昭和40年代:時代と音楽-18

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ブラックパワー全盛期のモータウンと南部系黒人音楽について、お話します。
ファンキーミュージック全盛の時代ですが、両者ともに、特有の音作りは脈々と受け継いでおりました。
モータウンでは、この頃には従来の典型的なモータウンサウンドは影を潜め、新たなタイプのサウンドが登場し始めました。その代表が、ジャクソン5です。

声変わり前のマイケルを中心とした5人組は、あの時代特有のアフロヘアーとベルボトムに身を包み、「I Want You Back」、「ABC」、「I'll be There」、「Never Can Say Goodbye」、「Ben」、「Lookin' through the Windows」と立て続けにヒットを飛ばし、当時のアメリカのミドルティーンのアイドルとなりました。

この頃のマイケルは本当に可愛かったんですけどね・・・。

同時代に活躍したモータウン系ミュージシャンが、ダイアナ・ロス。言わずと知れた、シュープリームスのリードボーカルです。「Touch Me in the Morning」や「Theme from Mahogany」などのヒットを飛ばしただけでなく、1971年の映画、「ビリー・ホリデイ物語」の主演を演じました。因みに「Touch Me in the Morning」。くれぐれも「****Me in the Morning」などと口が裂けても言い間違えないように!!!!!!! 

と言うカンジで、相変わらずのポップな音を主体とするモータウンでしたが、ブラックパワーの時代を背景とした、新たな試みも見られます。
エドウィン・スターの「War」マービン・ゲイの「What's Going On」、そしてNYの黒人ゲットーの日々について歌ったテンプテーションズの「Papa Was a Rolling Stone」など、当時のモータウンの代表的プロテストサウンドです。

そして程なく、70~80年代を席巻することとなるモータウンの代表選手、あの、スティービー・ワンダーの登場となります。

スティービー・ワンダーは、ティーンの頃はリトル・スティービーなどと呼ばれ、既に「Fingertips Part 1」、「A Place in the Sun」、「Uptight」などのヒットを出していましたが、爆発的に有名になったのはこの当時から。1972年の「Superstition(邦題:迷信)」、翌年の「You Are the Sunshine of My Life」を皮切りに次々とヒットを飛ばし、「世界のスティービー・ワンダー」となったのは、皆さんもご承知のところだと思います。
個人的には、「Superstition」直前のアルバム、1971年の「Where I'm Coming From(邦題:青春の軌跡)」が最高傑作で、その後はポップ、だと思ってます。このアルバムは彼の音楽にかける想いと才能を余すところ無く昇華した美しい楽曲で満ちあふれ、フィーチャーされた曲には一つとして駄作が無い!と言っても過言ではないほどの出来の良いアルバムです。このアルバムを最初聴いたとき、なんでこのヒトが(昔は有名だったけど)ヒットチャートに出てこないんだろ?と思ってましたが、次の次のアルバムからリリースされた「Superstition」がNo.1となり、その後は快進撃となりました。けれども、先に述べたように、あくまでも個人的には、以降の曲は「ポップ」にしか聞こえません・・・。

ただし、彼の音には、当時すでに、もはや黒人らしさのかけらもありません・・・。
ま、だから、「世界のスティービー」になったのでしょうけど・・・。


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2016年11月19日 22:17に書いた記事です。

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