昭和30年代の思い出:総集編-2

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これから述べていくお話の中で、いくつか、事によると「差別的」と見なされる言葉が出てくるかと思います。もちろん、センセが差別的感情をもって、それらの言葉を使う訳ではありません。加えて実際にこれらの言葉が差別的であるかどうか、それも定かではありません。いずれにしましても、それらの言葉は実際に昭和30年代に使われていた言葉ですし、無理に転換すると酷くおかしな言葉に成り、加えて当時をありのままに記述すると言う趣旨から外れますので、そのまま使用致します。また、飽くまでセンセが幼少期に見聞してきた事柄に基づいている訳ですから、見聞の幅と程度が限られている事も明らかです。けれども、時代の変化というものはヒトが成長するにつれて忘れてしまいがちなものですし、加えて、それらの変化そのものが日常的な些細な事柄であればあるほど、記録にも残らずに忘却の彼方へと飛び去ってしまうだけでなく、全く事実と異なるお話が意図的に流布される恐れ無きにしもあらずですので、やはりこの様な作業は必要であると感じます。以下、いくつかのテーマに絞ってお話して行きますね!題して昔の日本人のマナーは良かったが、今はひどい?です。

1. 昔はゴミを捨てなかった?

飽くまでも昭和30年代と比較したお話です。江戸時代がどうであったか、それは知りませぬ。まず、日経新聞のコラムでも述べられていた、汽車~電車内のゴミについてお話しいたします。

昔の電車は、国鉄の車両はみんなえび茶色。窓は開閉式。外板はリベット打ち。床は木製で油が引いてあって、通路の真ん中には真鍮製の棒が一本あって、電車が大きく揺れた時にはこれにつかまって倒れないようにする。ラッシュアワーの時、この棒の近くに立っていると体が棒にギューギュー押されて中身が出そうになる。だからそのうち無くなった。でもこのタイプの車両は段々減っていき、最後は南武線と常磐線に払い下げとなる。

一応扇風機がある。夏のラッシュ時には、扇風機の風が一巡して自分の方向に向かってくるのが唯一の楽しみ。でも小柄な中学生としては、大人に遮られて、扇風機の恩恵も余り無かった、、、。座席は、山手線や中央線などは今と同じで進行方向に一列のベンチ式だが、ローカル線は、これも今と同じで、進行方向に直角~対向に設けられたベンチ式。

で、当時の日本人の最大の贅沢が、たまの長い休暇が取れれば家族うち揃い、列車に揺られて温泉旅館に泊まりに行くこと。東京だったら熱海とか、最大に奮発して長野あたり。これらの近場だと、特急には乗らずにせいぜい急行、多くは鈍急各駅停車でのんびり揺られていくことになる。当然時間も掛かるが、「長く時間を掛けてゴットンゴットンと観光地まで揺られて行く」と言う事自体が、将に「旅」の楽しみであった訳だ。今で言うところのキオスクなどは無く、駅弁売りが首から提げた箱に駅弁を入れて「峠の釜飯弁当~~!」等と駅のホームで売り歩く。真鍮製のフックをひねって窓を押し上げ、駅弁とお茶を買う。センセが小学生頃に、お茶がビニール製の容器に入れられて売られ始めた。それ以前にどのような形態でお茶が売られていたか、ちょいと記憶に有りませぬ。

駅弁とお茶以外に、どういう訳か知らないけど、必ず「凍ったみかん」が売られていた。この「凍ったみかん」、普通の店では余り見かけず、どういう訳か駅弁と一緒に売られていた。それも赤いビニールの網のなかで、まるごと凍ったまま売られていた。何故駅弁と「凍ったミカン」なのか、今でも謎のままである。で、初め頃は物珍しさもあって、駅弁を買うときには必ず凍ったミカンも買っていた。でも、あんまし美味しいモノでは無い事が判明したので、程なくこれは買わなくなった。みんなも同じ気持ちであった様で、程なく「凍ったミカン」は見かけなくなった、、、。で、列車は駅を出立し、ゴットンゴットン揺られながら、皆で駅弁を食べ、お茶を飲む。で、目的地に到着して列車を離れる。で、駅弁の空き殻はと言うと、紐で結わえ直して座席の下に放置してそのまま、、、。

それどころでは有りませぬ。当時はローカル線の場合は全席喫煙可能だったので、大人は酒を飲みながら煙草ぷかぷかふかし放題。当時はカップ酒は無かったので、一升瓶の形を小さくした様な一合瓶に入った酒が売られていた。一方、子供はジュースを飲む。瓶に入ったバヤリースを駅弁売りが栓抜きで開けてくれたのを飲む。或いは、缶ジュースを飲む。ジュースの缶に付いている缶切りで缶に穴を開け、そこから飲む。穴は必ず二個開ける。これらの酒瓶、バヤリース、缶ジュースの缶も、当然の如く、座席の下に放置する。列車が動き出すと、これらの酒瓶が列車内をゴロゴロ転がり出すのも、旅の風情と言うところ、、、。

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このページは、喜源テクノさかき研究室が2013年12月30日 11:13に書いた記事です。

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