坂城散歩道-5
今年は本邦にて大震災があったかと思うと、海の向こうでは大竜巻。カダフィー大佐はしぶといし、かと思えば昨日はオサマ・ビンラーディンの命運とうとう尽きぬ!でしたね。本当に色々な事が生じる毎日です。
そんな色々大きな出来事のある今年の春ですが、変わらぬものは季節の移ろい。と言うわけで、先日は坂城界隈の桜の名所を訪ね歩いて参りましたので、ご紹介致します。
日本全国桜の名所は数かずありますが、ここ坂城では、実は特に桜の名所と言うべきところは御座りませぬ。ある意味名所とは言わぬまでも、ごくごく自然にたくさんの桜の木がこの季節になると咲き誇りますので、特に改めて出かけることもないのがこの町の住人の習わしの様です。これが東京ともなりますと、まだ若木であろうがなんだろうが、やれ桜が咲いた日にや、いやいやまだ咲く前から、早速ブルーシートを敷いて飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎがおっぱじまるのが常なる光景。時間の流れが相当異なる様ですね。たださすがの東京も、今年ばかりは自粛ムードの様ですが。
まずは18号からインターへの入り口近くにある格致学校跡に咲き誇る大きなソメイヨシノからご紹介。
格致学校は明治初期に建てられた由緒正しい学校です。現在は坂城町の別の場所に移設され、県宝に指定されていますが、本来はこの場所にあった様です。県宝格致学校の建物は、典型的な明治初期の和洋折衷木造建築。そのうち「坂城名所旧跡案内」とでも銘打って、このコーナーでもご紹介致したいと思います。
ここから18号を千曲川沿いに北上して行きますと、左手土手に満開の桜並木が目に入ってきます。これは常山堤(じょうざんつつみ)のソメイヨシノ群です。
説明書きにもあります通り、クレーンも起重機も無かった当時、大工事をやり遂げた後の村人達の喜び様が伝わってくるようですね。それにしても大津波と言い大水と言い、日本の歴史は災害との戦いの歴史、と言っても良いのかも知れません。
ここから戻って、御堂川沿いに山の方面へと向かってみます。御堂川の両岸は、立派なソメイヨシノで飾られています。また、周辺の家々の庭先にはハナモモが多く植えられており、寒い地方のお約束として、梅も桜も桃も梨も杏も林檎も比較的短期間に集中して開花しますので、運がよいときはこれらが同時に満開になる事もある様です。さすがに梅の花は一番に咲きますけどね。
御堂川をさらに上流へと遡ります。高速道路の下をくぐって山道へと入る丁度入り口に、葛尾の一連の施設があります。ここには近代的な焼却設備、火葬場、そして広い霊園が一堂に会しています。山の麓の見通しの良い場所にありますので、ここから坂城南条~中之条の町並みを一望することが出来ます。ここにも桜並木がありまして、これを過ぎると霊園中央に大きな松の木(少しマクツイムシにやられてますけど)と共に祠(ほこら)があります。これも先の常山堤と同じく、幕末のお代官様の偉業を称え祭ったものの様です。なんかお代官様と言うと、安物の時代劇のせいでしょうか、すぐに悪代官を連想致しますが、現実は決してそうでは無く(もちろんそうであった場合もあるでしょうが)、身を粉にして地元の為に尽くした方々も当然多かった様ですね。イメージを改めなくてはなりませぬ。
左は甘利社の松の木と祠。
これは甘利お代官の偉業を伝える看板です。甘利代官、偉いっ!
最後になりましたが、研究所の隣で今を盛りと咲いております八重桜をご紹介して、本日の散歩道はお開きと致したく存じます。それでは皆様、次回の「坂城散歩道」まで、ごきげんよう!
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