坂城散歩道-4

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今年の夏は、本当に暑いですね!皆さん体調崩さずに元気で過ごしていますか?それとも熱射病でひっくり返っていますか?

本日は坂城町に残る、北国街道(ほっこくかいどう)を散策して参りましたので、ご報告致します。今回から文体を変えました。「坂城散歩道」のこれまでの文体は、何か、肩こるもんで、、、。

北国街道は、昔、江戸と北陸を結ぶ街道として重要な役割を果たしておりました。日本海と内陸信濃を結ぶ物流の要(かなめ)としての役割を果たすと同時に、加賀の大大名、前田藩のお殿様が参勤交代で江戸に来る時も、この街道を利用して居りました。坂城の宿は街道沿いの宿場町の一つとして、往事はなかなかの賑わいを見せていたそうです。その当時の宿場町の雰囲気は、現在でも町中で垣間見ることが出来ますので、そのうちご紹介したいと思います。今回は、その要である北国街道をご案内致します。

現在では国道18号線に加えて高速道路、さらには新幹線まで出来て流通に不足は無いこの界隈ですが、山だらけの坂城町、当時は北国街道が唯一の外界への窓口だった訳です。基本的には国道18号線に沿って走っていますが、多くの部分が国道に吸収されて居りますので、昔ながらの街道は様々に分断され、本来の姿は途切れ途切れ、部分部分にしか見ることが出来ません。
坂城町では、中之条から南条(みなみじょう)まで、当時の面影を偲ばせる姿が残っています。それでは中之条口から歩いてみましょう。

 

文化の館 正門

文化の館 正門.jpg国道18号の中之条口の近くには、その名も「文化の館」と呼ばれる建物があります。この館は本来は個人所有のお屋敷だったそうですが、その後町に寄贈され、一般にも公開されております。とても「文化的」なお屋敷です。

「文化」の定義は、各個人で決めてくださって結構です。

 

  

中之条口の角には写真屋さんがあります。親父さんは、昔、東京の中野区で修行を積み、戻ってきてここに開店。けれどもデジカメの普及のお陰でなかなか商売も厳しい、との事でした。皆さん、時にはこのお店で写真撮影しては如何でしょうか?(ボランティア広告)

西念寺の山門

西念寺山門.jpg写真屋さんの直ぐ裏手には、なかなか立派なお寺さんがあります。名前は西念寺。境内には大きな杉の木が一本、すっと立っています。訪れたのは晩夏。山門の前の真っ赤な百日紅の花が印象的でした。

 

 

中之条口から北国街道を上田方向に向かって進みます。高速インター行きの大きな道路を横切って進んでゆくと、漸く昔ながらの街道の雰囲気が漂ってきます。所々に昔作りの家々があり、また、これらの旧家には必ずと言って良いほどお蔵が建っています。


倉のある家-1.jpg明治維新後、日本が世界と貿易を開始した頃は、生糸等の絹製品が輸出品目の筆頭でした。その絹糸産業を支えた地方の一つが長野県です。特にこの地方は地味に恵まれず、大きな平野も無いのですが、山から千曲川に向けて水捌けの良いなだらかな傾斜地を利用して桑を植え、養蚕が盛んであったと聞いています。上田には信州大学の繊維学部がありますが、これも往事盛んであった養蚕業を受け継ぐものです。何と言っても、上田紬が有名ですね!

 

倉のある家-2.jpgと言う事は、これらの蔵持ちの旧家は、恐らく、当時繁栄した養蚕業でシコタマ儲けたんじゃ無いんでしょうか?と、つい下世話な勘ぐりが出てしまうほど、雰囲気があって綺麗な旧宅が多い界隈です。
所々には、道祖神や庚申塚の類が残っています。長野はこれら道祖神が数多く残存している地方としても有名で、ここ坂城でも多く見られます。また、暴れ川として有名だった千曲川の水流調節や田畑の灌漑水路建設など、江戸時代には多くの土地改良事業がなされた様ですが、それらを記念した石塚なども随所に残っておりまして、昔の人達の苦労を忍ぶ縁(よすが)となっております。

道祖神.jpg道祖神

 終点の南条口から戻って右に折れますと、南条小学校があります。正門には立派な松の木が。松と言えばこの地方は日本有数の松茸の産地。これから秋に掛けて、松茸狩りの季節となります。

 

 

 

 

 南条小学校正門

南条小学校正門.jpg小学校の直ぐ裏手には、宇佐八幡のお社。至る所に村の鎮守様がありますね。そしてどれも大きな杉の木が、すっと一本立っています。これを見ると、ついつい口に出るのが、

♪泣けた、泣けた~、こらえ~きいれえずうにい~、泣けたっけ~、、、、ですが、、、、。私の場合は、、、、。

 

 

 産業道路を研究所に向かって帰る途中にある農家。界隈の農家には、柿の木と栗の木を植えてあるところが多く、また、これらの木の立派なこと!クルミの木も多いですね。手入れの行き届いたこぎれいな旧家が多いのですが、近年は大手不動産がアパートやらマンションやらを建てまくり、それらの悉くがナントカレジデンスやらのカタカナ言葉とそれらしい雰囲気とで折角の里山の雰囲気と伝統的町並みが台無し!何を考えているのでしょうかね?でも、当研究所もその一棟なので、あんまり文句も言えないけど、、、。

栗の木と柿の木と百日紅のある農家 農家.jpg

 

 

下左 坂城の北国街道

下右 宇佐八幡のお社                

 

北国街道-2.jpg 宇佐八幡宮の杜.jpg 

 

 

             

                        

                 

 

 

 

 

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このページは、喜源テクノさかき研究室が2010年8月30日 21:05に書いた記事です。

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