昭和40年代:時代と音楽-4
W中学は中高一貫の私立校で、センセは足立区から新宿区まで電車で通う事となりました。小学時代の同級生たちがズックの白いカバンを肩にかけ、ズックの運動靴を履いて地元の中学に通うのを尻目に、ピカピカの黒革のバッグを手にしてこれもピカピカの黒い革靴を履いての電車通学です。このように書くのはいかにも鼻持ちならないと思われるかもしれませんが、当の本人としては、当時むしろたった一人、皆とはずいぶんと違う環境に身を置く事に対する気恥ずかしさが先に立ったものでした。
電車は毎日超満員。同級生の中でも一二を争うぐらい背の低かったセンセでしたので、電車の中で文字通り足が床に着かなくなるような状況もしばしば。つり革にも手が届きません。まだこの頃はまじめな中学生だったので、バッグの中は教科書で一杯。ちっちゃな中学一年生が重そうなバッグを手に持って、超満員の電車の中で遭難しないように一所懸命に手すりにしがみついていると、席に座っている優しいおばさんから声をかけられ、バッグを膝の上に置いてもらったりする事もありました。
教科書が詰まってパンパンにふくれあがった中学一年生のバッグでしたが、これが数年後には教科書の代わりに一冊の少年マガジンと雀荘の点数表とパチンコで取ったワンカートンのチェリーとが入っただけの、わざっとペッチャンコにつぶして持ち手のところをホータイでぐるぐる巻きにしたいわゆる***バッグとなるのも、少年から青年に向けてのお定まりの通過儀礼というところでしょう・・・。
さて、中学時代のセンセは歴史研究部に所属し、マンガを描きまくり、Uコンを飛ばし、魚釣りとプラモデル作りに夢中な、どこにでもいるような中学生でした。
また、センセは本好きで、子供の頃から色々な本を数多く読んできましたが、中学時代は歴史研究部に属していたこともあって、歴史の本を読むのが好きでした。特に中国史が好きで、中学生向けの「史記」や「三国志」、あるいはパールバックの「大地」などを夢中で読みふけっておりました。
多くのヒトが経験されていると思いますが、ある懐かしい曲を聴くと、そのとき行っていた事柄などが同時に思い起こされたりする事があります。
中学の頃、自分の部屋で読書に夢中になっていると、いつも兄の部屋からビートルズのレコードの曲が流れてきました。
従いまして、センセの場合、アビーロードのB面の一曲目、ジョージの「Something」を聴くと、今でも、藺相如(りん・しょうじょ)が和氏の璧(かしのへき)を巡って秦の王に対して怒髪天を衝く場面が思い起こされてしまいます・・・。
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