今月のウクライナ-140

さて、「今月のウクライナ-33」でお話したマリアンヌですが、
一応、歴史学的にはこの地域に初めて登場したイラン系の連中です。
北方から来た彼らは、一派は北インドに、
他の一派はイラン高原から中東に向けて拡散して行きました。

古代中東地域の民族構成ですが、
シュメール人やミタンニ王国を作ったフルリ人など、
民族系統が不明な連中も多くおりますが、
基本、アフロ・アジア語族に属するセム系民族が優越した地域です。
で、シュメールやアッカドによって打ち立てられたメソポタミア文明ですが、
その後は長らくこの地域一帯の「文化的基本骨格」となりました。

ここら辺の事情は、
殷周時代の文化がその後の中国文化の骨格を形作っていったのと同じです。

で、イラン人=アーリア人は昔は遊牧民であったはずなので
当初はスキタイやサカ族などと同じような風俗であったのでしょうけど、
北インドに侵入していった連中は
ドラヴィダ系や、あるいはもっと古い土着の連中の影響を受けて
遊牧民的文化が希釈され、
最終的には現在のインド(名前が変わった、あるいは変わるようです)
に見られるような、独特の様式の文化を生み出していった一方で、
イラン高原から中東に進出して行った連中は
その地で偉大なるメソポタミア文明に出会い、その影響をもろに受けて
次第に遊牧民的特徴を失っていった、と個人的に考えています。

で、「今月のウクライナ-36」でお話したメディア王国を経て
今月のウクライナ-39」、「42」でお話したアケメネス朝ペルシャに至り、
同じイラン系ではあっても「ペルシャ」の名を冠する国家がここで誕生します。

メディアにせよアケメネス朝にせよ、
スキタイなど、北からの遊牧民の攻撃には大いに悩んでいたようですが、
元々の自分たちがそうであったわけで、攻守所を変えただけのことでしょうね。
歴史的には良くある話です。

で、「今月のウクライナ-136」で書いたように、
ペルシャ人は現在のイランのペルシャ湾沿岸に住んでいた連中で、
アケメネス朝の時に初めてイラン高原の覇権を握り、
ギリシャとは繰り返し戦い、
その後はイラン系国家としては最大の版図を得ることとなります。
首都はペルセポリス。ペルシャの都市、という意味のギリシャ語です。

前々回にキュロス二世のレリーフ画像を載せましたが、
ペルセポリスのレリーフ像を引き続き載せます。

大王の親衛隊.jpg大王の親衛隊  ウイキより
これを見ても明らかなように、メソポタミア文化の影響が明らかに大きいです。


で、アケメネス朝とギリシャとの戦いでは
マラトンの戦いサラミスの海戦ペロポネソス戦争などなど、
ギリシャに代表される西方文明とペルシャ率いる中東文明の衝突、
みたいな感がありますが、
アレキサンダー大王の登場によりペルシャは滅ぼされ、
中東から北インドにかけて、この地はヘレニズム文化に覆われてしまいます。

マラトンの戦い.jpgマラトンの戦いの想像図  ウイキより
ファランクス、重装歩兵による密集陣形同士の対決でしょうか?
上図、右手がペルシャ軍でしょうが、個人的には違和感がある。
というのは、ペルシャ人は元祖アーリア人で北方系の連中だわ。
図のペルシャ兵士はどうみてもアフロ・アジア系にしか見えない。
バビロニアの傭兵かな?
でも服装や装備など、一応レリーフの兵士を模して描かれているようだ。


大王の死後も、この地はセレウコス朝によってギリシャ化が進みますが、
今月のウクライナ-42」でお話したアルサケス朝パルティアと、
ギリシャのさらに西に勃興したローマ帝国によって
セレウコス朝も滅びてしまいます。

で、このアルサケス朝パルティアですが、
パルティアという言葉とペルシャという言葉には関連はありません。
パルティアはパルニ族という部族によって打ち立てられた国ですが、
パルニ族はペルシャ人と同じくイラン系です。
同じイラン系ですが、ペルシャ人の出自がペルシャ湾岸であったのに対し、
パルニ族はイラン高原北東部、カスピ海東岸に居た遊牧系の連中で、
むしろスキタイあたりに近い連中であったと考えられてます。

セレウコス朝を倒して東西貿易の要であるこの地域の覇権を握った彼らは
シルクロードを通して漢王朝と貿易も行っていたようで、
司馬遷の史記に出てくる安息というのがパルティアのことです。
で、化学系の方々にはおなじみの物質に安息香酸というのがありますが、
これは安息香の木から得られた良い香りのする樹脂の成分で、
抗菌・静菌作用があるため、食品添加物などに使用されます。
で、パルティアで用いられていたこの樹脂が
シルクロードを通して中国にもたらされたのでこの名が付いた、
という説があります。結構ありがちかな?と思いますけど・・・。

で、パルティアの文化ですが、
アケメネス朝やササン朝のようなレリーフがあまり残っていないので
感覚的によく分からないのですが、
たぶん同じイラン系とは言ってもペルシャ人とは異なって、
より遊牧系のカンジが強いのかな?と思ってます。
また、当初、周りをギリシャ系の国々に囲まれていたわけですから、
ヘレニズムの文化に大きく影響を受けていたのは確かです。
パルティア王の銀貨がウイキに載ってますので、これを上げます。

ミトラダテス2世.jpgパルティアの王、ミトラダテス 2 世の銀貨  ウイキより
ギリシャ文字が刻まれてます。
印象もギリシャ風ですね!
名前からしてミトラ教を信仰していた?

ミトラ教に関しては、そのうちお話します。