昭和40年代:時代と音楽-13

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またコケました・・・。
今回は、座位でステップに両足を乗せたまま、アイドリング速度でのフルロック8の字練習中に起きました。
車体をあまり傾けず、ほぼ垂直を維持しながら上記条件でのフルロックターンって、ナカナカのバランス感覚を必要とします。体の重心がうまく一致するとくるくるきれいに回れるようになり、それを維持したままくるくるくるくる回っていると、なんか、脳内でエンドルフィンが分泌されるのでしょうか、酩酊したように気持ちよくなってきます。
この状態を延々と続けていても練習にはならないので、一旦止めて最初からやり直す、という事を繰り返すわけですが、停止して次の動作に移行しようとしたその瞬間、いきなり左に「コテン」とコケました・・・。

今回はステップに両足を乗せた状態だったので、左足が車体の下敷きとなり、丁度くるぶしのところが挟まれてしまいました。でも、オフロードバイク用の頑丈なブーツを履いていたので大事には至らず、ま、ある意味、転倒バイク引き起こしの実地訓練とはなりましたが、ブーツがなければくるぶしの骨が粉砕されていた状況でした・・・。

前回の転倒から、低速~停止時の転倒は良くあること、そして低速~停止時であっても相応のダメージがあることを学びましたので、今回からしっかりとブーツを履いていたのが功を奏した、というわけです。
ことによると低速~停止時での転倒で頭を打つことなきにしもあらずですので、次回からはきちんとヘルメットをかぶって練習しようと考えてます。

さて、今回はオーティス・レディングです。
センセと同年代の洋楽ファンの間でその名を知らぬ者のないのが、オーティス・レディング。しかしながら、彼が世界的な脚光を浴びた時間は短いものでした。その理由は、ほどなく飛行機事故で世を去ったから・・・。

サム・クックにあこがれてショービズの世界に飛び込んだオーティスでしたが、そのうたいっぷりは大きく異なり、シャウトを駆使し、情感をたっぷりと入れ込んだ、極めて黒人色の強い音でした。
あのような情感たっぷりの歌い方は、当時の南部系黒人ミュージシャンの間では結構あたりまえに見られますが、オーティスの場合はやはり「出来」が良いことに加え、黒人音楽に影響を受けた白人ロックシンガーらを一般の白人社会が受け入れたことによって、社会全般がアクの強い黒人音楽を許容できるほどに成熟しつつあった時期に登場したということも、彼の成功の理由の一つだと思います。
初期の代表作には「These Arms of Mine」や「I've Been Loving You Too Long」などがあります。

同時代の黒人歌手にエタ・ジェイムズがいますが、彼女の代表作「At Last」も非常に出来の良い情感たっぷりの歌で、個人的には、この60年代初期の黒人音楽が持つ、なんていうか、「攻撃性に転化されない抑圧された情念の発露」ともいうべき、真の「ソウルネス」が込められた歌が好きですね!
これが後にブラックパワーの時代になりますと、歌にトゲトゲ感が満ちあふれるようになり、攻撃性も強くなっていきます。ファンク時代の到来です。個人的には、これもまた好きですけどね!

オーティス・レディングは、その後もヒット曲を連発します。アレサ・フランクリンがカバーして大ヒットした「Respect」、ライブでの歌唱が有名な「Try A Little Tenderness」などがあります。そして1968年、突然の飛行機事故でこの世を去った翌年、あの「The Dock of The Bay」が、ビルボードヒットチャートでトップを飾ることとなるのです・・・。

ということで、オーティス・レディングが活躍した期間は短いものでした。けれども彼は黒人ミュージシャンを中心とする多くの人々の心に残り、後には彼に捧げる歌、その名も「オーティスに捧げる歌:A Tribute to a King(ウイリアム・ベル)」までできたほどでした。

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このページは、喜源テクノさかき研究室が2016年11月 7日 20:12に書いた記事です。

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