今月の書評-85
ブラタモリ、新人アナウンサーの浅野里香さんですが、いきなり
タモリ 「柿食えば・・・。」
浅野さん 「鐘が鳴るよっ!法隆寺・・・。」
とやってくれましたので、いっぺんでファンになりました www!
コロナとは関係ありませんが、その後には「昭和40 年代:時代と音楽-19」でご紹介したアメリカのソウル歌手、ビル・ウイザースが死んでしまいました。「Ain't No Sunshine」の他にも数多くのヒット曲がありますが、センセが特に好きなのが 80 年のグローヴァー・ワシントン・ジュニアとの名曲、「Just the Two of Us」です。センセは当時25 歳。吉祥寺は井の頭公園の近くの下宿に住みながらも将来へのヴィジョンを未だ描けず、ひたすらもがきながらバイト暮らしに明け暮れていた、ま、いわば「良く居る若者」の一人ではありました。バイト先から戻って四畳半の下宿で「Just the Two of Us」のレコードを聴いていたあの当時の「心のありよう」を還暦もとうに過ぎた今現在から振り返ると「俺にもそんな時代があったのだ・・・。」という想いが生じますが、恐らくは、多くの方々もそれぞれの時代の中でそれぞれの想いを持ち、共感されることも多かろう、と思います。
昨日は映画監督の大林宣彦氏が亡くなられました。
いずれの方々にも、謹んでお悔やみ申し上げます。
さて、北九州に水稲を持ち込んだ連中ですが、一旦ここでこれまでの流れをまとめてみたいと思います。以下。
今から5~6000 年くらい前の状況。朝鮮半島南岸には縄文人が漁猟に勤しんでいた。半島は、たぶん、C2 の狩猟採集民が、広く~薄く、住んでいた。
今からおよそ4000 年くらい前、寒冷化に伴って、民族移動が生じた。
遼河文明を築いたN 系の連中はC2 とO2 の圧力に抗しきれず、拡散。一部は山東半島へ。
ツングース系のC2 と満州系のC2 が半島を南下。多くの小国を形成する。
O2 とO1b2 が幅広く混交する。
O1b1 はさらに南方へ駆逐される。
民族分布は大体こんなカンジとなる。
朝鮮半島は、まずはC2 が優勢となる点に注目!(証明されてないけど)
今からおよそ3600 年くらい前から3200 年くらい前にかけて、商との確執に嫌気した東夷の連中が半島に移住。
山東半島から渡った一派は陸稲を、より南の長江下流域から渡った連中は水稲を持参した。
南から渡った連中は、より水田稲作に適した土地を求めて半島南岸を伝っていき、南東岸で縄文人と出会う!これが大体3000~3100 年くらい前。
半島南岸で漁労に従事していた縄文人は、対馬~壱岐~北九州ルートを教えてあげた。すなわちこの時点において、半島南岸部にC2 + O1b2/O2 + 縄文系のハイブリッド地域が生まれた。
一旦列島に新たな文化が根付き、大陸からの直接的なルートも確立すれば、その後は半島を経由せずとも色々なものが流入したであろう!
というカンジ。
そろそろ倭人が登場するか?!・・・な?
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