今月の書評-79
さて、語順などの基本的文法体系が同じであるにもかかわらず朝鮮語と日本語はお友達では無いとする理由は、体の各部の名称(目、鼻、手足など)や数詞、色の名称、身近な事柄(空、日、月など)などの「基本単語」が、「お友達であれば、その後に変化はしても、共通する元の言葉が存在する」という原則にのっとっていないためです。
朝鮮語は、歴史的に見ても中国からの影響が非常に強く、ちょっと考えてみても名字や地名など、ほとんどが中国読みです。
名字などは「石を投げればキムに当たる」というくらいですし(ホントに投げてはいけませぬ)、地名なども釜山(プサン)、仁川(インチョン)、平壌(ピョンヤン)、大邱(テグ)など、中国読み以外のものを探すのに骨が折れます。
唯一、韓国の首都であるソウルのみ、どうやら本来の朝鮮語を表すもののようです。
ソウルは漢字では京城~漢城などと書き表す場合がありますが、ソウルの「音」を表す中国語は「首爾」であり、珍しくもわずかに残った本来の朝鮮語の地名であるようです。
これを日本と比較しますと、東京や北九州や希望が丘などの近年に名付けられた地名は省き、江戸~横浜~沼津~清水~静岡・・・と、東海道をちょいと下るだけでも大概は訓読みの地名です。
名字においても同様に、高橋はタカハシであってコウキョウではありませんし、山田はヤマダであってサンデンではありませぬ。
絶対音感を有してドビュッシーの「月の光」を即興で弾ける林田さんは、リンダさんではなくってハヤシダさんです。
キムくんやパクくんも実は昔はキムパクではなかったようでして、古い時代には「ちゃんとした」朝鮮語の名前(各部族に特有の)を有していました。
たぶん、新羅の頃にキムパクになったんじゃないかと思います。
さて、ならば中国の影響を被る前の両者の言葉を比較するともっと面白いことが分かってくるのではなかろうか?と思いますが、如何せん、昔の朝鮮語がどのようなものだったのか、皆目分からないのが現状です。
と、ここで一つの手がかりがあります。それは、紀元前4 ~50 年頃に現在の満州から北朝鮮~朝鮮半島中部を制圧したC2 の国家、高句麗で話されていた言葉の断片が残っているという事実です。
それはホント断片に過ぎず、ここから高句麗の言語を構築することなど全く不可能ではあるのですが、まさにこの断片が、日本語の由来に関してゾクっとするよなインパクトを有しているのです。この断片は高句麗語の数詞に関する記録であり、そこには、3 は「密」、5 は「于次」、7 は「難」、10 は「德」と、漢字で書き表されているとのことです!その他の1、2 と4、6、8、9 は、残念ながら残っていません。
3 は「みつ!」、5 は「いつつ!」、7 は「ナン!」、10 は「トク!」
これは、単なる偶然として見過ごすわけにはいかないくらいのインパクトがあります!
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