昭和40年代:時代と音楽-31

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おとなしいマッシュルームカットから長髪へ、ネクタイ+ステージ衣装からヒゲとネックレスとピースサインへと、時代が大きく変わりつつありました。Love & Peaceをスローガンに、フラワームーヴメントと呼ばれるヒッピー文化が花開きつつあったのです。非暴力主義を旗印にベトナム戦争への反対を表明し、既存の西欧的価値観や文化を否定。インド哲学や仏教、あるいは自然回帰的な思想を目指し、愛と平和を唱える一方で、マリファナやLSDなどのドラッグ、フリーセックスに彩られた野放図な生活を送る彼らは、特にサンフランシスコを中心とするアメリカ西海岸で大きな潮流を作りつつありました。

この当時の音楽シーンを代表する者として、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンの三人について述べていきたいと思います。

ジミ・ヘンドリックスは、知らぬ者無きウルトラ天才ギタープレーヤーです。ウイキによれば、父方の祖母はチェロキーインディアンだったそうです。センセも初めて知りました。で、誠に奇遇ですが、あのジェームス・ブラウンもまた、黒人とアパッチインディアンの混血です!え~~~っ!黒人とインディアンが混ざると音楽の天才が生まれる、という法則があるのですかね?!驚きです!!!
でも、アメリカ西部開拓時代、南北戦争で解放された多くの黒人達がアメリカ西部でカウボーイとして働いていたという事実から、黒人とインディアンの混血ってそんなに珍しいことではなかったのかもしれません。時間的に相当離れてはおりますが・・・。
アメリカ西部開拓時代の写真を見ると、確かに白人やメキシコ系に混ざって黒人カウボーイも見られます。余談ですけど、映画のカウボーイは背も高くてかっこいいのがお決まりですが、実際の写真を見ると背も低く、ちんくりむっくりしてるのが多くって、なんかカッチョワルイのが多いです・・・。この当時、たぶん、今よりも栄養も悪かっただろうから、アメリカ人といえどもそんなに大きくはなかったのかな?と思います。
さて、生い立ち云々はウイキに任せるとして、ジミはその後イギリスに渡り、三人組のジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンスを結成します。ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンスとしての最初の曲が、あの「Hey, Joe」。続いて「Purple Haze:紫の煙」、「Foxy Lady」、「Wild Thingトロッグスのカバー)」、「Voodoo Child」などのヒットを飛ばします。
ジミヘンについて色々書こうと思っていましたが、ウイキにほとんど完璧に書かれているので、是非これにあたってください。

彼らがティーン向けの「ルル・ショウ」に出演して「Voodoo Child」を生演奏し、ルルが思わずちびってしまうところを貼っときます(申し訳ないけど、今現在(2019年)全く見られません)因みにルル、シドニー・ポワチエ主演の映画「いつも心に太陽を」の主題歌を歌ったヒトです。このブログでもすでに「Johnny be Good」と「Star Spangled Banner at Woodstock」を貼ってますが、「ルル・ショウ」の映像を見ればさらに理解が深まるかと思います。で、蛇足ではありますが、一言。

「ジミヘンが出す音を完璧に出せるギタリストは、古今東西、未だ居ない・・・」

ハイ・・・。

ジャニス・ジョプリン。彼女もこの時代を代表する白人ブルースシンガーです。白人が黒人のように歌うことを、よく「Blue-Eyed Soul」って呼んだりしますが、彼女の場合はそんなジャンルを飛び越えて、彼女独自の世界を作り上げたというべきかと思います。
センセが初めて聴いた曲は「Kozmic Blues」と「Maybe」。一発で虜になったセンセは、アルバムを何度も何度も繰り返し聴きながら同じように歌えるか、試しました。で、もちろんすぐに轟沈しました・・・。

彼女を扱った映画がありました。見たはずなんですが、あまり記憶に残っていない・・・。駄作だったんでしょうね!今、ウイキで調べたら、題名が「The Rose」。ナンか思い出してきた。でも今年の9月に彼女のドキュメンタリー映画、その名も「Janis:Little Girl Blue」が日本で封切りされたらしい・・・。
題名の「Little Girl Blue」ですが、これはアルバム「Kozmic Blues」中にフィーチャーされている佳曲です。

ナンかさらに調べたら、JBの伝記映画も昨年公開されたらしい!!!
やっぱ、田舎に引きこもってると駄目だね、浦島太郎状態だワ。でも、ネットがあるからその気になれば分かるはずなんだけどね!結局、そんなリビドーが残っていない、ということなんだろう。単純にトシ、ということだ。残念だけど・・・。

さて、ジャニス・ジョプリンの代表作ですが、先の「Kozmic Blues」や「Maybe」、Little Girl Blue」や「Ball and Chain」を知ってるヒトはむしろまれで、一般的には「Move Over」、「Me and Bobby Mcgee」、「Mercedes Benz」なんかが有名かと思います。あまり知られていない曲に「Trust Me」がありますが、これはソウルのウイルソン・ピケットのカバーです。個人的には彼の「Trust Me」が大好きなので、貼っときますね!

・・・もちろんこの場合、鳩ぽっぽは全く関係ありません・・・。


最後にドアーズのジム・モリソン。「Light My Fire:ハートに火をつけて」が最も有名で、後にホセ・フェルシアーノがカバーしてます。彼は詩人であり、ドアーズのリードヴォーカルを勤めました。代表曲には、ブラスが有名な「Touch Me」、ちょっと恐怖感のある「The End」、佳曲「Love Me Two Times」や「Break On Through」などがあります。
はっきり言って、ジミヘンやジャニスに比べれば影響力はより小さかったと思いますが、ドラッグにおぼれた日常やステージ上の荒々しい振る舞いなど、当時の典型的な「破滅型」ミュージシャンの一人ですので、一緒に紹介しました。
個人的にはホセ・フェルシアーノのLight My Fire」の方が好きなので、こっちも
貼っておきます。


これら、時代を代表する三人の音楽家ですが、全員ほどなく若くして死んでしまいます。ジミとジャニスは1970年、ジムは1971年に、奇しくも全員等しく27歳で死にました。名前のイニシャルが「J」であるのも共通してますね!
当時、短期間で大物がバタバタ死んでしまったニュースを耳にした時、確かに戦慄が走りましたが、同時に、彼らの死には多かれ少なかれ酒やドラッグが絡んでいる事も明らかでしたので、そうは驚くこともありませんでした。むしろ、「ううむ、ありがちだな・・・」との想いの方が強かったです・・・。

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このページは、喜源テクノさかき研究室が2016年12月29日 15:28に書いた記事です。

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