今月の書評-108
温かくなったり寒くなったりの繰り返しが続く今日この頃ですが、ようやくコロナワクチンの接種も始まりました。
ボクチンもはやくワクチンを打ってもらいたいです・・・。
さて、遠賀川式土器=弥生式土器を伴い、紀元前7 世紀ころまでには西日本にあまねく広がった水田稲作農法ですが、興味深いことに、東日本の境を目の前にして一旦足踏みしながらも、その後は中部~関東を飛び越して東北に伝わるという、摩訶不思議な伝わり方をします。
「今月の書評-107」の図、紀元前4 世紀の青森県の砂沢遺跡からは6 枚の田んぼ跡が発掘されましたが、同時に出土した土器の多くが縄文様式を色濃く残す形式の土器で、遠賀川式のような典型的な弥生式土器ではない、ということです。
一方で、弥生式の甕(かめ)や壺(つぼ)、鑿(のみ)型石器なども出土してますので、恐らくは、少数の弥生人がこの地に入植し、地元の縄文人と協力しながら水田稲作を行った、と考えられています。
砂沢遺跡から出土した土器 弘前市のHPより
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/kuni/kuni25.html
砂沢遺跡の水田稲作そのものはわずか10 年ほどで放棄されてしまったようですが、不思議なことに、関東~中部地方を飛び越して、仙台平野以北の東北で、この後数百年にわたって水田稲作が行われていくこととなります。
もちろん、東北地方はそもそもがDEEP な縄文エリアであったわけですから、大々的な水田稲作農法を行った、というわけではなく、従来通りの狩猟や漁労、各種の畑作、クリやドングリの採取など、従来通りの縄文文化を色濃く伴ったうえでの水田稲作、ということでしょう。
一度、ホントに、タイムマシーンで当時に戻ってのぞき見してみたいです。
たぶん、考古学者の中には、夢の中で当時の様子を目の当たりにして「すごいスゴイ!」って興奮して飛び起きて、「あ、夢か・・・。」とガッカリしてまた眠って遅刻する、というヒト、結構居るかと思いますが・・・。
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