今月の書評-26

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YDNA に関してはひとまずおいて、先島諸島にヒトが再び登場するのが今から4000 年前。下田原(しもたばる)式土器と呼ばれる土器が出現する時代になってからです。

下田原式土器.jpg
平成29年度・沖縄県立埋蔵文化財センター移動展「下田原貝塚出土品展」からの頂きものです。
http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/


この土器の特徴は、写真でも分かるとおり、底が平たく、両側に耳が付いていることです。同時代の縄文土器とは全く似ておらず、南方由来の形式だと考えられています。
今からおよそ7~8000 年前の沖縄本島ではすでに押引文(おしびきもん)土器や爪形文(つめがたもん)土器と呼ばれる古いタイプの縄文式土器が発見されているので、この点からも、少なくともこの時代、沖縄本島と先島諸島とは異なる文化圏に属していたことが理解されます。

沖縄本島からは、5000 年前くらいの遺跡から曽畑式土器(そばたしきどき)と呼ばれる有名な形式の土器が出土するようになりますが、この曽畑式土器は熊本由来であり、「今月の書評-20」でご紹介した喜界カルデラの大噴火後に生まれた土器であることが分かっているので、沖縄本島の縄文文化は九州由来であることの証拠の一つとなっています。

曽畑式土器.jpg
曽畑式土器。ネットからの頂きものです。
http://www.city.uto.kumamoto.jp/utomonogatari/q/aview/7/549.html


一方の先島諸島ですが、先島諸島で下田原式土器が作られていた時代は短く、それからさらに数百年経つと、再びヒトの気配がなくなります。再びヒトが居なくなる期間は、ナント1500 年。どうなっているのでしょうね?
で、再びヒトが現れるのが、今からおよそ2000 年前。
さらにややこしいことには、この2000 年前からの時代には土器が作られず、無土器で人々が生活していたという、発狂するような事実です!この時代を無土器時代と呼んでます。なんなんでしょうか???

では、無土器の状態で当時の人々はどのような生活を送っていたのかというと、この時代の遺跡からは大量の焼石が見つかることから、「今月の書評-14」でもご紹介したように、いわゆる「石焼料理」が行われていたようです。イノシシの骨も多く見つかることから、パプアニューギニアなどの南洋諸島でおなじみの、穴を掘って大きな葉っぱを敷いた上にイノシシの肉を乗せ、そこに焼いた石を投げこんで蒸し焼きにする「イノシシの石焼料理」がごちそうだったようです。

このように文化的な「無土器文化」ですが、これが今からおよそ900 年前まで続いたとのことです。今から900 年前というと2018ー900=1118 年ということですから、京の都で源氏と平家が覇を競い始めたあの時代に至るまで、先島諸島では土器も持たずにイノシシを蒸し焼きにして食べていたことになります・・・。


・・・平和だったんですね ・・・www!


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2018年6月30日 16:54に書いた記事です。

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