「今月のウクライナ-49」と「50」で登場する大月氏のクシャナ朝ですが、
これの成立によって東方を断たれたパルティアは西方拡大策をとり、
折しも勢力を増しつつあったローマとアルメニア王国を巡ってぶつかります。
紀元前後のころです。
イエス・キリストとか、ユダヤ戦争とか、大体そのころ。
そのころの中東~アナトリアは、ローマ vs パルティアの時代です。
しかしながら、
パルティアはローマとの度重なる争いによって疲弊してしまい、
ペルシス地方(すなわちペルシャ)の反乱軍によって滅ぼされます。
反乱軍の首領がアルダシール 1 世で、ササン朝の祖となります。
西暦 224 年のことです。
ローマの捕虜となったパルティア人 ウイキより
右がパルティアの兵士、左がローマの兵士。
パルティア兵はガウンとズボンの出で立ちで、
やはり遊牧民的なイメージが付きまとう。
あごひげもさもさ。
ギリシャやローマ人の場合、あごひげ姿は少ない。
ここらへんも両者のイメージが分かれるところ。
セプティミウス・セウェルスという所の凱旋門に掘られたレリーフです。
イラン国立博物館の、パルティア貴族の銅像 ウイキより
パルティア貴族は「騎士」と呼ばれる階級を構成していたそうです。
パルティアの軽騎兵の像 ウイキより
パルティア貴族=騎士は、槍=ランスを備えた重装騎兵でしたが、
これを補うのが弓を装備した軽騎兵。
パルティアンショットと呼ばれる
ヒットエンドラン攻撃が得意だったそうです。
宗教的にはアーリア的多神教で、
ゾロアスター教はその中の一つとして信仰されていたようです。
ゾロアスター教がゾロアスター教として体裁が整うのはササン朝時代ですので、
この当時のゾロアスター教は他の宗教とも色々と習合し、
混沌としたものだったのかな?
とも考えます。
古代イラン・インド系は同根なので、
イランの神々とヴェーダの神々とが比定されることも多く、
例のアフラ・マズダーは阿修羅神のことですし、
前回登場したミトラ(ミスラ)神はヴェーダに登場する太陽神のことで、
牡牛(おうし)を屠り、酒を司り、盟約と信義の神として信仰されました。
パルティアは当初、ヘレニズム文化に大きな影響を受けた国でしたので、
これらのアーリア人の神々のいくつかはギリシャの神々と同一視されて
信仰の対象となっていったようです。いわゆる「神仏習合」です。
その中の一つがミトラ神で、
上述の太陽に関する神ということから直ぐにわかるように、
これはギリシャのアポロンの神と同一視されて崇められました。
このミトラ神の宗教はローマにも入り、
キリスト教が国教となるまでは、
ローマ市民の間で密教的に信仰されていたとのことです。
大英博物館のミトラス神像 ウイキより
牡牛を屠っている場面ですが、
なんでこういうことが信仰の対象となるのか、
現代人としては不思議な気がします。
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