昭和40年代:時代と音楽-21

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延々と1960年代~70年代の「若者文化」のお話をしていますが、もちろん文化は若者だけのものじゃない。また、若者つったって、ひとっからげにできるものでもない。必ずしもみんながみんなロックやソウルやフォークに夢中だったわけでもない。ことによると、むしろ、そうでない連中の方が、主流だったのかもしれない。いわゆる、サイレントマジョリティーってやつだ。

本日は、そんな60年代~70年代のアメリカ文化の「もう一つの側面」についてお話します。

「古き良きアメリカ」って言葉があります。ヒトによってその年代は異なると思いますけど、概ね(おおむね≠Big Bust)1950年代から60年代初期を指す、と定義しても大きな間違いはないと思います。要するに、第二次世界大戦に勝利した連合国の中でも、戦場となったソ連、フランス、イギリス(空襲やUボートによる封鎖を受けた)とは異なり、直接的な戦禍を免れたアメリカは、それまでの大英帝国にとって代わり、政治的にも経済的にも、そして(軽)文化的にも、実質的に世界で唯一無比の超大国となりました。
これを打倒せん!と、当時のソ連を盟主とする東側が猛追し、朝鮮戦争に引き続く幾多の核実験~宇宙開発競争など、一触即発の冷戦状況が生じますが、米国民は「我こそは西側民主主義の盟主であり、共産主義に対抗するのは絶対的な正義である!This is Manifest Destiny ! This is a Pen-Pineapple-Apple-Pen !」との信念に燃えておりますので、ある意味、彼らのアイデンティティーに揺るぎがなかった時代である、といえると思います。

国内的には圧倒的に「白人の時代」であり、リンカーン大統領が奴隷解放宣言を出してから1世紀近くが経過していたにも関わらず、アパルトヘイト的な、KKKに代表されるようなあからさまな黒人差別が、少なくとも南部においては、日常的に見られた時代でした。黒人達もそのような境遇をある種の諦観をもって受け入れ、アンクル・トム的に、従順に生きていた時代です。映画「ビリー・ホリデイ物語」の副題が「奇妙な果実」、そしてグレゴリー・ペック主演の映画「アラバマ物語」など、文字通り当時の南部の状況を物語るものです。また、マッカーシー旋風に象徴される「反共産主義」の猛威が吹き荒れた時代でもありました。

相変わらずの大がかりなハリウッド映画が幅をきかせ、西部劇では「悪いインディアン」がころころと撃たれ、ジョン・ウエインがアラモの砦で咆吼する一方で、ジーン・ケリーは雨の中で歌っているし、マリリン・モンローはゆっさゆっさ揺すりながら歩いているし、オードリー・ヘップバーンは可愛いし、の時代です。

ローズマリー・クルーニーが「Come On a My House」のヒットをとばしたのが1951年、ジョー・スタッフォードが「You Belong To Me」を歌ったのが1952年、ドリス・デイが「Que Sera, Sera」でアカデミー賞をとったのが1956年。フランク・シナトラやらトニー・ベネットやらペリー・コモやらナット・キング・コールやらの時代です。

このような「(アメリカ白人にとっての)古き良きアメリカ」の流れの最後の輝きの一つとして、1961年の映画、オードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」をあげることができるかもしれません。当時のオードリーの衣装や振る舞いなどは今から見ても全く古くささを感じさせないどころか、その後のヒッピー文化の「破壊性」を完璧に浮き彫りにするカンジすら抱かせます。共演のジョージ・ペパードのガッチガチのIVYファッションにしびれたヒトも多かったと思います。どうしたってあの服装で、銀座のみゆき通りを歩きたくなりますよね!で、主題歌「Moon River」を歌うは、みなさまご存じアンディ・ウイリアムス。アンディが指でほっぺたを「ポン!」と鳴らして「What?」というカンジでポーズをとるのが白人4人娘のコーラスグループ、ザ・コーデッツの「Lolly Pop」ですが、1958年当時の雰囲気を如実に表してます。因みにザ・コーデッツの「Mr. Sandman」、センセの好きな曲です。

というわけで、都会的かつ大卒の学歴を有する中上流の白人階層をターゲットとした(あるいは、それらへのあこがれを喚起する)雰囲気が濃厚な当時のアメリカのショービズ文化でしたが、これが1962年頃から大きく変わっていくこととなります。

本日はこれまで!


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2016年11月29日 20:04に書いた記事です。

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