昭和30年代の思い出:総集編-5

| | トラックバック(0)

今日はいよいよ大晦日。昨日の予想通り、大納会は年初来の高値で大引けとなりました!めでたしめでたし、と言いたいところではありますが、その後に為替は下落、、、。逃げ遅れたセンセは高値を掴んだまま、悲しいお正月を迎えそうです、、、。

さて、昨日からの続きです。ナントカ今年中にこの話題を終わらせたいと思ってます。本日は、昭和30年代のバイオレンスとおどろおどろしさ、について書きます。

昨日も書きましたが、最近ではクールジャパンの影響もあって、ネット上では自分達に対する自画自賛が行き過ぎている感があります。これは、これまでずう~~~っと続いてきた自虐的感覚の裏返しに過ぎない面もあり、致し方ない側面もありますが、明らかに間違っている所も目に付きますので、此処で実際の見聞に基づいたお話をして、認識を改めて貰おうというのがセンセの魂胆であります。昨日は昭和30年代の日本人のマナー、当時は「公衆道徳」と呼んでいましたが、は決して良いモノではなかった、と言うお話を致しました。本日は昭和30年代の闇の部分のお話しをいたします。そんなたいそうなものじゃないけど、、、。

3. 昭和30年代=ガロの世界

ガロって、知ってます?青林堂という出版社から出ていたマンガ雑誌で、白戸三平のカムイ伝とか、つげ義春のねじ式とか、知る人ぞ知る、当時をある意味代表するマンガを掲載していた雑誌です。実際はガロが出版されたのは昭和39年、東京オリンピックが開催された年ですから、昭和30年代を代表する雑誌と言うよりも寧ろ40年代を代表する雑誌と言うべきかと思いますが、そこで描かれている雰囲気は、これは昭和40年代のものでは無く、将に昭和20年代から30年代のものですので、ここで当時の雰囲気を説明するためにも、この雑誌を取り上げたいと思います。

個人的に言えば、昭和39年の東京オリンピックが開催されるまでの日本は、これは戦前の文化の集大成であると思っています。戦争で日本全土が焦土と化し、これがほぼ完全に復興したのが昭和39年。要するに、戦前の文化と技術が最高潮に達したのが昭和39年、と考えます。例えば、当時の東京は主道路の殆どに未だ都電が走り、蒸気機関車も現役。オート三輪に荷物を満載し、郊外では未だ舗装されていない道路を砂埃を巻き上げつつ、白煙を吹き出しつつ走っていたのがこの年まで。東京オリンピック以降は、新幹線が出来、高速道路が完成し、カラーTVが普及し、その他その他、これまでと大きく質的変化を遂げていき、日本は、全く新しいステージに入ります。昭和39年までとそれ以降とは、日本人の考え方や立ち居振る舞い、即ち文化が、質的に大きくガラっと変化して行きます。

昭和39年に刊行された漫画雑誌ガロは、そんな昭和30年代の、未だ戦前の日本文化の残滓を色濃く残していた時代を表現したマンガで溢れておりました。

現代の「アニメ」で育ったヒト達には、日本人外人を問わず、「つげ義春とか花輪和一の漫画の世界って、訳わかんない~っ!」とか言うと思います。以前にも書きましたが、この当時の水木しげるのマンガも、現在よりも遙かにおどろおどろしく、訳わかんないものでした。どういうモノであったかは実際に本を購入して読んで頂くしかありませんが、彼らのマンガの中で表現されているおどろおどろしさについて、センセが当時見聞した事柄を紹介して、これらに基づき考えてみたいと思います。

傷痍軍人って知ってます?

傷痍軍人と言うのは、基本的には戦争で負傷した兵隊~軍人一般を指す言葉ですが、ここで言う傷痍軍人とは、戦争で片手片足を失い、義手義足に白い単衣(ひとえ)の病院服をまとって首から賽銭箱を提げ、カーキ色の軍帽を被り、アコーディオンを引きながら街角に立って物乞いをしていた一群の人々の事を言います。今ではもちろん全く見かけることはありませんが、昭和30年代には普通に居りましたし、昭和40年代中頃までは見かけたかと記憶しております。彼らの境遇~政府の処遇、待遇その他、政治的事柄に関してこの場で申し上げることは一切致しません。飽くまで、小学生だったセンセの目から見たその光景について、正直な感想を述べるだけです。

実は昭和30年代を語るときにセンセが真っ先に思い浮かべる光景と言うのが、靖国神社や明治神宮など、正月の参拝客で混雑している参道の大鳥居の下で、彼ら傷痍軍人の一群が、もの悲しくもアコーディオンで軍歌を奏でている光景です。現在、この雰囲気をある程度感じられる状況としては、年末の銀座などの人通りで賑わっている場所で救世軍のヒト達が義援金活動をしていますが、あの雰囲気にちょっとだけ似たものを感じます。でもほんのちょっとだけ。やっぱりつげ義春や花輪和一のマンガの中に、彼ら傷痍軍人らが醸し出していた雰囲気、現在では日常の中に殆ど見いだすことの出来ないその雰囲気を、濃厚に感じることが出来ます。

余談ですけど、大分麦焼酎のTVコマーシャル、明らかにガロの影響を受けていますね。

で、その様な雰囲気の中、小学校に上がるか上がらないかと言う年であったセンセは、両親と共に、明治神宮に正月の参拝に出かけました。たくさんの参拝客でごった返す中、玉砂利を踏みつつ大鳥居の下まで来ると、そこには傷痍軍人の一群が居り、もの悲しくもアコーディオンを演奏する中、センセの目の前に居た中年の女性がいきなり仰向けに倒れ、白目をむき、口からは泡を吹き、手足をぶるぶると痙攣させ始めました。てんかんです、、、。

・・・・・・・・・

あ~~~~~、もうこれ以上は書けない!

 

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 昭和30年代の思い出:総集編-5

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.kigen-technosakaki.jp/old/mt/mt-tb.cgi/62

この記事について

このページは、喜源テクノさかき研究室が2013年12月31日 11:13に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「昭和30年代の思い出:総集編-4」です。

次の記事は「昭和30年代の思い出:総集編-6」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。