今月のウクライナ-39

おおよそ紀元前 900 年くらい前の中央アジアの平原~黒海北岸は、
スキタイなどのイラン系の遊牧民が幅広く遊牧を営んでおりました。
この頃の黒海北岸に住んでいたのがキンメリア人で、
やはりイラン系の戦闘的遊牧民でした。

因みにクリミア半島の名前は、このキンメリア人に由来します。

スキタイの連中は、
元々はモンゴル北西部からアルタイ山脈あたりに居たらしいのですが、
その後にマッサゲタイ族に追われて西~南方に移動を開始し、
一部はインド西岸へ、一部はメディア王国へ、一部はアナトリアへと
侵入して行きます。
これらの地域で土地をかすめ取ったり、傭兵となって活躍したりと、
いわゆるシノギをして過ごしますが、
その後にはキンメリア人が住んでいた黒海北岸にも侵入していきます。
追われる形となったキンメリア人は
コーカサス山脈を踏破してアナトリアに侵入し、
当時のアッシリアの東方にあった小国を滅ぼし、
さらにはアナトリア東岸の国家、リュディア王国にも侵入していきます。

リュディア王国.jpg紀元前 600 年ころの中東地域勢力図 ウイキより
現在のトルコ西半がリュディア王国です。


スキタイがキンメリアを追ってアナトリアに侵入したのか、
キンメリアとは無関係に進出していったのかは議論のあるところです。
すくなくともヘロドトスによれば、
「スキタイはキンメリアを追ってアナトリアに侵入した」とのことですが、
細かいところはどーでもよかちゃろタイです!

いずれにせよ、至る所でケンカ三昧のスキタイの連中ですが、
ほどなくメディア王国を、一時期、乗っ取ることに成功します!
けれども怒ったメディア人によって追っ払われ、
紀元前 620 年ころには黒海北岸に逃げ戻ってしまいます・・・。

アッシリアはその後にメディアと新バビロニアによって滅ぼされますが、
一時は中東の覇者となったメディアの連中も、
彼らの支配下にあったペルシャのキュロス二世の反乱によって、
紀元前 550 年、滅亡してしまいます。
メディアを滅ぼしたキュロス二世により、
ここにアケメネス朝ペルシャが登場し、ギリシャとの闘いが始まります。

アケメネス朝ペルシャ.jpgアケメネス朝ペルシャの最大版図  ウイキより


ということで、多数の国家が生まれては滅んでいく激動の西アジアですが、
これらのいずれにも、多かれ少なかれ、スキタイが関わっているですタイ!