坂城散歩道-6
みなさまコンニチハ!連休はいかがお過ごしですか?
今年の連休は天気も良く、ホントに気持ちの良い日が続きましたね!
昨日はお天気に誘われて坂城の町を隈無く散策して参りましたので、町の名所旧跡をご紹介致します。足取りに沿ってご紹介して行きますね!
町中を流れる御堂川沿いの木々も新緑に染まり、まさに春本番。つい数週間前には川の両岸の桜並木が満開でしたが、今では若葉に覆われつつあります。
♪ 土手のすかんぽジャワ更紗~って歌、知ってる?
ここは格致学校の建物。今では民俗資料館になっています。隣は図書館。
格致学校は明治時代に学校教育の普及に伴って作られた学校で、洋風と和風の建築様式が一体化した独特の作りとなっており、まさに明治の面影を色濃く反映する建物です。
神明神社横の馬頭観音。このような碑が辻々にたくさんあるのも、長野の特徴の一つです。
日吉山王神社。坂城の神社は明治時代の神社合祀運動の被害を免れたのでしょうか?至る所に村の鎮守の神様が祭られ、しかも境内の木々は樹齢数百年、下手すると一千年ぐらいはありそうな巨木ばかり!
ここは坂城のメインストリート。人呼んで(センセしか呼ばないが)坂城銀座!
大型連休の真っ最中ですが、ご覧の通りの状況ですので、観光地の中でも坂城は穴場中の穴場です wwww!
坂城銀座の旧家。本日は坂城に残る数多い旧家を、たくさんご紹介して行きます。
きれいなお家ですね!勝手に撮ってゴメンナサイ・・・。
心光寺の門前。
坂城町観光の売り物の一つ、「鉄の展示館」。ここでは日本刀などが展示されています。名刀工であった宮入行平氏が坂城を拠点に活躍し、その業績を称えるために建てられました。
その宮入氏を称える碑です。後ろの廃屋がいかにもマッチングしてますね!良い雰囲気です。
坂城町は昔は北国街道の宿場町として栄えた歴史を持ちます。ここはその当時の本陣の跡。
本陣内部の建物です。コーヒーが飲めます。
街道沿いの旧家。
同じく。
もう一丁。いわゆる「うだつ」のあがった家ですね!
あ~手前の電信柱が邪魔ですが・・・。
ここは旧坂城宿の目抜き通りの一つ。往事は両側に格子作りの建物が建ち並び、三味線の音も喧しく、飯盛りのお姉さんたちが旅人の袖を引いていた所だそうです。
坂城神社参道入り口。
大英禅寺山門入り口。大英禅寺は曹洞宗のお寺さんです。
大英寺門前。
きれいな境内。
鐘楼も立派です。
門前の池。ウシガエルがモーモーと鳴いておりました。
墓地からの眺め。
東南を眺めると、未だ雪を抱く東部湯の丸の山の頂(いただき)が。
戦国の武将、村上義清の墓所。
村上義清公は戦国時代の坂城の豪族で、一時期は群馬まで勢力を伸ばすなど、この地方の一時代を作った猛将でした。残念ながら武田信玄との戦に敗れ、上杉謙信を頼って越後まで敗退し、その地で亡くなりました。ここは義清の死後に分骨して墓所としたとの事です。
村上義清に関する旧跡は多いので、そのうちに特化してご紹介したいと思います。
義清の供養塔。
義清の墓所に隣接する閻魔堂。
ここにお参りすると「最後の審判」時に見逃してくれるそうな・・・。
また、坂城宿のおしろいのお姉さん方に読み書きを教えた場所でもあるそうです。
さすが閻魔さまですね!現世での面倒見もよろしいようで・・・。
北国街道沿いの旧家。白壁が立派です。
旧家をもう一つ。
門から内部を写してみました。ゴメンナサイ・・・。
土塀。往時が偲ばれます・・・。
帰り道、最後の写真。
眼前に広がるのはブドウ畑です。遠景の三角山は岩井堂山。義清の時代には山城として使われ、武田の進入時には狼煙(のろし)を焚いたそうです。
今回の散策ルートです。ずいぶん歩いて、今日は足腰が立たない・・・。
次回は川向こうの村上地区を歩いてみようかな?と思ってます。
まだ未定だけど・・・。
ではみなさま、次回までご機嫌よう!
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