坂城散歩道-23
みなさまこんにちは!微妙~に朝晩涼しくなりつつある坂城ですが、いかがお過ごしでしょうか?
日曜日、山登りに行こうかゴルフの練習に行こうかバイクで林道を走ろうか考えていたセンセでしたが、最高気温が37℃になるとの予報。弱気のセンセはこれらを全てキャンセルして、近場で無難な場所に行ってお茶を濁してきました。
場所の名前は「森将軍塚古墳」。
千曲市のあんずの里にある実物大の復元古墳です。
入り口の石碑。「科野の里歴史公園」が正式名称のようです。「かの」じゃないです「しなの」です。
入ると、広い駐車場と芝生の広場があります。その先には小山がありますが、その頂きに古墳があります。
てっぺんの、なんとなくそれらしいドーム状の構造物がそうです。
広場を横切って小山に近づくと、何やら茅葺(かやぶき)の民家が数件見えますが・・・。
田んぼもあります。
古代米とかも栽培してます。
当時の復元住居でした。
高床式の倉庫もあります。手前のはしごを登って中に入ることができます。
上るのは、一度に三人までにしてください。
小錦と臥牙丸と逸ノ城の三人がそろって見学に来る可能性もゼロではない!と思いますが・・・。
中はこんなカンジ。
須恵器のドラム缶、ではありません。
ここから古墳まで登って行きます。
登り口はこんなカンジ。きけん!マムシ出没!とのこと。
昔、軽井沢の裏山を歩いていたら、足元にゴロゴロ何匹もとぐろを巻いているのに遭遇したことがある。でもみな向こうから逃げてった。
マムシすら近寄らないセンセです。
始めの木道を登りきると、舗装路に出る。
それをポクポク登って行くと、近道第一弾に遭遇する。
大したことなさそうなので、近道を行きました。
近道はこんなカンジ。
登りきると、休憩所みたいなのがある。
さらに近道第二弾。
これを登りきると、古墳に到達します。
と、いきなり立派な構造物が!!!
近くから見ると、こんなカンジ。
後ろの方は、こういうカンジ。
反対側。
古墳の上まで登れます。
前方後円墳ですから、これは前方の方墳側から後方の円墳を見たところ。
玉砂利が敷き詰められています。
実際に昔も今も、近くを流れる千曲川の河原から採取したものだそうです。
円墳の頂上から方墳を臨みます。
壺(つぼ)型の埴輪が一列に並んでいます。
実際にもこのような形で置かれていたそうです。
こういうカンジ。
これらは新たに作った模造品です。
本物は、敷地内にある「古墳館」に展示されています。
あ、なるほど!そういう遊び方もあったか!
などと勘違いしてはいけませぬ!
円墳の頂上から北西方向を見るの図。
画面を横切るのは北陸新幹線です。
同、北東方面。
画面を横切るのは上信越自動車道です。
東の倉科(くらしな)方面を臨みます。
このあと下山開始。
下りは舗装路をポコポコと降りてきました。
途中でミンミンしていたミンミンゼミ。
せっかくですので古墳館を見学。
料金オトナ一名¥200 。
受付のお姉さんがきれかった。
これがモノホンの埴輪。
ここの古墳の埴輪は全てこのタイプのものばかりで、はに丸くんとか犬とか馬とかシェーっ!してるやつとかはありませぬ・・・。
ジオラマなんかがあります。
古墳側面は全面が飾り石で覆われていますが、実際にもそうだったようです。
大人数を動員して千曲川から持ってきて飾り付けたのでしょうが、エジプトのピラミッドといい中国の殷墟といいアンデスの遺跡群といい、農業の開始から古代国家に至るこの頃、皆、絵に描いたように同じ展開を繰り広げるようですね。
何故なのでしょうか?
棺(ひつぎ)です。
古墳の周りにいくつも埋まっていたそうな・・・。
殉葬(じゅんそう)の可能性も・・・。
大きな須恵器の壺と短甲(たんこう)の模造品。
壺はわざわざ大阪から運んできたものらしい。
短甲とは、当時の鎧(よろい)のことです。
手前にあるのは出土した鉄剣類。
庶民が使っていた土師器(はじき)。土師器とは弥生時代から長らく使われた素焼きの土器のことです。
カタカナでハジキと書くと別の意味になりますので、ご注意を!
占い用に用いられた動物の骨。
まさに卑弥呼の世界ですね!今後の「今月の書評」シリーズが楽しみです!
本日のルート。
お天気の日曜でしたが、ほとんど借り切り状態でした。
田舎って、ホント良いですね!
ではっ!
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