、この頃からです。
この時代、彼らはボブ・ディランの影響を受け、ドラッグに手を染め出したとも言われてます。

丁度この頃、つまり65年から66年頃、若者文化も大きな変更点を迎えます。

ビートルズが「Rubber Soul」や「Revolver」を発売する前は、いわゆるリバプールサウンドの全盛期です。一口にリバプールサウンドと言っても多種多様。個性的なバンドが数々ありますが、代表曲だけでも、ホリーズの「Bus Stop」、ハーマンズハーミッツの「ミセスブラウンのお嬢さん」、アニマルズの「朝日の当たる家」、ピーターとゴードンの「愛なき世界」などなど。切り口の異なるバンドとしては、ゾンビーズの「She's Not There」、「二人のシーズン」やキンクスの「You Really Got Me」など。ローリングストーンズは別枠。

要するに、この頃までは、若者文化は未だ基本的に「ポップ」を追求するものでした。日本では、男の子のファッションはアイビー。髪もアイビーカットに極め、ボタンダウンのシャツにコッパン=コットンパンツ=綿パンにスリッポン=Slip On=ローファーの靴を履き、平凡パンチとVANの袋を抱えて町を闊歩するのがカッコ良かった時代です。お金のある学生は、ホンダのS6日産フェアレディ1600、あるいはいすゞの「ベレG」を乗り回していた時代です。このようなアイビーファッションはその後は「トラッド」などとも呼ばれ、長らく男子ファッションの基本となって、現在に至るまで引き継がれていきます。
余談かつ個人的意見ではありますが、この時代にアイビーの洗礼を受けた者は、以降もあまり流行に左右されず、トラッドの基本から外れないファッションを維持してきたように思えます。理由の一つとして、アイビー~トラッドファッションというものが、一種「システム化~体系化」しており、ある意味「完成」したものであるため、という事ができるかと思います。センセも全く外しませんからね!いまだに「KENT」のステンカラーコートを捨てずに(40年!)持ってるくらいです。もはやカラーのところがボロボロで、「刑事コロンボ」を彷彿とさせるくらいなんですけど・・・。

ビートルズが徐々に変わりつつある頃、他のミュージシャンたちの音にも変化が現れつつありました。その一つが、サイケデリックサウンドと呼ばれるものです。

サイケデリック(psychedelic)、「幻覚を覚えるような」くらいの意味ですが、まさにこの当時の若者文化を代表するものです。当時、何故か、ロックやフォークを代表するミュージシャンの間でLSDなどの幻覚性薬物が流行し、これらの影響下での音作りが盛んになりました。
サイケデリック現象は、音だけでなく、特徴的な文字やレインボーカラーを駆使したカラフルなデザインなど、ヴィジュアル的にも大きな影響を及ぼしました。

ま、はっきり言って、こんな現象はいろんなところ、いろんな時代で見られます。日本の芸能界でもしょっちゅうニュースになります。戦後の落語や漫才などの世界でもヒロポン中毒が問題となりました。つまり、芸能や芸術、スポーツなど、まったきの個人芸が求められる世界では、薬物の力を借りる誘惑が常に潜んでいるわけです。で、そのような力を借りて作り上げられた代物に対して、いつも「ニュー」とか「アバンギャルド」とか「新世代」とかの言葉が形容されるわけですが、程なくして飽きられ、「定型的」なものに戻り、それがしばらく続いた後にはまた再び復活して、同じく「ニュー」とか「アバンギャルド」とか「新世代」とかの言葉が形容されるわけです。人間の脳みその中に「飽きる」という現象が刻印されている限り、未来永劫に、この循環が続いていくものと思われます。もちろん全ての「アバンギャルド」的なものに薬物が関与している、と言うわけではありませんが・・・。

で、この当時のサイケデリックサウンドですが、代表的なバンドと曲には、バーズの「Eight Miles High:霧の8マイル」、ジェファーソン・エアプレインの「Somebody to Love」、ドリスコールの「This Wheel's on Fire」、アイアン・バタフライの「In a Gadda Da Vida」などがあります。

