昭和40年代:時代と音楽-37

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高二の文化祭を無事に終えたGrand Sweat Revival でしたが、その後も活動を続けました。神宮外苑で開かれた素人バンドのコンサートに下級生の連中が参加したのに刺激され、我々も一般市民が聴きに来るようなところに出演すべく、さらに腕を磨き続けました。

この頃、バンドメンバーの変更がありました。「目指すべき音の追求でメンバー間で対立が生じ」、なんてカッチョイイもんじゃありません。単に「飽きたから?」くらいの理由でベースの++君がやめ、代わりに¥¥君が加入しました。さらに「オルガンが欲しいね!」なんて生意気言って、¥¥君の知り合いの女の子が加わりました。

この頃になるとセンセもある程度は上手くなり、簡単なリードギターなら演奏できるようになってました。また、文化祭終了後は学校で練習を行うことが困難になり、西荻窪にあるドラムの$$君の家や、永福町の女の子の家でやるようになりました。永福町の女の子の家は広く、思い切って練習できましたが、西荻窪の$$君の家は木造家屋が密集したところにある当時のごく普通の家でしたので、今から思えばあんなところ(失礼!)でよくやったもんだと感心しきりです。$$君のおばあさんからはよく叱られてましたが・・・。

で、高二の春休み、満を持して、自由が丘(だったと思うが・・・)で行われた素人バンドのコンサートに参加しました。何を演奏したか、実はあんまり覚えていないのですけど、サンタナの「Black Magic Woman」をやったのははっきりと覚えてます。なんせ「Black Magic Woman」のリードギター、センセが担当したもんで・・・。

一般聴衆に混じって級友らも聴きに来てくれて、ナカナカ盛況のうちに閉幕しました。コンサート終了後、永福町の五日市街道沿いにあったステーキ屋で、みなでハンバーグを食べて別れたのを覚えてます。懐かしいです・・・。

で、春休みが終わればもう高三!W高校は典型的な進学校でしたので、高三ともなればバンドにうつつを抜かしているわけにはいきません。でも「ビートルズのようなロックバンドになる!」とか一度は決心したセンセでしたので、バンド解散には抵抗があった。でも、このメンバーをよくよく見れば、とてもじゃないが一流になれるわけがない!ことぐらいはセンセでもよく分かる。特に、センセを除き、ルックス的にダメダメ(ホントに失礼!!!)!あ、こりゃあかんな~、てな調子で、すぐにあきらめがついたのは、今から思えば誠に幸いなことではありました・・・。


当時のセンセのスタイル、相当派手だった。

ビートルズの本に載ってた有名な「革ジャンにジーンズ、革のブーツを履いてポーズをとる、ハンブルグのビルの屋上のジョンとポールとジョージの写真」にあこがれて、髪はギトギトにポマードを塗りたくったリーゼント!ズボンはEDWINのジーパンを自分でミシンでギチギチに細くしたスカマン(横須賀マンボ)スタイル。その後にデビューするキャロルそっくりでした。
特にポマードは昭和30年代のお父さんなんかが使ってた麝香の香りがものすごい「黒薔薇コンク」とか「柳家のポマード」とか「丹頂のヘアスチック」とかを使ってた。髪に櫛を入れると櫛の目がすぐ詰まるぐらいベッチョベチョにつけて満員電車の中を通学してたもんだから、今から思えば周りの乗客が可愛そうだ・・・。教室に入ると教室中に麝香の香りが充満するもんだから、担任の先生が来るとすぐに「中山!窓を開けろ!!!」とか言われたりした・・・。うう~ん、ま、青春の甘酸っぱい思い出だネ!


当時のセンセのご行状、これ以上のご開陳は、どうぞご勘弁くださいませ・・・。


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この記事について

このページは、喜源テクノさかき研究室が2017年1月 5日 21:00に書いた記事です。

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