昭和40年代:時代と音楽-7
とうとうノーベル賞のお役人が腹を立て、ボブ・ディランを「礼儀知らずの無礼者!」呼ばわりしました。
でもねエ、稀代の「既存の体制への反逆者」に対してその評価はそもそも矛盾してるんじゃないの?
「既存の体制への反逆」そのものが、エスタブリッシュメントにとってはそもそも礼儀知らずで無礼な態度なんじゃないの?
それに対して世界に並ぶもの無き最大級のエスタブリッシュメントであるスウエーデン王立アカデミーがノーベル賞を与えたということにアイロニーを感じたからこそ、世界中の人々が驚いたんじゃないの?
ディラン本人はそう言われたところで、
「・・・・え?・・・・・俺、そうだけど・・・・?それがなにか?・・・・」
ぐらいなんじゃないの?
典型的、といおうか天恵喜源特濃スティックタイプ的(宣伝しつこい!)といおうか、リベラルであろうと常日頃から心がけていてもついつい本当の姿が透けてしまうアカデミック・エスタブリッシュメントの姿が垣間見えた瞬間ではありました。
さて、先日はビートルズのデビュー当時の音楽シーンについて触れましたが、本日は当時の雰囲気について、特にビーチボーイズとベンチャーズをビートルズに対比させつつ、語ってみたいと思います。
ビーチボーイズとベンチャーズ、あまりにもアメリカ的な両者ですが、当時の日本では、ビートルズに負けないほど人気のあるバンドでした。ベンチャーズなどは、ある意味、ビートルズよりも影響力があったといえます。
ファッション的には、ビートルズがマッシュルームカットで「舞台衣装」で演奏するのに対し、ビーチボーイズとベンチャーズはアイビーカット~アイビーファッションでの演奏です。ビーチボーイズは若者らしくカジュアルな服で、ベンチャーズは当時からすでに「オジサン」でしたので、よりフォーマルな服で演奏していた、という違いはありましたが。
この当時はその後のフラワームーブメントの片鱗もなかった時代ですので、おとなしいマッシュルームカットですら異端。さらにビートルズの「襟のないジャケット(たぶん、ブライアン・エプスタインのお仕着せ)」なんかカッチョワルイものでしたので、町なかでビートルズの格好をしている者はほとんどいませんでした。
また、ジャズシーンにおいても、当時の先端の連中、ジョン・コルトレーンもハービー・ハンコックもみんなExtreme Ivyに身を包んで演奏していました。
つまり、当時の若者のファッションを席巻したのはアイビーファッション!
VAN と平凡パンチの時代が到来したのです!
ベンチャーズはこの当時ビートルズよりもむしろ強い影響力があったと書きましたが、それは歌詞を持たない、いわゆるインストルメンタルの楽曲であり、しかも演奏が比較的簡単なものだったからです。彼らがきっかけとなり、日本中の若者が「エレキ」を手にしてテケテケテケ~~~~とやり始めた結果、素人バンドの大ブームが巻き起こりました。
TV番組では佐藤製薬がスポンサーの「勝ち抜きエレキ合戦!」が登場!ピカピカに若いジュディ・オングが、「すっと治るス、ト、ナ!」なんて言ってましたっけね!
当時の日本を代表するのが加山雄三。加山雄三とザ・ランチャーズの「ブラックサンドビーチ」なんぞはベンチャーズの影響をバリバリに受けまくっている曲ですが、個人的には、非常に出来の良い楽曲だと思います。センセの好きな曲の一つです。
この当時の小学生らはほぼ例外なく、放課後の掃除の時間にはギター代わりにホウキを胸に抱え、鼻の横を人差し指でなでながら、
「♪ しやーせだなあ、、、ぼかあ、君のことを一生離さないぞ、いいだろ?」
なんてやっていたはずです・・・。
さて、バイクの転倒から丁度一週間たちましたが、センセの足の肉離れはまだ完治とは言い難い状況です。でも、日に日に良くはなっているので、そのうち直るでしょう。でも、その頃はもはや「バイクの季節」ではなくなっていることでしょう・・・。
ま、ブログを更新する良い機会だと思ってます。
では、一旦お開きといたします。
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