バーズの「霧の8マイル」、当時、ドラッグの影響を恐れた当局によって放送禁止となりました。アイアン・バタフライの「In a Gadda Da Vida」、「エデンの園で」というくらいの意味です。当時のサイケデリックサウンド、他にも色々ありますが、どれも幽玄的な雰囲気があって、個人的に好きな曲が多いです。
ビートルズの「Revolver」中の「Tomorrow Never Knows」などもサイケな曲です。

当時のサイケデリックサウンドがビートルズが火付け役だったのかその逆なのか、あるいは同時進行だったのか、それはどうでもよいです。
要するに、音楽が若者文化の中心となり、それがどんどん目の前の「壁」を打ち破りながら進んでいく過程において、「薬物の時代」を迎えるのは、ある意味、「必然」であった、ということです。

あるいは次のようにも言えます。

「怒れる若者の情熱の発露」的なものは、既にビートルズ以前にも、ロカビリーなどでゲップが出るほどに見られておりました。あるいはさらに前の時代にも見られた現象です。第一次大戦後のヘミングウエイらの、いわゆる「失われた世代」もまた、似たような状況を体現したものと見て良いかもしれません。すなわち、これまで疑いなきものとして信じてきた価値観に大きな疑問が生じ、さらにそれに代わる新たな価値観が見いだされないとき、ある者はオカルト的なものに走り、ある者は薬物に依存し、さらにある者は自暴自棄になるという、世界的にも歴史的にも極々普遍的に見られる現象がこの当時にも生じた、とみても大きな間違いは無いと思います。

この当時の社会情勢ですが、米国の黒人公民権運動は一応の落ち着きを見せておりましたが、なんと言っても、いや増すベトナム戦争が、若者等に直接的かつ強烈な影響を与えていた時代です。フランスでは学生らを中心とした五月革命が生じ、いよいよ学生運動が加熱しつつある時代です。
ベトナム戦争がこの時代の若者文化に及ぼした影響に関してはまた新たに考察したいと思いますが、いずれにせよ、「大義」無き戦争(と、感じられた)に対して駆り立てられた(と、感じられた)若者らは、第二次世界大戦、あるいは第一次世界大戦時に同時代の若者らを駆り立てた価値観と同じものを見いだせるはずもなく、ある者は共産主義に、ある者はインド哲学に、ある者は「自らの心の叫び」に耳を傾けるようになっていきました。

20世紀半ばを過ぎたこの頃までは、社会科学や文学の領域でも相応の成熟がありました。例えば、20世紀前半のドイツの作家、ヘルマン・ヘッセといえば、「車輪の下」や「デミアン」、「郷愁」など、中学生が好みそうな甘酸っぱい文学作品を生み出したヒト、などとともすれば思われがちですが、全く違います!
彼こそは、同国人であるニーチェ同様、伝統的な価値観の崩壊にあえて身を曝し、それについて徹底的に考えた結果、人間が本来有している肉体的~本能的なものの存在から逃げることなくこれを真正面から見つめ、ここから新たな価値観を作りだそうという試みを行った人物です。

このようなヘルマン・ヘッセの思想は、当時のロックバンドにも影響を与えました。彼の作品の一つに「荒野のオオカミ」がありますが、英語名は「Steppenwolf」!デニス・ホッパー監督の映画「イージーライダー」の主題曲「Born To be Wild:ワイルドで行こう!」を歌ったバンドの名前です。さらに、メキシコ系ロックバンド、サンタナのデビュー2枚目のアルバム「Abraxas:天の守護神」のAbraxasですが、これはヘッセの「デミアン」に出てくる「半身が天使、半身は悪魔」の神様のことです。要するに、「ヒトは完全なる理性的存在では無い!」ということを声高に主張したのがヘッセであり、これに共感したのが60年代半ばのロック狂の若者たちであった、ということです。


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2016年12月28日 14:31に書いた記事です。

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